第24話 : 柔の昔話

 ゴールデンウイーク中から碧が仕事に本格復帰することとなった。ただしシフト、特に夜勤の回数を制限するように俺が頼んだ。

 再会した頃よりも今の碧は血色も肌つやも俄然良くなっている。疲れが溜まっていたのだろうから、もう少し休めば良いと思うのだが、本人の話だと他の人に迷惑を掛けるのは心苦しいと言っていた。


 そして今日は帰宅しても碧がいない。

 しばらく介護の仕事を休んでいたので復帰に向けて現場勘を取り戻すために午後から夜勤開始時間まで働いてくるのだそうだ。帰宅予定は午後九時頃だという。


 俺と柔先輩の二人で碧が作っておいてくれたカレーを食べている。所謂タイ式のカレーでココナッツミルクの香りが効いたスープカレーだ。彼女と二人だけの食事というのは初めてで、お互いどこかぎこちない。


「……」

「……」


 碧がいれば学校での出来事だとか、ニュースに関する話だとかを振ってくるのだが、こちらから話題を切り出すと言っても何を話したら良いのか皆目わからない。高校時代の同級生とは親しい友人が少なかったとは言え、ここまで無言で食事をした記憶がない。ジェネレーションギャップなんて言葉を思い出し、そう言う物かと納得するが、だからと言ってこの状況が好ましいとも思えない。


 世の父親なんて皆こういう気持ちで娘と食事をしているのだろうか。


「柔先輩……」


 仕方がないので、俺から何とか話題を切り出そうと口を開けたものの、名前の次が続かない。仕事柄スマホのアプリやPCに関してそれなりに詳しいが、今の若者のトレンドなんかになると全然わからない。ファッションも芸能も無学と一緒だ。


「どうした?」

「いや、碧は今頃何してるかと思って」


 情けない。自分でも嫌になるくらい情けない。碧のことを聞いたって柔に仕事の中身なんかわかる訳がないし、それを知っていたとしてもどうやって話を続けるのか自分でもわからない。こんな言葉しか出てこないとは俺も相当ヤキが回ったと思う。


「うん、今頃は食事の介助が終わって、入居者の歯磨きをしているか排泄の介助をしているじゃないかな」


 え、そういうこと知ってるの?と疑問が湧いたが、柔先輩は「私も臨時で働いたことがあるから」とあっさり事情を話してくれた。


「昔、お母さんがインフルエンザで寝込んだことがあって、施設に連絡したらどうしても代わりの人が居ないから手伝って欲しいと頼まれたことがあったの。あの仕事は本当に大変よ、頭が下がるわ」


 それから彼女の昔話を問わず語りにしてくれた。

 父親のことは田中に聞いたとおりだった。二歳の時に亡くなった親の顔は写真でしか知らず、それ以上の思い出はないという。小学校の頃から貧乏だといじめられ、塾通いの子達を見返すために必死で勉強をしたのだそうだ。


「ゲーム機もスマホもなかったから、やることと言えば図書館で読書と勉強をするくらいだった」


 そう語る彼女は明らかに寂しげだった。



 カレーがすっかり冷めた頃に俺達は食事を終えた。

 柔先輩が話してくれたのだから、俺も自分のことを話さないとマズイとは思ったのだが、結構な時間が経っている。その話はまた後でしようと伝えようとしたら、「後輩君の話も聞きたいな」と言われた。生きている時間が倍以上あるから長話になる旨を伝え、別の機会に必ず話すことを約束した。


 食器を片付けている最中に碧が帰ってきた。

 同時に柔先輩は自室に行ってしまった。

 碧を一人で食べさせるのは悪いと思い、テーブルで待っていると彼女は賄いを食べたという。そんな場所に賄い食があるのかと驚いていたら、味見を兼ねて必ず誰かが食べるものなのだそうだ。


「あの子どんな感じだった?」

「昔話を聞かせてくれたよ」

「!」


 目を見開いて驚くほどのことかと思うが、彼女がそう言う話をすることはほぼ無いのだそうだ。貧しかった記憶を自ら消し去ることが今を生きる原動力になっているようだという。だから二人になると将来の話しかしないと寂しそうに言う。

 碧としては実現しない夢物語ばかり聞かされても、現在は過去との連続した線上にあるのだから、過去の経験を生かして未来を考えて欲しいのだが、そのあたりは小学生並みだと嘆いていた。トラウマになるような辛い子供時代を送ったのだろう。が、希望が全く持てないよりは遙かにいい。具体的にどういうことを考えているかは知れないが、俺が少しでも力になれればと思う。


 もう少しでゴールデンウイークなので柔先輩とゆっくり話す機会があると良いのだが。

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