第36話 : オンナの勘
ゴ、ゴホッ……
気管にプリンが入り、盛大に咽せた俺に対し、口からこぼれ落ちたスプーンを拾う碧。
「後輩君、何してんの」
「あ~ら、ゲンちゃん美味しそうなものを食べてるじゃない」
「ゴ、ゴホ、ゴホ……ゴホ」
喉が痛いし、少し奥へ入ったのか全然声が出ない。
「あ、あのっ、ゲン君は私とお喋りをしていたのです」
「その割には妙に焦っているみたい……あ~、プリン見~つけ。へ~、二人でこんな美味しいものを食べてたんだ。ゲンちゃん、随分ずるいことするわね。私も食べたいなぁ」
「ぞ、ぞれは……ゴホン」
「ねえ、みんな、プリン食べたいでしょ」
「「「は~い」」」
いつの間にか春満が一番前にいて、後ろに柔先輩、それと蒼衣に重松までいる。更には男性が一人。この人どこかで見た気もするんだが。
「蒼衣ちゃんから今駅に着いたって連絡があったのよ。ちょうど入ろうとした喫茶店も人がいっぱいいて落ち着かなさそうだったから、だったら蒼衣ちゃんも一緒にゲンちゃんの家でゆっくりしようって」
ゆっくりするならお前の家ですれば良いじゃないか。なんでこの場所なんだよ。
「私の部屋でも良かったけど、どうしてもゲンちゃんに会いたい人がいるみたいだからね」
後ろを振り返り、俺より少し年齢が上と思われる男性に目配せする。
その瞬間、俺はこの男性のことを思い出した。蒼衣の父であり、M&Aで急成長中の「蒼衣コーポレーション」を率いる人物、蒼衣
この人は一度俺の会社に来て系列会社になるよう話を持ちかけてきたことがある。
独立独歩を旨とし、無借金経営でここまでやって来たのだからと一力と二人で断ったはずなのだが、ひょっとして娘をきっかけに再度そんなことを言いに来たのだろうか。
でも、それならばウチの会社ごときに娘を俺と同じビルに住まわせるなんて金の掛かることをしなくても……良くわからない。
「どうも皆さん、はじめまして──ああ、栗原社長はお久しぶりです。美櫻の父、大と申します」
この姿、この声、俺はテレビでも何度か見聞している。多忙の筈なのにメディアを使った情報発信がとても上手く、ああいう真似は俺にはできないと画面越しにいつも思っていた。
「ゴホ……あ、どうも」
さっきまでとは違い警戒レベルを一気に引き上げる。休日モードではない、ビジネスの戦闘モードだ。
「そんなかしこまらずに。今日は仕事と切り離して参りました。これを皆さんでどうぞ」
手土産に出されたのは桐箱入りの豪奢な羊羹──ではなく、大きな白い箱。子供でも中身は想像できるもの。ケーキだ。
「みんなで食べようと思って」
蒼衣がペロリと舌を出す。その顔には今すぐ食べたいと書いてある。
これ、東京の有名店のものだろう。箱に書いてある名前は見覚えがある。どうやってこれをここまで持ってきたのか。
「蒼衣さん、ありがとう。今、皆さんの分のお茶を入れますからね」
碧がキッチンへ移り、そこに春満が座る。
「さて、このプリンの意味を説明してもらいましょうか」
「別にどうだって構わないだろ」
「こんなに沢山のプリンを並べて、まさか私達の帰りを待っていたの?いつ帰るかわからないのに」
「どうでもいいだろ。碧が俺の好物を作ってくれた。それを食べていただけだ」
「ふ~ん」
くだらないことに気が回るのが春満だ。普段はがさつでアバウトなくせにこういう所は妙に鋭い。
「冷やしすぎたから食べやすい温度になるように外に出していたのよ」
脇から碧のヘルプが入る。素晴らしい。
「ふ~ん、まあそういうことにしておいてあげるわ。それにしてもゲンちゃんの好物を正確に知っているのね。プリンはプリンでもこういうクリームが載っているのが飛び切りの好物だってね」
「う、うるさい。余計なことを言うな」
「はい、お茶が入りましたよ。カップを温めていないからいつもほど香りが良くないかも知れないけど許してね」
碧が紅茶を持ってきて、そこに柔先輩がケーキやプリンを食べるための食器を並べる。
二人はチラチラと俺の方を向き、碧は小さくウインクをして、柔先輩は上目遣いで疑念あり、という顔を見せる。
碧の誤魔化しと柔先輩のオンナの勘、どちらも怖い。
この二人には下手な嘘なぞ通用しないのだろうとつくづく思った。
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