第57話 : 後輩君への想い(柔の眼)
お母さんの様子が変だ。
どこか思い詰めた感じがしているのは、私が倒れてしまったことに責任を感じているからだろうか。自己管理ができなかったのは自分の責任だから気にしないで欲しいのだけど。
「お母さん」
「んっ、どうしたの」
「さっきからちょっとおかしいわよ」
「そう、そう、かもね」
明らかに心がここにない。と言うことは原因は私ではないのだろう。
「ねえ、ちょっと話してみない」
母から後で話があると言われているけど、別に今でもかまわないだろう。
私は母の手を引いてロビーまで歩いて行った。腕には念のためと言われた点滴が刺さっているけど、そんなものが邪魔になることなど関係ない。今は母と話すことが最優先事項だ。
「どうしたの。昨日のことなら全部私の責任だから気にしないで」
「違うの……」
「だったら何があったの」
こんなに動揺している母の姿を見ることは滅多にない。あの火事の時ですらここまでではなかった。どれほど仕事で疲れていても決して弱いところを見せようとしなかった気丈な人だ。余程のことがあったのだろう。
「あのね……うん、でも」
「はっきり言って。私にいつも言葉にしないと伝わらないと言ってるじゃない」
「そう、そうなんだけど……」
これ、多分だけど。
「ひょっとして誰かに何か言われたの」
自分の中で溜め込むだけなら今までだってこんな風にはなっていなかった。だとしたら考えられるのは第三者が入っていることだ。
「うん」
小さく頷いた母がとてもか弱い存在に見えた。いつもなら線は細くても頼りがいのある人だったのに。
「それって春満さん」
母に対してそれだけ物が言える人は限られている。後輩君やお祖父ちゃんはそういう人ではないはずだから、そうなると選択肢は一つしか残らない。
無言でもう一度頷く母の姿に私は怒りが湧いてきた。知り合ってから間もない人なのにどういう傷つけ方をしたのだろう。いくら後輩君の知り合いで奨学金の主催者だとは言え、人をこうしてしまうとは酷い。
「あとで私から言っておくわ」
「違うの、春満さんは関係ないわ。これは全部私の問題なの」
「どういうこと」
母の口から語られたのは後輩君に対する思いと実父に対する忸怩たる気持ちだった。
「私はどうすれば……」
締めくくりの言葉はそのまま私も考えなければならないことだ。
一つだけ言えることはお母さんが幸せになってくれれば、その選択肢を邪魔する気は持っていないということだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「お母さんは自分の気持ちに正直になればいいんじゃない。お父さんだってそれを願っているんじゃないの」
「それは……」
「私はお父さんのことを全然知らないけど、お母さんならそれがわかるでしょ。こういう時にお父さんがどう思っているかってね」
正直、死んでいる人の気持ちなんてわかる訳がないと思う。
それでも物事を進めるきっかけを作らないといつまで経ってもお母さんはお父さんの影を引きずって生きることになってしまう。それはそれでお母さんの選択だから文句を言うつもりはないけど、そのことでお母さんが不幸になることを私は許せない。
後輩君が現れなかったらこんな風にはならなかったのだろう。しかし、現実は受け止めなけれなならないし、彼のお蔭で私達は暮らしが成り立っている。損得勘定でものを語りたくはないが、私の中では彼から受けた恩は実父以上にありがたい物だと思っている。そう言う人を応援することは自然なことだろう。
尤も私が後輩君を「お父さん」と呼べるかどうかは別の話だけど。
「矢口さん」
看護婦さんから声が掛かった。いつの間にか点滴がなくなっていた。
これから後輩君が迎えに来るはずだ。
私は母を見て、聞こえないように「頑張って」と呟いた。
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