第33話 :「向学の集い」(一部重松視点)

「それでは、主催者を代表しまして、一力春満様のご挨拶を頂きます」


 今日は五月五日、「向学の集い」が目の前で始まっている。

 代表の挨拶は春満に押しつけた。最初は承知していたくせにギリギリになって抵抗したのだ。やらないなら俺の部屋に入れない。もちろん食事も摂らせないと言ったら涙声で「やらせて頂きますから、いじめないで下さい」と懇願して受け入れたのだ。今や碧の作る食事が彼女の生命線だから俺に逆らうのは困難だ。そもそも挨拶を拒否しようとした時点で同情の余地なぞどこにもない。


 三月に行う受給決定者の交流会とは違い、今はピチピチの高校三年生が会場に何人もいる。そしてその片隅に何故か俺がいる。

 春満から俺には何もさせないから来てほしいと言われ、仕事もないので彼女の挨拶を聞くため仕方なくここに来ている。


 春満はこういう席だと極めて真っ当な人間に見える。キリリとした服装と立ち姿、堂々とハッキリしたしゃべり方。女性にしては低音でドスが効いた声で話す様は普段していることから想像できないくらい位のザ・デキる女だ。


 挨拶の後、引き続いて来年度から奨学金の受給を希望する者達に説明を行えば、それはそれは流暢かつ丁寧に話を進めていく。俺が聞いていても惚れ惚れするほどわかりやすく、頭の中ですんなりと理解できる。旦那は経営のプロだが、彼女はそれに加えてプレゼンのプロでもあることが良くわかる。

 どうして私生活はあれ程ダメなのか誰か教えて欲しい。


 その後のパーティーの挨拶だって極めて真っ当で、スピーチライターが書いたのかと思えるくらいしっかりしている。ちょっと長いのが玉に瑕だけど。


「乾杯!」


 挨拶の後、立食パーティーが始まる。流石は界隈で著名なホテルのブッフェだけあって和洋中の料理が所狭しと並んでいる。ちなみにアルコールは出していない。流石に二十歳未満の人間がいるところで間違いを冒したくないからここは我慢──じゃなくて、なんで春満だけビールを飲んでんだ。舐めてんのか。

 しょうもない奴だと諦めて先にデザートのアップルパイを食べようとしていたら、春満がスタスタと歩いてステージに立った。とても嫌な予感がしたので、この場を立ち去ろうとしたが時既に遅し。酔っ払い女がとんでもないことを言い出した。


「皆様、本日は特別ゲストとして、本基金の副理事長である栗原玄一様がこの場にお見えになっておられます。栗原様は理事長の一力孟とともにこの基金を共同で創設致しまして──」


 余計なことを言いやがって。

 まあいい、アイツは話し出すと長いから後ろのドアから抜け出せば良いだけ……


「こらぁ、栗原、そこから逃げるな!」


 一喝した春満は皆の注目を浴び──ないで、なぜか全員俺の方を向いている。

 え、何なのこれ。視線に射貫かれた俺の足は動きを止めてしまう。


「よろしい。それでは栗原様から励ましの言葉を皆様に頂戴いたします。どうぞこちらへ」


 これだけの視線を浴びてここを去るほどの勇気はない。

 春満、あとで覚えてろ。



◇◇◇◇◇◇◇◇


「え、あれ栗原っち」


 間違いない、あそこにいるのは私の同級生である栗原っちだ。

 スーツを着て会場の隅で目立たないように立っているが、眼鏡で誤魔化しても日頃からその姿を見ていれば簡単に判別できる。

 界隈一の高級マンション、しかも最上階に住んでいる彼がここにいる理由?まさか奨学金の受給者じゃないわよね。

 良くわからないまま式典が始まった。


「春満さんまで……」


 私が受け取っている奨学金の基金主催者として挨拶をしている。受給の可否を決める面接をした理事長は男性だったけど……あとの役員の顔なんて知らなくても当たり前……ひょっとして栗原っちもここの役員なの?あ、やっぱり挨拶をするんだ。

 え、私まさか大恩人の方々といつもご飯を食べたり話をしていたの? 矢口先輩も知ってたの?


 私から数歩離れたところにいる先輩は口をあんぐりと開けている。身体が完全に固まっていて微動だにしない。あの様子じゃ今日初めて知ったのだろう。


 孤児のための施設で育てられた私は生きるために必死で勉強した。施設の先生が「一人で生きて行くには勉強こそが最も大事」だと口を酸っぱくして言っていたのだ。

 高校生になって施設を出る時に、四月一日からアルバイトを始めた。施設のすぐ傍にあるアパートに住み、家主さんのご厚意で最初の二ヶ月分の家賃を免除してくれたから次は必ず家賃を払おうとスーパーで働いたのだ。あの頃はとにかく働いてお金を貯め、大学に行くことが目標だった。


 だけど現実は甘くなかった。そんな簡単にお金が貯まる訳もなく、大学の入学金すら払えるかどうかわからない状況で進学なんてできないと諦めかけていた頃、「向学の集い」を主催している基金に出会った。

 給付制、授業料全額持ち、生活費の一部支給という夢のようなものだった。

 支給条件は二つのみ、私が通っているこの大学に進学すること。四年間の成績を半期ごとに報告すること。あとは面接による審査だけだ。


 どうしても教師になって勉強の大切さを教えたかった私は寝る間も惜しんだ。

 模試を受けるお金もなく、唯一受けた模試でA判定だった時は本当に泣いた。

 そして合格。手元に届いた通知を基金までファックスしたら次の日にはお金が振り込まれていた。凄い対応に驚いたし、心から感謝した。


 同じ奨学金受給者である矢口先輩に誘われ栽培研究会に入った私はそこで栗原っちを知った。

 正直、なんで仕事を辞めて学生になったのか理解できなかった。

 働き続けていればお金になるし、今更学校で学んでも卒業してそれが生かせるのかどうか私には想像できなかった。この人はどこか頭がおかしいのかと最初は思っていたのだが……この街一番の高層マンションの最上階に住んでいると知った時点で、私には全く理解できない大変人だと理解した。更には矢口先輩のお母さんの元カレだとか、これまた私には全然理解できない春満さんみたいな人と知り合いだったりと私の常識が全く通じない世界の人、そんな異星人みたいな人だと思っていた。


 そして今、その超絶意味不明正体不明前後脈絡不明の大変人が私の大恩人の一人であることを知ってしまった。


 私、これからどう接したら良いのだろう。そもそも呼び方からして今のままだとアウトだろう。栗原様、春満様……栗原殿下、春満女王……栗原名人、春満ママ……どうしよう。

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