第55話 : どうしてそうなるの(春満の眼)

 ゲンちゃんに送られた私はとても気分が高揚していた。

 今日の私に百二十点を付けてあげたい。もちろん百点満点での話だ。


 私が当初目論んでいたのは学校の夏休みに蒼衣ちゃんと重松ちゃんを使って皆でキャンプにでも行こうと思っていた。

 非日常空間で碧ちゃんと柔ちゃん、ゲンちゃんでお互いの気持ちを話す機会を作れれば良いと考えていた。身体が日常から解放された時こそ、心もオープンになれる。それは自分を曝け出すことだけではなく受け入れにも寛容になれるのだ。


 だから田んぼの草取りに皆で行こうとなった時は、夏休みの予行演習くらいの気分でいた。

 それがどうだ。柔ちゃんが倒れてくれたお蔭であの二人は急接近している。ゲンちゃんがお姫様抱っこをしている姿なんて初めて見たし、そんなことができる人間だとも思っていなかった。

 思い返せば東京のタワマンで入居者専用のジムに通っていたような記憶があるようなないような……ともかく、今回の件で柔ちゃんが作っていた壁が結構取り払われた筈だ。碧ちゃんが決断できさえすれば……


 あと一押し。


 そう思ったらいてもたってもいられずに碧ちゃんにメッセージを送っていた。

 明日の午後退院することは聞いているから、最後の押しはその前が絶対にいい。柔ちゃんのゲンちゃんへの信頼度がマックスの時に行動できれば──私は我慢できずに笑った。



「お姉さんは楽しそうだね」


 碧ちゃんがいないので、私達は近くのファミレスで食事を摂っている。因みに蒼衣ちゃん達は動けないくらい筋肉痛だから部屋から出られないそうだ。そう考えたらゲンちゃんも私も凄い……って、きっと明日になったら動けないと思うけど。歳を取ると筋肉痛になるまでタイムラグがあるからね。


「そんなことないわよ」


 ふふ、この幸せは貴男のためのものなのよ。そう言ってあげたいけど今は我慢だ。


「ふうん、ところでこうして外食をしてみると碧のご飯がいかに美味いか良くわかるな」


 あらあら、胃袋はもう虜になってるじゃないの。でもそれは私も同意見ね。この程度の味じゃ碧ちゃんの作る夕食の足下にも及ばないのよね。


「本当にそうよね。そんな美味しいご飯を毎日食べられるなんて幸せよね」

「そう、だな」


 何を意識してるんでしょ。顔が赤いわよ。



 翌日、私は自分の車で碧ちゃんの実家に出向いていった。全身の筋肉が断末魔の叫びを上げているが、これからのことを思えば今が耐える時だ。


「春満さん、いらっしゃい……って、この車」


 ごめんなさい。昔の癖でこの車に一目惚れして買ってしまったの。

 私の愛車はどこからどう見ても実用性があるクルマには見えないわよね。

 赤い車体に上方に跳ね上がるドア、車高は低くて乗り込みにくいし、音もうるさいから近所迷惑この上ないの。でも格好だけは最高なのよね……それしか取り柄がないけど。


「まあ気にしないで、ささ、乗って」


 碧さんの実家の近所に喫茶店なんて洒落たものがないことは調べてあるから、柔ちゃんが入院している病院近くまで移動してモーニングサービスをやっているお店に入った。


「乗り心地が悪くてごめんね」


 この手の車に普段の乗り心地を期待してはいけないことは私なら知っているけど、さすがに碧ちゃんにそれを理解しろというのは無理があるだろう。どことなく顔が青く見えるのは私の運転のせいではないはずだ。たぶん。


 チェーン店ではない地元のお店らしく、素っ気ない内装だけど温かみが感じられるところで雰囲気は悪くない。色恋沙汰の話をするには向いている場所じゃないかと思ってしまう。

 窓辺の隅のテーブルに向かい合って座り、ブレンドコーヒーを頼む。


 手許に置かれたそれは濃厚な風味が鼻をくすぐり、苦さの中から特有の味わいが浮かび上がってくる。場所柄を考えれば望むべくもないほどに上質な一杯だ。

 さて、本題を話さないと。


「あの~、春満さんからのお話の前に私から話しても良いですか」


 何だろう。ゲンちゃんと交際をしたいというなら幾らでもお手伝いするから、そんなに遠慮した様子を見せないで欲しい。


「実は私達、ゲン君の所から出て行こうと思っているんです」

「ブッ!」


 口に含んでいたコーヒーを碧ちゃんの顔へ盛大に吹きかけてしまった。

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