第51話 : 悲鳴と嵌まる足
田んぼの除草というのは、そこに生えている稲以外の草を抜くだけだ。
文字で書くとベリーシンプルで、やることもハッキリしている。
が、実際やってみるとそんな簡単なものではなく、無茶苦茶ハードで技術が要る仕事だ。ITとは全然違う職人の技が要求される現場だと初めて知った。
第一に足下がしっかりしていない。
水が落とされていて歩きやすくしてあるとは言え、土が乾いている訳ではないので一歩踏み込めば脚は土に吸い込まれていく。数センチ沈むだけであっても歩きにくいのに
第二に作業姿勢だ。
脚を伸ばしたまま腰をかがめて草を掴んで抜くのは腕にも腰にも負担が掛かる。何となれば田んぼの草たちは根を深く、かつ広く張らせているので簡単には抜けてくれない。鎌などを持って歩くと危険なので全て手で対応しなければいけないから、重労働なのだ。
そして今日の天候が追い打ちを掛けてくる。
ほぼ真夏と言って良い強い日差しに下が水分を含んだ土だから田んぼの中の湿度は高い。数歩だけで額から汗がジワリと滲み出てくる。
「キャ」、「あ、あれ」、「うぇ~ん」
悲鳴じみた声があちこちから聞こえてきている。
「少し動けば慣れるよ」
一太郎さんが声を掛けてくれるが、そんなに甘い物ではないと思う。
だいたい稲と雑草の区別だって正直怪しかったりする。特にノビエは素人目にはぱっと見でわからない。数本抜けば何となく色や葉の違いでわかる物なのだが、初見では難しい。
その上でそんな田んぼの中を歩いて前進しなくてはならない。
「わっ、わあ~」
俺の隣で重松が身体をくねらせている。脚を抜こうとしてバランスを崩したのだろう。上を向いた巨大な双球がブルンブルンと揺れている。サロペットの上からでもはっきり分かるってどれ程大きいんだ。
「ふう、何とかなりそうね」
胸にバランスを乱す物がないと言ったら怒られるだろうが、蒼衣はかなり要領が良い。お嬢様育ちでこんなことは経験していないだろうに、横一列に並んだ六人の中ではダントツの能率だ。
碧母子は俺と殆ど能率が変わらない。碧が高校生の頃には除草剤が一般的だったと言うし、柔先輩はこの時期に実家に来ること自体がほぼ初めてではないかと言っていた。
そして……殆ど前に進めていない人物がいる。言うまでもない、春満だ。
「たっ、た、助けてぇ~」
情けない声がしたと思って振り返れば、グシャンと音がする。
前のめりになって倒れた春満が泥に吸い込まれそうになっている。
背中は綺麗に見えているが、恐らく前は泥だらけだろう。助けに行けば俺も泥まみれになるのがわかっている……躊躇っていたら一太郎さんが飛んできた。
「あ、あ、あっ、ありがとうございます!」
さすがはプロと言うべきだろう。俺達が三輪車だとしたら一太郎さんはスーパーカー並みの速さで軽やかに春満を助け出した。
予想どおり前面は泥だらけで、顔も元の化粧がわからないくらい真っ黒だ。
「これで拭いて」
差し出された白いタオルが一拭きで汚れている。表裏で二度拭いたら、春満と認識できるようになった。
「お姉さん、やめてもいいんだよ」
「何よ、その言い方! 私だってちゃんと役に立てるんだから」
俺の言葉に怒った様子で返すと、泥だらけのまま作業に復帰する。その根性があるからビジネスの世界でもやってこられたのだと改めて感心してしまう。
「後輩君……た、助けて」
春満を揶揄っていたら柔先輩の切羽詰まった声が聞こえた。見れば両足があらぬ方向に交差している。恐らくは片足を抜いた際にバランスを崩して想定しない方向に抜いた脚が着地したのだろう。行くも戻るもできない姿勢だ。
「わかった。少し待ってて……あ、足が」
救助に向かいたいが、自分の脚もままならない。
とは言え、最初よりは多少慣れているから何とか柔先輩の元へ辿り着いた。
左の脛を掴んでグッと引き上げようとするが、こちらの足下も悪いので思うように力が入らない。
「もうちょっとだから」
「う、うん、悪いね」
下を向いている俺の首筋に何か当たる物がある。当たったそれは俺の首を回るように流れて地面に落ちていく。この状況でそんなことを感じるはずがないのだが、その液体からどこか甘酸っぱい臭いを嗅ぎ取れるように思う俺は変態なのだろうか。
ともかくも最優先事項は彼女を動けるようにすることだ。
サロペット越しでもその柔らかさを感じられる彼女の脛をひたすら引っ張り続けた。
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