第64話 : 葛藤だらけ
春満の話をまとめれば、碧をこの場所で自分が社長を務める会社の事務職員として雇い入れ、きちんと報酬を出せば今の不規則な暮らしから抜け出せるし、収入も安定する。結果、柔先輩に対しての経済的な不安からも抜け出せるし、何となれば碧を自分の部屋に住まわせて住み込みとして働いてもらえれば、家政婦との兼業と言うことで賃金を大幅に増やすことも考えているのだという。
一言で言えば、自分が楽をしたいから碧を手許に置いておきたいと。
話として悪いことではない。
今は税理士をしている俺の高校時代の同級生、田中を通じれば実務に優れた人物を紹介してもらえるかも知れないから監査法人として会社をきちんと機能させることの可能なのだろうと考えてしまう。
安定した住まいと収入があれば安心であることは俺だって理解できる。
が、自分が楽をしたいという不純な目的での提案だからそれを単純に認めたくない。
どこかで春満にもしっかり仕事をさせる為の方策が欲しい。そうでないと碧を春満に取られるだけだ。
そこまで考えて、そもそも碧がこの話を受けるかどうかと、俺の中に「碧を取られる」という感情があることに気が付いた。それは碧を手放したくない、離れたくないという気持ちの裏返しだとも理解した。
改めて碧が好きだと自覚してしまう。が、何かを動かせる自信もない。
「で、この話を私がしても良いかな」
「そりゃ構わないが」
「その『が』は何なの」
そうなんだよな。勿論碧は俺の所有物じゃないからどうこう言うところはないのだけど、どこかでこの話を断って欲しいと願っている自分がいる。
碧を春満の住み込み家政婦にさせるなんて言語道断で、俺の隣にいる方が余程幸せにしてあげる自信がると堂々と言い返してやりたいが、これまでの女性遍歴を考えるとそんな自信はどこにもないのが残念だ。
普段の生活はともかく、ベッドの上で「ヘタねぇ」と言われる姿しか想像できない自分が情けない。まあ、碧は優しいからそこまで言わないとは思うけど。
「それじゃ、あとでゲンちゃんの部屋にお邪魔するわ」
そんな断りを入れなくてもいつも晩飯を食べに来ているだろと毒づきたくなるのをぐっと堪えて、「いつ来ても構わないよ」と言葉を返す。
そう言いながら、普段なら「仕方ないなぁ」で済んでしまうのに、今日に限って「来なければいいのにな」と思ってしまう自分がいた。
「おかえりなさい」
今日は施設の仕事が休みだと言っていたから、この声がするのは不自然でも何でもない。春満の提案どおり彼女が春満の家で住むことになったらもう聞くことは出来ないのだろうか。
碧の人生を俺が縛るなんて事をしてはいけないし、亡き夫への思いだって知っているからこそ話を聞いたら碧がどんな返事をするのかが恐い。
異性である俺の所よりも同性の春満の方が安心していられるというのは間違いなくあるだろう。俺が碧の立場なら春満を選ぶかも知れない。生活能力に難はあってもそれ以外のことは極めてきちんとしているから同居しても不都合は少ないだろう。俺から離れていく未来しか見えない。
「ゲン君、どうかしたの。元気がないわよ」
それなりに一緒に住んでいるから俺のこともよく理解していてくれる。
この心遣いは本当に嬉しいが、さりとてそこに甘えるのも良くないかと思う。
どうせ春満の奴が来て碧に色々と話すのなら、俺が話したって結果は同じだろう。アイツのマシンガントークで押し切られるくらいならせめて俺が考える時間を与えながら説明した方が良いだろう。そう思い、先程のことを話すためにダイニングテーブルまで碧を呼んだ。
夕食の鳥料理の下ごしらえをしていたという彼女はベージュのエプロンをしていた。
この格好をする彼女は絵になっている。生活臭がするのは嫌だという女性が昨今は増えたという話をどこかで聞いた覚えがあるけど、俺は碧のような逞しさを感じる生活感を出している女性が大好きなのだと改めて思う。
三十代の頃に言い寄ってきた女達からは全く感じることのなかった安心できる感覚だ。ガツガツしていない、トロフィーワイフなんて地位への野心なぞ全く感じさせない自然体で接してくれる安心感がここにはある。
「碧、実はね」
先程の春満との会話を碧に伝えると、彼女の顔が僅かに歪んだように見えた。
「悪い話ではないと思う。判断は碧に委ねるよ」
心の中では「断ってくれ」と思う自分と「その方が幸せになるのならそれで構わないか」と思う自分の葛藤がある。
「そういうお話しがあるのね……あのっ、ゲン君はどう思うかな」
「俺のことは気にせず、自分で判断して欲しいかな。俺にそれを言う権利はないだろうし」
「そうなんだ……なら、単刀直入に聞くわ。ゲン君は私と一緒に住んでいることをどう思っているの」
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