第13話 : 崩れゆく建物

 蒼衣、蒼衣……まさかな。

 蒼衣という名前から思い浮かぶことは一つしかない。


 蒼衣コーポーレーションのことは俺でも知っている。確かウチの会社へも業務提携のオファーがあったはずだ。最終的には売り上げ三兆円規模の企業グループがどうのこうのと一力が俺に説明していたと思う。そう言う面倒ごとを全て彼に放り投げてきたので詳しいことは承知していないが、当然断っているはずだ。


 仮に蒼衣がその会社の関係者だとすると、まさか俺のことを知ってM&Aのきっかけ作りをしようと考えているのだろうか。未成年の娘を使うなんて大袈裟なことをして何の利益があるのか。そもそも仮にあの会社の令嬢だとしてどうしてこんな田舎の学校に通っているのだろう。


 こういう時は一力の力を借りるに限る。スマホで調査を頼むと「調査料は役員報酬から天引きだ」と笑って言われた。

 彼はこの手のリサーチに関してはプロ以上だ。だからこそこの業界で生き残れているのだと思っている。顧客のニーズを掴むことに関しては結構なアドバンテージがあることが会社の強みだ。



 翌朝、食パン一枚に薄くバターを塗るだけの朝食を摂っているとスマホが鳴る。

 どんな連絡にも反応できるよう普段は最大音量で着信がわかるようにしてある。


「栗原、おはよう」


 スピーカーから一力の引き締まった声がする。オフィスの最前線にいるようだ。


「細かなことはメールで送っておいたよ。このモーニングコールはサービスだぞ」


 笑いながら一方的に切られた。いつもの感じと大差ない。

 変なところで勘は当たるもので、蒼衣はまさかのご令嬢だった。しかもお嬢様女子校の出身で、全国模試一桁の常連だという。東京からわざわざこんな田舎の大学に来なくても良いだろうに……

 そう考えると蒼衣が会社のエージェントとしてこの学校にいるのは不自然ではない。

 が、父親の立場とすれば娘をそんな風にビジネスの道具にするものだのだろうか。親になったことがないからわからないが、俺なら絶対にそうはしない。


 いくら考えてもきりがないので、とりあえず様子を見ることに決め、仕事の話になったら断るだけのことだと決めて学校に向かった。



「栗原、おはよう」


 2コマは現代文学の講義だ。

 高校三年生の時、俺は仕事を始めるかこの学校に進むかで悩んでいたので、俺の青春と言えば学校選びの選択肢は一つしかなかった。

 その頃学びたかったのはコンピュータ関連のことではなく、文学だった。プログラミングはあくまで趣味で、国語の教師に就くことが夢だった。この学校には文学部はないので、一番近いのが教育学部だった。そして、憧れの教室には──蒼衣が待っていた。


「蒼衣、おはよう」


 努めて平静を装い、挨拶を交わすが、どうにも顔をまともに見られない。こいつが何を考えて俺の傍にいるのか。本人に聞けば一番早いのだろうが、本当のことを教えてくれるとは思えない。どうすべきかの答えが全く浮かんでこない。

 二十歳前の学生ならこんなことを考えることはなかっただろうに。 


 ともかくも講義は真面目に受けたい。

 最前列近くに席を取り、憧れの時間を過ごした。

 蒼衣のこと、仕事のこと、元カノのことなど全て忘れて自分とほぼ同世代と思われる先生の話を聞いた。

 専門家から見れば通り一遍の話かも知れないが、ド素人の自分にはとても新鮮で、学ぶ面白さを改めて知った。板書をスマホで撮ることはしない。昭和かよと言われそうだがノートにシャープペンシルを走らせ、一言一句聞き逃さないよう書き進めていくのは、俺がイメージしていた学生そのもの──至福の一時を味わった。



 蒼衣からは特にアプローチもなく、帰路に着く。

 この街の風景にも慣れてきた。高校生だった頃に何度も訪れているのだが、歳を重ねた後に再び歩くのとでは感じ方が最初はまるで違っていた。

 地方都市が寂れているのは知っていたが、特に裏通りはひどかった。


 シャッターしか見えない通りを歩いていたら、何台もの消防車がサイレンを鳴らしながら猛スピードで走り抜けていった。確かあの方角は……まさか。


 野次馬根性は持ち合わせていないが、胸騒ぎのせいで気が付けば早足で歩いていた。とある角を曲がると目の前に白煙が広がっている。その先には消防車が見える。そして燃えているのは見覚えのある建物──矢口のアパートだ。


 恐らく矢口本人は学校にいるはずだが、碧は彼女を送り届けた時二回とも家に居た。

 木造のアパートから見える火の勢いは屋根を遙かに超える高さまで吹き上がっており、二十メートル近くはあるのではないだろうか。そこから風に流れて煙がこちらにやって来てる。


 木材が燃える臭いが充満している中、人をかき分け近づけそうな場所の最前線に辿り着くと、そこに碧がいた。

 恐らく着の身着のまま逃げてきたのだろう。ルームウェアとおぼしきジャージに小さなショルダーバッグを斜めがけしている。


「碧!」


 現場を見つめる彼女がこちらを向くと炎に照らされた頬が濃いオレンジ色をしている。


「ゲン君!」

「無事か」


 数人にぶつかりながら強引に彼女の元に近づくと、人目も憚らず俺の胸に涙目を見せながら飛び込んでくる。


「あ、ああ、おうちがぁぁ」


 ついさっきまでの住まいが火に包まれているのだから冷静でいられる訳がない。

 消防車の放水を見ている限り、目的は鎮火ではなく延焼を防ぐためのもののようだ。それ程までに火の勢いは激しく、三十メートル以上離れていても時折熱気を感じるほどだ。


「うぅぅぅ」


 胸の中で泣いている碧の肩を抱きながら、碧と矢口がこれからどうしたら良いかを考えていた。

 どこかで雨風を凌がなくてはいけないし、今後の生活をどうするかと言うこともある。当座の避難先と言っても思い浮かぶのは駅前のホテル……その費用……合理的なのは……俺のマンションなら使っていない部屋がある。


 今の部屋は4LDK仕様で、自分が使っているのはリビングと十畳ある寝室だけ。リビングの一角を形だけのリモートオフィスにしてあるが、そこを寝室に移せば問題はない。

 つまり三部屋が自由になるから、どこかに二人を住まわせることは十分可能だ。

 生活費は俺が負担してもかまわないから、その間に生活再建策を考えれば良い。俺が卒業するまでそれで良しとすれば期間はタップリある。


 そんなことを考えながら崩れ落ちていく建物を見ていた。



「この建物の住民の方、関係者の方はいませんか~」


 消防職員が大声で呼びかけている。

 腰が抜けている状態の碧を支えるようにしながら俺は右手を挙げた。


 色々と聞かれた後、連絡先を教えたら、最後にこれからの滞在先を訊かれた。

 そんな簡単にわかる訳がないだろうと思い、お役所的対応にカチンときたが、そこは顔に出さず「私の部屋に一時避難してもらいますからご心配なく」と答えておいた。


「え、そんな!」


 まだ泣いていた碧がかっと目を見開いてこちらを見たが、それを気にしている場合ではない。俺の住所と携帯番号を教え、スマホを差し出し、偽りがないことを確認してもらってから後日、燃え残った品物の確認と引き渡しなどについての説明を受けてその場を後にした。


「ゲン君、さっきの話だけど、貴方にそんな迷惑を掛けられないよ」

「別に迷惑だと思っていないさ。それに矢口──柔先輩のこともあるだろ」

「それは……」

「ま、これも何かの縁だろう。ともかくも柔先輩に連絡をして、今後のことを考えよう」

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