第29話 : 忘れてはいけない
「ところで、二人はいつ籍を入れるの?」
「「はぁ?」」
何言ってるんだ。そりゃあ俺と碧は昔付き合っていたが、今はそう言う関係では全然ないし、恋人だとか意識したこともない、はずだ。とはいえ──
家に帰れば「お帰りなさい」と声がするし、ソファに座ればお茶を出してくれる。料理は美味いし、身の回りも片付いている。一緒に住んでいて凄く心地が良い。と言うかこの生活がなくなってしまうのが怖い。碧との暮らしを失いたくない──碧って俺にとって何なのだろう。
急に碧のことを意識しだしたら止まらなくなった。
昔から誰に対してもずっと優しかった彼女。とても家庭的で卒業して結婚すれば最高の奥さんになってくれると思っていた。
田舎暮らしでも小さい一軒家に住み、夫婦二人と何人かの子供がいてワイワイ賑やかな家庭。休日には近所の公園でピクニックをしたり、川で遊ぶ姿を妄想していたっけ。
もちろん、子供を作るためにはその行為が必要な訳で、二人で生まれたままの姿で同じベッドに入って……などと考えていたら急に身体が熱くなった。もちろん、下半身も平常ではいられない。盛りの付いた高校生かよ、俺。
「あら、ゲンちゃんまんざらでもないみたい。ふふ、かわいい」
「ふざけたことを言うなよ」
「ううん、大真面目よ。だって端から見てれば夫婦にしか見えないもん」
「お、俺はともかく碧が迷惑だろ。彼女にはちゃんとした旦那さんがいたんだし」
「それ、いつの話、人間いつまでも過去を引きずっていたらダメって貴男が行っていた台詞でしょ」
「そりゃそうだが」
「悪いと思ったけど、碧さんのことを少しだけ調べたの。だってゲンちゃんが美人局にあったら困るでしょ」
「ちょ、何を言い出すんだ。碧に失礼だろ。だいたい彼女は火事に遭って居場所がなくて……」
「ゲン君、ごめんなさい。迷惑だったのね……」
「とんでもない。碧は全然悪くない。こら、春満いくら何でも言い過ぎだぞ」
「お姉さんでしょ、ゲンちゃん。話は最後まで聞きなさいよ。碧さんはそう言う人じゃないことは私も良くわかったの。どれ程の人柄かも今のことで理解したわ。だから安心してゲンちゃんにお勧めできるからそう言う話をしてるの。彼女は最優良物件よ。そんな人を見す見す逃してどうするの」
おちゃらけた様子なぞ微塵も感じさせないハッキリした口調で俺に迫ってくる。
「どうするの。結婚するんでしょ」
彼女と再会してからまだ一ヶ月に満たないし、そもそもこれからどういう関係でいようなどと深く考えたこともなかった俺へそういう風に迫られても困る。
「そんなこと……今はまだ」
「まだですって、歳を取れば時間が経つのは早いのよ。まだじゃなくて今すぐ、でしょ」
「俺一人でどうのこうのという話でもないだろう」
そう言いながら碧を見れば俯いていて顔が見えない。僅かに見える耳たぶは真っ赤だ。
「それじゃ、碧さんはどうなの」
「わ、私は」
顔を上げた碧はトマト並みに赤い顔をいていた。こういう彼女を初めて見る。
「ゲン君が嫌いだったらここにいません」
「好きってことで良いのね」
「……いや、それは……」
「いや、待て、春満がそれを無理に言わせただけだろ。彼女には最愛の旦那がいたことは確かなんだから。俺のごときじゃその代わりになれる訳がない」
「春満じゃなくてお姉さんよ。ゲン君、あなたが誰かの代わりになるなんてできる訳がないでしょ。だから今まで独身で童貞だったのよ。彼女が口籠もっている意味がわからないの?」
「春満さん、もう結構です」
「ダメよ……って、今のゲンちゃんだと理解できないかな。まあいいわ。お姉さんは今日は帰るわ。でもね、ゲンちゃん、いや、栗原玄一君、貴男はもっと女心を理解しないとダメよ。青春を取り戻すってことは女の子のことを知ることでもあるのよ」
また来るからねと言い残し、碧にウインクをしてから彼女は去って行った。
柔先輩が戻るまでまだ時間があるから、残された俺達二人はどこか気まずい雰囲気の中、冷めたコーヒーを飲んでいた。
「ゲン君、あのね」
先に口を開いたのは碧だった。
「さっきのことだけど……」
「俺のことを好きだとと言ったことか」
「ううん、私の口から好きだとは言ってないよ。あれは春満さんが言っただけ」
「だよな。碧には愛する旦那がいた訳だし、俺がそれを上書きできる訳が「そうじゃないの」」
言葉を切る碧の眼は心なしか涙ぐんでいるように見える。
「その……ゲン君と再会してからまだあまり時間が経っていないけど、さっき春満さんから言われてわかったことがあるの。あの……たぶん、いや、間違いなく私はゲン君のことが好きよ……でも私は
「……」
この場合どう返すのが正解なのだろう。言葉によってはこれまでの関係を一瞬で壊してしまいかねない。春満に言われたとおりコミュニケーション能力が圧倒的に不足している俺では何もわからない。
その後、ベッドに寝ながら天井をぼうっと見ている自分がいた。
「女の子のことを知る」という春満の言葉は経営者と社員としてしか女性と接してこなかった自分が如何に恋愛偏差値が低いかを教えられた気がした。
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