第60話 : 「オヤジ」と「お父さん」

 それから何日も俺は悩んでいた。

 陰キャボッチ童貞のうち、ボッチではなくなったから、今は陰キャ童貞の俺だ。

 その陰キャが気持ちをどう伝えるか。連日春満に睨まれているが、その程度のことで行動に移せるくらいなら苦労しない。


 もう嫌というほど碧への好きという感情は自覚している。

 碧が夜勤の日には寂しさを感じて気分が落ち込むし、休日の日は朝から帰れば彼女がいると思うとウキウキしている。

 

 梅雨に入ると借りている畑の作業が一気に忙しくなる。

 水があって温度が高ければ雑草が幾らでも生えてくるのだ。その上で沢山の野菜が収穫できるようになっている。

 週に三日ほど当番で畑に出るようになっていて、それなりに重労働だと感じるからプロの農家はどれほどの仕事量なのだろうと思う。雑草は除草剤で対応できるとして収穫は大変だろう。


「プファ~、この一口がたまらないわね」


 持ち帰った採りたての枝豆をつまみに春満がビールをあおっている。この一口どころかさっきからどれだけ飲んでいるんだ。開いた缶ビールが何本も並んでいるじゃないか。


「ねえ、柔ちゃんもどう」

「私は……」


 俺が入学早々の時に起こした二日酔いで懲りたのか、あれから彼女は酒を口にしていない。


「ちょっとくらい大丈夫よ」

「ダメだ。飲みたくない奴に飲ませるなと会社であれほど言ってるだろ。アルハラだぞ」

「なによ、ここはプライベートな場所よ」

「だからと言ってやって良いことと悪いことがある。人が嫌がっていることをするもんじゃない」

「あら、随分柔ちゃんの味方をすること」

「春満さん、何でしたら私が付き合いますわ」


 なぜかこの場に蒼衣までいる。というか、最近はセットでこの部屋にいることが多くないか。


「ありがとう。でも二十歳にならないとお酒はダメよ。あそこに堅物がいるからね」

「少しはまともなことを言うじゃないか。蒼衣、そのとおりだぞ」

「栗原はパパみたいな事を言うのね。親父臭い」

「蒼衣ちゃん、後輩君は悪気があって言っている訳じゃないよ」

「矢口先輩も栗原の味方をするんですか」

「まあ、私から見ればお父さんみたいなところもあるからね」


 柔先輩の言葉に全員が驚いた。彼女の口から「お父さん」という言葉はほぼ出てこないからだ。


「柔ちゃん、それ……」

「どうかしました。栗原はその位歳が離れているじゃないですか」

「そうだけど……ね」


 春満、血の気が引いた顔をして俺の方を見るな。俺だって動揺してるんだから。

 碧が夜勤でいないことを感謝した。もしも今の言葉を聞いていたらこの場がどうなっていたか想像ができない。


「ともかく、先輩も蒼衣もここで酒は飲まないでくれ」


 平静を装っているが、身体は動悸が激しい。今血圧を測れば確実に病気だと言われるだろう。


「ふふ、ゲンちゃん親父臭い」


 そういう春満の口調も幾分震えている。お前だって動揺しているだろうと言ってやりたい。


「まあ、確かに俺は入学式の時から父兄と見られていたから、間違いなくオヤジだよ」


 自嘲気味に言ってから、そう言えばオヤジと父親では似て非なるものかとの考えが浮かんだ。

 オヤジは関係性を表すと共に一般名詞のように使われることが多いだろう。会社の社長を「うちのオヤジ」と呼んだりすることは中小企業ならありがちじゃないだろうか。他方、「お父さん」はより関係性が近いというか密というか、とにかく柔先輩が俺を「お父さんみたい」と認識していると言うことは──そう考えたら、ますます動悸が酷くなった。


「ゲンちゃん?」

「んっ」

「顔が赤いけど、風邪でも引いた」


 そう言われるわなぁ。この場に碧がいたらどういう態度をしていたんだろう。

 お父さんは一人しかいないと言って諫めていたのだろうか。それとも……


「早く寝た方が良いわよ」


 こんな精神状態で眠れるかと思いながら、俺はシャワーを浴びる支度をした。

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