第67話 : 託す人、託される人
時は少しだけ遡る。
「ヤッホー、ゲンちゃん、約束どおり来ましたよぉ」
どうしてこの人はいつもハイテンションでいられるのだろう。
だからこそビジネスで成功し、業界の有名人になったと言えばそのとおりなのかも知れないが。
「あらあら、何だか落ち込んでいるみたいじゃない。お姉さんが力になれることならどんなことでもするわよ」
これがプライベートじゃなければ確かに春満は頼れる人物なんだけどな。こんな状況だと明るい未来なんてどこにも見えない。
「ゲンちゃん、水くさいわねぇ。私と相思相愛の間柄じゃないの」
誰が相思相愛だ。だいたい亭主持ちがそんなことを言って良いのか。
「あ、わかった。さっきのこと碧ちゃんに話したんでしょ」
「そうだ。だから色々考えることになったんだ」
「ふ~ん、碧ちゃんを私に取られたくないのね」
こういうところは鋭いんだよな。だから仕事もできるし、部下も着いてくるのだろうけど。
「あのね、私は碧ちゃんをアナタから奪おうなんて気はサラサラないんだから」
「だってはる……お姉さんは碧を自分の所に住まわせたいんだろ」
「もう、何時になったら最初からお姉さんと呼べるの?この台詞二十年は言ってるよね」
それは今のこととは関係ない話だろ。だいたいお姉さんと呼べと言われても普通にそうできる奴なんてそうそういないはずだぞ。
「それがどうした。今は──」
「全部一緒よ。私は何時までも若いつもりでいたいの。だから永遠のおねえさんなの。碧ちゃんも昔の旦那さんの妻のつもりでいたいのよ。それが女心よ」
「だから何だと」
「ゲンちゃんは碧ちゃんの何になりたいの?碧ちゃんとどうしたいの?そこから整理しないと」
「何言ってるか良くわからないんだけど」
「ふう、困った中年大学生ね」
俺が碧とどんな関係になりたいか。
改めてそう訊かれると答えに窮する。俺にとっての碧は何なのか。
正直、今は俺の世話をしてくれている同居人だ。俺としてはとても居心地の良い関係だし、これで裸の付き合いがあれば夫婦と言われてもおかしくないだろう。
逆に言えば足りないのはそこだけで、だとしたらそれさえあれば立派な夫婦と同格の関係だと言える──あれ、足りない物はそれだけなのか。
「碧ちゃんはね、前の旦那さんを裏切れないと思っているわ。そこは女どうし、一人の男を愛する者どうしわかるのよ。でもね裏切るってどういうことなのかをアナタも碧ちゃんも真剣に考えたことはない」
「言われれば、確かに」
「前の旦那さんが生きていれば今の碧ちゃんがしていることは立派な裏切りかも知れないわ。旦那さんが傷付いた段階でダメな関係よ。でもその人はこの世にいないんでしょ。いくら碧ちゃん達のために働いて亡くなったとしてもそれは裏切りではないわ。」
「いや、碧がまだその人を愛していれば「違う!」」
キッパリと否定され、二の句が継げなかった。
「旦那さんは何を願ってそんなに働いたのかわかる?碧ちゃん達の幸せを願って働いたんじゃないの。目的はその一つだけだと私は思うわ。だから碧ちゃんもそれに応えるため彼を愛していたのだし、それを感じた旦那さんは益々彼女を愛するようになったの。その繰り返しよ」
「そういうものか」
「陰キャボッチ童貞ヘタレの男性にはわからない感覚よ」
そこで俺を辱めるか。
「ゲンちゃんがその旦那さんの気分になってみて、アパートでやつれた姿をしている碧ちゃんとこの部屋で生き生きしている碧ちゃんのどっちを見たいと思う?」
「そりゃあ、まあ、生き生きしてる方だろう」
んっ、それって今を肯定して良いのか。
「夫婦ということに拘らなければ天国の旦那さんはゲンちゃんに怒っていると思う?自分だったらどう感じるの」
「俺なら……怒らない……怒れないか」
「死んでしまえば、どれ程碧ちゃんを愛していても出来ないことばかりよ。誰かに託すしか術がないのよ。託された人間が自分だと思えば、どう感じるかな」
「それは……碧と一緒だということを認められて嬉しいかな」
「ならどうするの?仮に籍を入れることがハードルに感じるならこの時代色々なカップルの形があるでしょ。大切なことは一緒にいること、そうじゃないの?」
結婚に拘らなければ、碧さえ幸せにできればそれは旦那に対する裏切りではないと言うことか。
でも……結婚できないということは所詮俺は旦那のスペアなのか。
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