第41話 : 最強の「あ~ん」
「ならば締めに碧ちゃんからもあ~んして貰えば良いんじゃない」
予想外の言葉にビクッとしてしまう。
さっきプリンをあ~んさせて貰ったばかりだし、その時は昔を思い出して妙に彼女を意識してしまった。旦那と死別しているとは言え娘がいる元人妻だ。
彼女の家族関係を考えたら余計な感情を持つべきではない。だからそう言う行為はこれで終わりにして欲しい……そんな風に感情を殺そうとしても出来る訳がない。
「あくまで遊びでやる練習だろ。碧には関係ないだろう」
「それは失礼でしょ。碧ちゃんだってまだ女盛りよ」
「だからと言って」
「ゲン君、私やるよ」
柔先輩同様感情を抑えた声で碧が言うが、その顔は赤くなっている。娘がいる前でそういうことをするのは止めた方が良いと思うぞ。
「春満、それは碧に失礼だろ」
「あくまで遊びよ。ゲンちゃんは碧さんの厚意を袖にするの」
そう言われると否定しにくい。形としては碧が声を上げたのだから、同調圧力云々言っても結局は碧の厚意を断っていることになる。
「そこまで言われると断れないだろ」
「最初からお願いしますと言えば良いのよ。素直じゃないんだから」
いや、素直がどうこうじゃないんだよ。
柔先輩がいるのがマズいんだよ──あれ、彼女がいなかった時はあ~んを受け入れてたんだよな。だったら柔先輩の存在って──彼女は元カノの大切な一人娘で、元夫との最大の愛の結晶だろう。彼女がいなければイチャイチャっぽいことができていたなんて考えてはいけない。
「はい、ゲン君」
いや、あのね。
「いいのか」
「うん、平気」
手に持ているのはさっきまで一緒に食べていたプリンだ。
女性陣のスイーツ消費能力は凄まじく、あっという間にケーキもプリンも残り僅かになっている。いや、よくよく見ればこのプリンが最後の一個だ。もはや誰の物だかはわからないけど。
自分達の手許に食べるモノがなければ必然的に他人様のことが気になる訳で、全員の目がここに集まっていることがわかる。
碧にとってはある意味イジメみたいなものかも知れないので、きちんと意思確認はしておきたい。この程度のこと、やりたくないものはしなくたって何の問題もないのだ。
「無理するな」
「だいじょうぶ……だいじょうぶ」
息を整えるように声を出し、俺の対面に座り、スプーンを差し出す。さっきはすんなりと口にできたのだが、今は持つ手が震えている。しかもその手は指の先まで真っ赤だ。目を上げて顔を見ればそこまで緊張しなくても良いだろうにと言うほど赤い。
「はい、あ~ん」
口を開けているだけだと唇にスプーンが当たりそうなので、こちらから頭を動かしスプーンを咥える。同時にさっきも味わった感触が俺のカラダを襲う。
さっきまでのどのスイーツよりもこのプリンの方が刺激的で、快感が足の先まで瞬時に伝わる。
「ふふ、ゲンちゃん、どう」
春満が揶揄った声でそう言ってくるが、反応できない。
一度経験している味なのにどうしてこうも感じ方が違うのだろう。たかがプリンだ。
東京に出てから機会があればプリンを食べていた気がする。経済的に余裕があったこともあり、うっかりすれば週に何個も口にしていた。かなり歳を取っても好きなものは好きなのだからとそれなりの量を身体に入れてきたのだが、今ほど味を意識したことはなかったと思う。
美味しいという言葉では全く足りない。それを超越したもの、超絶美味とでも言うのだろうか。それとも味以外の何かの要素があるのか。プリン一口で身体が火照ってきている感じがするほどだ。
「おい、しい」
語彙の足りない自分はそれ以上言えなかった。
情けないほどのヘタレだと思うが、それが限界だった。
「ゲンちゃんはプリンが好きだからね」
ニヤニヤしながらなぜか手鏡を持って俺に見せてくる。そこに映る自分の顔は碧以上に赤い。そう意識すると動悸がしているのもわかる。いつもよりも脈拍が速くて強い。
どうした俺。皆に見られているからってそこまで緊張しているのか。
「ありがと」
俯きながら小さな声を出す碧の姿を見て、その昔、付き合い始めの頃にお互いを意識しすぎて会話もままならなかった時のことを思い出した。俺は高校生から進化できていない。
「どうせなら、全部食べさせてあげれば」
春満、あとでお前の首を絶対に絞めてやる。
「ううん、そこまでは、オバサンじゃ迷惑でしょ」
「碧ちゃん、全員からあ~んされて一番嬉しかったのは貴女みたいよ」
「そ、そんなこと」
「あるのよ。ね、ゲンちゃん」
俺に振るな──あれ、何で碧のことをこんなに意識してるんだ。
碧は確かに元カノだが、それ以上の感情を抑えていたはずなのに、動悸が止まらない。
結局、お互い真っ赤な顔のまま長い時間をかけてプリンを全て食べさせられた。
今血圧を測ったら、恐ろしい数字が出ていると確信できるくらい心臓がうるさかった。
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