第35話 : 顔から湯気が
腹ぺこで家に帰れば碧がいた。何が悲しくて腹から音がしているのか。
女性陣はあれから二次会と称して喫茶店に行ってしまった。パフェを奢るからと春満は言っていたが、どこにそんなものが入るほどの余裕があるのだろう。アイツは挨拶を受けながらも延々と食べ続けていた筈なのに。
「ゲン君、お疲れ様。何か口にする」
ここのところ碧が接する態度も日常に戻っている。
ほぼ口にものを入れていないから、あまり元気がないように見えたのだろう。こういう心遣いは嬉しいし、そう言うことをして貰っていた旦那様が羨ましい。
「ありがとう。お言葉に甘えさせていただくよ」
出してきたのは手作りのプリンだ。
俺の大好物で、その昔何度か食べたことがある。
「んっ」
これ以上の言葉が出ない。
味は昔の記憶そのままで、甘さを抑えた品のあるものだ。
「どうかな」
「どうもこうも、これ、最高じゃないか」
「ありがと」
碧が満面の笑みでおれに礼を言ってくれる。逆だよ。それ、俺が言うことだ。
今頃春満達が食べているどんなパフェよりもこっちの方が美味い。絶対に美味い!礼を言うのは間違いなく俺で、今までの沈んだ気持ちが一気に幸福感に満ちあふれる。
美味しいものは人を幸せにするというのは本当だ。
「碧、ありがとう。これ、いくらでも食べられる。何ならバケツ一杯でもいけるぞ」
「大げさなんだから、あ、でも、まだあるけど……」
「けど」
「それ、春満さん達の分だから」
「あいつらは今頃パフェを食べてるさ」
「でも」
「かまわない」
春満の分のプリンを食べながら今日あった出来事を碧に話していた。
「そっか、そういうことがあったのね」
「そう、春満のヤツはそういうところでデリカシーが足りない」
「でもね」
俺の目の前に座る碧は何かを考えるような仕草をして、口を開いた。
「春満さん、きっとゲン君に青春させたかったんだよ」
「?」
「ゲン君、人前で挨拶なんてしたことなかったんでしょ。大人になればきっとそう言う場面は出てくるんじゃないかな。だからゲン君を未成年だと仮定して、そういう機会を与えたかったんじゃないかな」
「そこまで凝った考えなんかするもんか」
「ううん、あの人ならきっとそう考える。私よりもずっと深く考えてるわよ。だからゲン君だって会社で大事な仕事を任せていられるんじゃないの」
「そう言われれば……」
確かに俺は一力夫妻へ経営に関して丸投げしている。さすがにM&Aみたいな重大な案件は俺も関わるが、そうでなければ社長であっても一切経営に口出しをしない。あの二人は会社を乗っ取る気なら簡単にできるのに、それをしていないということは俺に対して悪意を持っていないと理解して良いのだろう。そう思うと春満のやったことも碧の言うような意図があったのかも知れない。
プリンはもう食べてしまったが。
「ふふ、わかってくれた」
「まあ、そう言う解釈もできるか」
さて、プリンをどうするか。
「あのね、プリンのことなんだけど」
「うん」
「証拠隠滅しない」
「それって」
いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた碧はとてもカワイイ。
四十を過ぎた中年のオバサンとはとても思えないほどで、目尻の皺なんかチャームポイントとしてもっとアピールしても良いと思えるほどだ。
目の前にあるのは五個のプリン。碧、柔先輩、なぜか蒼衣と重松、最後に誰のものとも知れないものが一つある。
「みんなを呼んで食べようと思って作ったの」
家主は俺なんだが。まあ、碧達には自由にしていいと言ってあるから文句はない。
俺の前にプリンが三つ、碧の前に二つ並べる。
俺の所には蒼衣と重松、それと無名のものが、碧の前には本人と柔先輩のもの。
これを全て食べてしまえば何も残らず恨みっこなしというのが碧の考えだった。
そして……
「はい、あ~んして」
容器を手に持った碧が俺にプリンを載せたスプーンを差し出してくる。
二十数年前にこんなことをした覚えがあるが、さすがにこの歳だと無茶苦茶気恥ずかしい。ちなみに碧だって熟れすぎたトマトみたいな顔をしている。
「それ、するのか」
「そ、恥ずかしいから早く。因みにこれ、ゲン君のを二つ作ったの。プリン大好きでしょ」
恥ずかしいならするなと言いたいが、ここまで自分のことを思って作ってくれたものを食べないという選択肢はない。同時に額から汗が噴き出してくるのが自分でも良くわかる。
パクッと一口でスプーンごと咥えると、額から真っ赤な顔が爆発せんばかりの湯気を出して「どう?」と訊いてくる。緊張すると本当に湯気が出るのだと初めて知った。
「ただいま~」
「グフッ」
口の中にスプーンがある状態の時に柔先輩が帰ってきたから、俺は盛大に咽せた。
あれ、春満と一緒に女子会してるんじゃないのか。
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