第53話 : 熱中症はやや重症

「おい、柔!」


 目の前で柔先輩が膝を着き崩れ落ちていく動きはスローモーションのようだった。

 先輩付けして呼ぶ余裕もなく、顔が地面にぶつかる直前で俺は彼女を下から支えた。

 女性陣は皆その姿に固まっている。


「きゃぁ!」


 蒼衣が声を出すが、柔先輩はそれに反応せず、脱力している。俺の腕に相当の熱を感じる。たぶん熱中症だ。そう言えば彼女は水分を殆ど取っていなかったような気がしている。


「救急車を! 早く!」


 一太郎さんが素早く電話を掛けている間に、救急車が止められる場所まで柔を動かしていく。


「だい、じょ、ぶだよ」


 意識はあるみたいだが、もちろん安心できる状態ではない。

 碧と重松でサロペットを脱がし、同時に俺が彼女をお姫様抱っこして運んでいく。自分でもよくそんな力があったものだと思うが、これが火事場の馬鹿力というものなのだろう。数十メートルの距離をさほど苦痛には思わずに進んでいく。


 幸いなことに道路の脇に水路があるので、そこで俺のTシャツを水に浸け、濡れたまま彼女の身体に掛けてやる。とにかく身体を冷やさないとマズいと思っての応急措置だ。


 田舎だというのに十分もせずに救急車がやって来た。

 軽トラックに一太郎さんと碧が乗り、その後を着いて行った。


「皆、ごめんなさいね」

「任せておけよ」


 とにかく今日は仕事をしにきた訳だから、請け負った分は終わらせないといけない。

 通信係に春満を置いて俺と蒼衣、重松の三人でひたすら草と格闘した。

 その間にも随時碧から連絡が入ってくる。典型的な熱中症でやや重症であることと、現在は点滴を打って落ち着いていること。今日は入院して明日になれば退院できるだろうと言うことなどが伝えられてくる。


「ふう、終わったか」

「ゲンちゃん、みんな、お疲れ様」


 結局作業が終わったのは日がだいぶ傾いた頃だった。

 午後になって始めた時は果てしない仕事で、暗くなるまでに終わるのかどうか不安だったが、案外やればできるものだ。

 蒼衣も重松も泥だらけの顔になっているが、そこには充実感が見て取れた。


「はい、これ」


 春満が水で濡らしたタオルを渡してくれる。

 手袋を取って顔を拭けば泥だらけになってしまうが、そんなことはどうでもいい。


「着替えたら病院まで行こう」



 病院までは自分の車で十五分ほどかかった。

 俺が柔先輩だったらこの時間を無限に感じられたことだろう。実際自分でもこの道程を随分長いと感じていたから。


「ゲン君、ありがとう」

「私からもお礼を言うよ。おかげで孫は助かったみたいだ」


 そんな大げさなことかとも思ったが、熱中症で亡くなる人は毎年何人もいるから、心配事であるのは間違いない。


「で、柔先輩は」

「今は寝てるわ。容態は落ち着いているから明日には家へ帰れるだろうって」

「そうか。それなら明日また迎えに来るよ」

「そんな、そこまで甘えられないわ」

「構わないさ。明日の午後は時間が空いているから。そうだな三時過ぎにはここに来られるだろ」

「そこまでしてもらうなんて」

「碧ちゃん、ここはゲンちゃんに甘えなさいよ。いえ、甘えてあげて」

「それじゃ……」

「じゃ、決まりね。ゲンちゃん宜しくね」

「ということだ。悪いけど俺はお姉さん方を送らなきゃならないから、今日の所は失礼するよ。柔先輩を頼む」

「うん」


 柔先輩も碧の様子なら問題なさそうだ。

 寝顔を見たら悪いと思いロビーで話をしたのだが、碧の話し方にはどこか安堵感が感じられていた。ならば今日の所は春満達を送り届けないといけないだろう。



「Zzzzz……がぁ……」


 隣で豪快なイビキを発しながら春満が気持ちよさそうに寝ている。

 俺だって寝たいんだけど、とは言える訳がない。

 その後ろでは蒼衣も重松もシートを倒して眠っている。


 学生と言うよりも、どこかの家族みたいだ。

 そんなことを考えながら俺は自宅までのハンドルを握っていた。

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