第73話 : 手作りクッキー
結局春満は俺達の合宿の全日程と農作業に付き合った。
最初の約束は何だったんだ。あとで部長に社会人としての心得をきちんと話しておかないといけない。今朝は「内々定を出すからエントリーシート送ってね❤」なんて言っていたから俺の会社に来たら鍛えてやらないと(もっとも、俺、今は社長じゃないけどね)。
今は帰りの車の中、部長と意気投合した春満の車には柔先輩以外のサークル幹部全員が乗っている。
で、俺の車にはいつものメンバーが同乗している。
「春満さん、本当に凄いんですね。改めて驚きました」
重松が感心したように言うが、ああ言う人を見本にしてはいけない。あれは本当にダメな事例だ。
「そうなのよね。私もああいう能力を身に付けないといけないと思うのよ」
蒼衣、君も父親と同じ経営者の道を歩みたいなら春満を見本にするなんて最低最悪なことをするなよ。
「だよね~、ああ言う人が身近にいるうちに色々教えてもらわないとね」
柔先輩までもそうなのか──多数決だとおかしいのは俺だということなのか。ブルブル──俺は絶対に間違っていないぞ。
「みんな、春満のコミュニケーション能力は凄いけど、あれを真似する必要は全然ないし、仮にそれを求められたとしてもある程度は努力で何とかなるから気にするな」
「それを後輩君に言われてもね」
「陰キャボッチ童貞の方よりは春満お姉様の方が説得力はあるかと」
蒼衣、いつから春満をお姉様なんて呼ぶようになったんだ。父親から怒られても知らないぞ……それよりも俺のことを陰キャボッチ童貞って言うな。
俺の周りがドンドン春満に毒されている……俺の青春じゃなくて春満の青春になってるじゃないか。
「皆さん、お帰りなさい」
家に帰れば碧が満面の笑みで俺達を迎えてくれる。癒されるとは正にこのことだ。
「あ~ら、ゲンちゃん、お帰りなさい」
なんでお前がここにいるの? 学校へ荷物を置きに行ったんじゃないの? それまでやってこの時間にここにいるってどんな運転したの?
疑問だらけだけど、気にしていたら物事は進まない。こいつは異世界人だと思っていた方が得策だ。
テーブルの上には素麺とミョウガやシソなどの薬味が何種類も置かれている。
「疲れている時にはさっぱりする物が良いと思って用意したの」
「流石は碧ちゃんでしょ。ささ、みんな食べましょ」
ここは俺の家だぞ。
「あら、ゲンちゃん不満そうな顔しているけど何かあるの。碧ちゃんがここまで気遣ってくれたのよ。そんな辛気くさい顔して申し訳ないと思わないの。これだから陰キャボッチ童貞は困るのよ」
黙って聞いていれば何を言い出す。
「栗原、一緒に食べよ」
「栗原っち、座りなよ」
どうしてこうなっているんだ。ここは俺の部屋であって、主は間違いなく俺だろうに。
「ゲン君、どう?」
「美味しいです」
そりゃあ碧が作ってくれた物だから美味しいに決まっている。
一緒に住むことを約束してから、碧は春満の会社(といっても、幽霊企業同然なのだが)の社員となるための準備として、仕事らしいことは介護施設で働くことだけとなっている。それも夜勤は週一度程度に減らしているし、ゆくゆくは隔週で一度程度にして貰う予定だ。
だからこうして出来たてを食べられる機会が増えた。
「愛情補正もあるもんね」
「春満さん……」
「言い過ぎたわね。ごめんなさい」
なんで碧相手だと素直に謝るかねぇ。
「後輩君のお蔭で楽な移動をさせて貰ったから、これ、私達からのお礼ね」
どこでどう用意したのか、柔先輩の手にクッキーがある。
「昨日のバーベキューで残った火を使って焼いたんだ。食べてみて」
昨晩のBBQは春満がDJをして大カラオケ大会をやった。
いくら田舎とは言え迷惑だろうと思っていたら、何と春満が一軒一軒近隣の方に声を掛けて参加を促し、持参したプロジェクターと大型スクリーン(ルーフサイドに組み込んであるタープがスクリーンになる特別仕様だ)を使って迫力の映像を流して、自分が歌う姿をアーティストと合成して見せれば、それはそれは大いに盛り上がった。地域の区長さんから来年も是非来て欲しいと言われたり、高齢の方からは冥土の土産が出来たと大好評で、サークルの評価もストップ高になり、史上最高の合宿になったと四年生が喜んでいた。
その時の残り火で簡易クッキーを作ったとのことだ。
「美味い!」
バターを少ししか持参していなかったので、風味としっとり感は物足りないからと言うが、素朴な甘さと小麦の香りを感じられ、何よりも俺のために作ってくれたという気持ちだけでも味が違う。
「お姉さんにはないの?」
「昨日もつまみ食いしてましたよね。あれ、私が食べるつもりだったお肉だったんです」
「そ、そうなの……」
「そういえば私が食べたかったホタテもお姉様が」
「オ、オホホ……今日は疲れているから皆さん早く休みましょうね。それじゃ」
コミュ力お化けも食べ物の恨みには勝てなかったか。
碧一人が何のことかわからず首を傾げていた。
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