第11話 : 隣部屋の新住人

 翌日の午後は部活に顔を出した。部室で着替えてから現地に行くのだという。

 自分の格好は上下黒のジャージに黒い長靴。


「後輩君、まるでカラスだね」


 部長からそう言われる。

 あれから色々と考えた挙げ句、「後輩君」との呼び方に決まったのだそうだ。名前に君と付けると失礼に感じるから、後輩という立場で呼べば違和感が少ないだろうということで皆と決めたのだという。だから……


「後輩君、期待しているからね」


 矢口からもそう呼ばれる。確か出会った時も後輩君と言われた記憶があるから、それが一番呼びやすいのだろう。敬語を使わないことに関してはできる限りでかまわないかと部長に言われたので、そこまで気を遣わせても悪いと思い、それで良いと承諾している。オトナの妥協点を考えればそんなものだろう。

 で、上級生はそれでいいのだが、


「く、栗原さ……じゃなかった栗原君、頑張ろうね」


 もの凄くぎこちない口調で重松が話しかけてくる。ちなみに蒼衣からは何の躊躇いもなく「栗原、やるぞ」と言われた。あとで重松にも呼び方については徹底してもらおう。



 学校からバスに十五分ほど乗るとポツポツと田んぼや畑が見えてくる。東京、特に俺が住んでいた赤坂界隈では絶対に見ることのできない風景だ。

 それから数分、バス停で降りてから徒歩五分で栽培研究会が借りている畑に着く。

 ここには三畳ほどのプレハブ小屋があり、農具の倉庫兼臨時の更衣室となっているそうだ。


「早速だけど、これが今日の役割分担だから」


 このサークルは野菜の栽培を主に行っている。簡単に言えば皆で家庭菜園を作っているようなものなのだ。その他に援農みたいなことも時折していると言うが、主たる活動は自分達のための野菜作りだ。

 今日はトマトやキュウリなどの夏野菜を植え付けるという。


 数日前に耕運機で耕してある畑は草一つなく、平らになっていた。

 田舎育ちの俺が見れば普段からきちんと管理されていることが見て取れる。割と真面目に活動しているのだろう。


「それじゃ始めるよ」


 先輩達が鍬で直線の溝を掘っていく。これは結構難しい作業で、俺もその昔実家で手伝ったことがある。一人三メートルずつ位がノルマなのだが、この間に曲がってしまう者、掘りが浅すぎる者などたったそれだけの長さに溝を掘るのにあちこちから指摘が入っている。

 俺はと言えば、そういう連中と大差はなく、矢口があとからやって来て「見ていなさい」と言いながら綺麗に修正していった。

 さすがは副部長だと見直した。お酒でポンコツにならなければ結構優秀なのだろう。



「お疲れ様」


 何だかんだで二時間以上かかってトマト、茄子、キュウリ、ピーマンを各五十本ずつ植え付けた。これから一ヶ月の間に枝豆、オクラ、ズッキーニ、カボチャ、更にはスイカなどを作付けするのだそうだ。キュウリなどは生長が早いので六月には収穫できるようになっているとのこと。


「当番表に従って管理をしてもらうから、各人予定しておいて欲しい」


 だいたい二人一組でほぼ毎日管理が必要になるのだという。

 今はまだ草も碌に生えないが、ゴールデンウイークを過ぎると草との戦いが待っているそうだ。それとキュウリなどは一日で結構草丈が伸びるからそれを誘引したり、余計な芽を摘んだりと梅雨明けくらいまではとにかく忙しいのだと言われた。

 今のところアルバイトをする予定はないので、こういうことに使える時間は多い。

 仲間と一緒に何かをするというのはとても学生らしくて良いな、などと考えながら帰路に着いた。



 今日は何事もなく家に帰ってきた。

 俺の住まいは駅前のマンションの最上階、二十二階の角部屋だ。不動産屋にいくつかの条件を希望したらここを勧められ、他を探すのも面倒くさかったからそのまま即金で買ってしまった。後で聞いたらこの街では最高値の物件だそうだ。知らないと言うことは恐ろしい。

 このフロアには六部屋あり、その下までのフロアが各十四部屋あることを考えればとんでもなく贅沢な作りになっている。が、当然価格も高く、東京でも結構豪華な物件が手に入るくらいの金額はする。

 学校を卒業したら売ってしまっても構わないと思っているので、この程度は投資と考えればさほど無茶な買い物ではない──はずだ。


 問題はこの最上階のうち、実際に住んでいるのは二世帯しかないと言うことだ。

 恐らく高価すぎて買い手が付かないのだろう。


 もっともそのお蔭で隣近所などとの付き合いはないし、東京時代だってそんなものだったから、気儘な一人暮らしをこれからも楽しむ予定でいた。

 過去形なのは今日は隣の部屋に住人が越してきたようなのだ。

 引っ越し業者らしき人達が部屋の前に荷物を並べている。

 このマンションは引き渡しの時に大物の家具や最高級家電が付属してくるのが売りで、俺が引っ越した時には八十インチのテレビや十キロタイプのドラム式洗濯機などがセットされていた。

 そんな所だから小さな家具が少しあればすぐに生活は出来るはずなのだが──沢山並んでいるのは「本」と朱書きされた大きな段ボールだ。


 どんな人が住むのだろうと思いながら、その荷物を眺めていたら「こんにちは」と聞き覚えのある声がした。

 顔を向けると、


「これから宜しくお願いします。栗原さん。学校じゃないから敬語を使いますね」

「え、あ、あ、蒼衣、君がここに住むのか」

「もちろんです。それでは片付けがあるので失礼します」


 蒼衣がこのマンションを買う?いやいや、普通の人間には絶対にこの金は出せない。家族が買うとしてもどれだけ金持ってるんだ──人のことは言えないけど。

 ゲンダームの件もあるし、こいつ一体何者だ。

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