第31話 : 碧の料理教室

 ゴールデンウイークに入った。

 学生であればどこかに出かけたり、自宅でノンビリできる貴重な期間だ。

 あれから碧との関係が特に変わったと言うこともない。俺は今までよりも彼女を意識するようになったと思うが、それを態度で見せるようなことはしていないはずだ。


「「こんにちは、お邪魔します」」

「ゲンちゃん、世話になるわね。これお土産。それと旦那に報告するのにこれを飾って頂戴」


 昼前から俺の部屋は騒がしかった。そして、部屋に看板が置かれている。

「第一回栗原家料理教室」と書かれたそれはレモンイエローの下地に青い文字で書かれた派手な代物だった。せっかくだから派手にやろうと言って春満が持ってきたのだ。これをバックに皆が写った写真を一力に送るとのこと。

 ちなみにコイツは毎日朝晩俺の所に食事を摂りに来るようになった。厚かましいことこの上ないが、自炊したら栄養失調に陥ることは俺でもわかるので、碧に頼んで食事を用意して貰っている。碧がこの部屋から出て行ったらどうするつもりだ。



 料理教室はキッチンの周りに集って中央で碧が解説しながら、各自交互に実習を行うスタイルだ。

 参加者は他に柔先輩、蒼衣、重松となっている。

 柔先輩と俺はアシスタントの役割があり、重松は料理は結構できる方じゃないかとは本人の弁だった。


 作るのは『季節の野菜を入れたハンバーグ』で、これは以前作ったもののバージョンアップ版なのだそうだ。


 会場を設置して、材料を並べるのは俺がやり、柔先輩がキッチン内の器具の移動や片付けをする。カウンターキッチンなので他の人間は碧を囲んで見られるようになっている。もちろん、見学後の実習もある。

 野菜のみじん切りからはじめるが、重松の手際は自ら言うだけあって流石に素晴らしい。碧に引けを取らない。蒼衣と春満はモロに初心者だ。下処理で野菜を先に炒めるのだが、これも重松とその他で圧倒的な格の違いがわかる。ちなみに春満が作るとこの段階でダークマター化しそうになっていた。どうしたらそうなるのか見ていて不思議でならない。


 本格的な教室ではないので、実際に作る場所が広い訳ではないから一度に沢山のものを並べられず、俺が次から次へと材料を出していかねばならない。


「息ピッタリね。熟年夫婦みたい」


 そんな揶揄いを春満にされても返している余裕がない。というかお前は作ることに集中しろよ。

 出来上がったものはみんなの昼食として食べることになっている。これは全員で全員のものを食べることにしている。つまり基本的には自分が作ったもの(俺の分は蒼衣が、柔先輩の分は重松が作っている)を食べるのだが、各自互評をするために一口ずつ他人が作ったものを食べるのだ。


「おいひ~」、「さいこ~」


 さすがに碧が作ったものは美味い。全員が感嘆の声を上げている。重松もほぼ同じ味がしているからレベルは高い。


「うん、これ、なかなかね」「素人ならこれで充分じゃないの」


 蒼衣のものは残念ながら明らかに前者より劣っている。理由は明らかで野菜の切り方が雑だからだ。食感が悪い部分があり、それが味を落としている。


「ま、まあ、ね」「え、ええ、えっ?」


 春満はどこをどうしたらこのダークマターが作れるのだろう。誰にも理由はわからない。このハンバーグらしきものは異世界から来たのか。味の評価をする以前の問題だ。


「何でみんなちゃんとできるの?」

「逆になぜ春……お姉さんだけできないと思う方がおかしくないか」

「う、うう……」

「まあまあ春満さん、最初から上手くできれば苦労しませんから。一緒に勉強しましょ」

「碧さぁん、グス……料理への愛情だけは誰にも負けていないつもりだったのに」


 ハッキリ言えば、この中で春満が一番人生経験を積んでいる。そしてビジネスの最前線を経験してもいる。だから誰よりもこういう場合は結果が全てだと言うことを理解していなければならない。作る人の気持ちなんて関係ないし、愛情補正もかからない。もう一口、もう一度食べたいと思えるかどうかだ。それは俺達が作っているソフトウェアの世界だって同じことなのだ。


「負けは負けだ。お姉さんの事実がわかったなら、それを改善することだ」

「く~、ゲンちゃんに偉そうに言われるなんて」

「俺なら蒼衣くらいの物は作れるさ」


 実際、俺が作った料理を春満夫婦に振る舞ったことは何度かある。ハンバーグもそのうちの一つだから彼女だって覚えているだろう。


「春満さん、ファイトです」


 重松が励ましてくれるが、春満はそのカラダを見て、


「月ちゃんには料理でもプロポーションでも勝てない~グスン」


 と、一層いじけてしまった。


「ほら、いい加減にしろ。人生の先輩なら先輩らしく事実を堂々と受け入れろ。会社に行けば『ダメなものはダメ』だっていつも言っていただろ」

「あ~ん、ゲンちゃんがいじめるぅ」

「まあまあ春満さん、何だったら私が家に居る時は何時でも一緒に料理を作りますよ」


 こら、何てこと言うんだ!そんなことを言えば──大輪の牡丹が咲くように一気に破顔した春満が碧に抱きついてくる。


「碧さん、ありがとう!貴女の背中に光が見えるわ。貴女は私の希望の星、輝くダイヤモンド、女神様で天使様で大日如来様よ。ぜひゲンちゃんと結婚してずっと私の許にいて」


 訳のわかんないこと言うな。大体どうして俺が碧と結婚することになってんだ。そしてなんでお前の所を離れられないんだ。勝手に決めるな──て、碧は赤い顔をして俯いちゃうし、その他は全員俺のこと見てるし。


「後輩君……そういうつもりでお母さんを……」

「違う違う、そんな下心が《最初から》あった訳じゃない」

「最初からってことは、今は」

「それは……」

「わかった。私も少し考えることができたから今日はこれでおしまいにするわ」

「柔先輩……」


 彼女はエプロンを外し、部屋から出て行ってしまった。

 俺はその後ろ姿を呆然と見ていることしかできなかった。



「ごめんなさい、本当にごめんなさい」


 俺と碧の前で額を床になすりつけながら必死に謝る春満がいる。


「春満さん頭を上げて」

「だっでぇ」

「ううん、私は怒ってないし、ゲン君だってそうでしょ」

「ま、まあ、そこまで怒る話ではない……かな」

「だから春満さん、さあ、一緒にご飯食べましょ。少し冷めちゃったかも知れないけど。せっかく作ったものだから食べてあげないとお料理に失礼だから」

「碧さぁん、やあっぱり貴女は女神様よ~」


 こういう優しい碧に俺は惚れてたんだよな、改めてそう思ってしまう。


「ゲン君ごめんね。あの子、お父さんの思い出って殆どないから、たぶん父親がいるって想像できないのよ。だからあんな風に……」

「俺も悪かった。もう少し言葉を選ばないと……まあ、時間が解決してくれることもあるさ。さ、皆で食べよう」


 柔先輩の分にラップを掛け、それぞれのものを食べたのだが、俺の分は何故か春満が作ったものを半分交換させられていた。「それが男のマナーって奴よ」などとほざくな。

 さっきの件があったから春満は借りてきた猫みたいに静かだ。他方で蒼衣と重松が気を遣っているのか碧に料理のことをしきりと質問している。春満がいなければ微笑ましい一時なのだろうが、シュンとしている彼女はどこか気の毒でもある。


「お姉さん、もっとしっかり食べなよ。何ならお姉さんが作った奴と全部交換するよ」

「うん、いいの。罰を受け入れるのも人生よ……でも、交換して」


 本当に反省してるのかよ。


「ゲン君は碧さんとどうしたいのよ」

「俺はまだ……」

「まだ決めていないの。だから陰キャボッチコミュ障童貞なのよ」


 春満が徐々にペースを取り戻してきた。


「この前も言ったけど、オトナの恋は短期決戦あるのみだからね」

「それはわかっているけどね」


 ある年齢以上になると、先が短いことを知っているからなのか、知り合って即カラダの関係になることは珍しくないと聞いたことがある。まさかそこまで考えてはいないが、確かにゆっくりと愛を育んでなどと言っていられるほど時間がある訳でもないことはわかっている。


「ふふ、だ、か、ら、ね」


 ニタリとした顔で口を開く。こういう立ち直りの速さこそが彼女の取り柄でもあるし、ビジネスでも生かされている。その部分しか知らなければデキる女だ。


「その代わり、良いアイディアがあるの」

「嫌な予感しかしないんだが」

「お姉さんを信じなさい」

「放っておいたからこうなったんだろ」

「それは……」

「春満さん、教えて欲しいことがあるんですけど」


 おお、蒼衣ナイスなタイミングだ。何の話題かわからないが女子トークに春満を混ぜてくれればこっちも余計な気を遣わなくて済む。その間にハンバーグを食べてしまえ──全部食べたら腹が壊れるだろうなぁ。フードロスを取るかカラダを取るか、悩ましい二択だ。

 俺的はフードロスは避けたい。ああ

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