第9話 : 重症二日酔

「栗原、先輩は大丈夫なの?」


 少し震えるような声で蒼衣が俺に訊いてくる。

 このテーブルにいるのは俺、蒼衣、矢口の三人。

 しっかり意識があるのは俺、蒼衣の二人。もう一人は机に突っ伏している。意識は……知らない。


「学校まで来られたなら恐らく大丈夫だ。お酒デビューだと言っていたから全然耐性がないんだろ。ともかく今日はダメだろうな」

「な、なんだって」


 アルコールで喉をやられたのか、少ししわがれた声で矢口が反応した。


「何でもないですよ。それよりもこんなことじゃ身体に悪いですよ」

「う、うるさい……ヴッ、あ、頭が……」


 二日酔いでもこれは重症だ。とても学校にいられる状態じゃない。

 昨日のことでこの人の家は知っている。俺が送ってやれば済む話なのだが。


「先輩、相当気持ち悪そうですよ」

「みたいだな」


 蒼衣も相当気になるのだろう。矢口の背中を擦っている。これは流石に俺はできないと思ってしまう。


「仕方がない。矢口先輩の家は昨日のこともあって知ってるから俺が送り届けるよ」

「え、また栗原と二人きりで」

「そんなに驚かなくてもいいだろ。心配なら蒼衣も一緒に来るか」

「一緒にって……まさか嫌らしいこと考えてませんよね」

「そっちこそ何を考えてるんだ。オッサンが皆スケベだと思ったら大間違いだぞ」


 正門前でタクシーを拾うと目的地を告げる。


「詳しいんですね」


 蒼衣が疑いの目を向けてくるが、ここは俺のホームグラウンドでもある街だ。

 住むのは今回が初めてだが、来たことは何度もあるからある程度の地理は頭に入っている。


「俺はこの土地の出身だからな。それとこの前も言ったけど敬語はいらないよ」

「さすがにそこまで無礼にはできません──けど、栗原の頼みならタメでいくようにします」


 うん、やっぱりこういう学校に来る人間は堅物が多いのだろうか。それとも俺が歳を取りすぎているのか。恐らく後者だろうが、それを認めたくはない。いくつになっても青春がしたいのだ。


「ほら先輩、乗りますよ」


 蒼衣が一番奥になり、真ん中に矢口、最後に俺が乗る。

 今日は流石に吐く心配はないだろうから、この順番でも心配ない。 


 昨日も来たアパートに車を横付けして、今日は車を返してしまう。昼間なら配車アプリで簡単に呼べるはずだ。


「はい、ここですよ」

「ウィ~、わかってるって」


 碧は仕事に行っているんだろうと思いながらインターホンを鳴らすと、予想外に在室していた。瞬間、心臓が跳ねた。

 二日続けてこの部屋に来るなんて、娘を狙っているアブナイオッサンか自分に未練があるのか、そんな解釈をされないだろうか。ストーカーにまで堕ちたのか。そういう風に見られないか。蒼衣に全てを任せてここから逃げ出したい衝動に駆られる。

 が、そんなことをできる訳もなく、ドアが開いたらそこにしっかり碧がいた。


「ゲン君!」


 第一声がそれだった。もちろん蒼衣も聞いている。


「二日酔いが酷いから送ってきた。あとは任せるから」

「いや、それじゃ申し訳……」


 恐らく蒼衣の姿が見えたのだろう。俺のことをゲン君と呼んだことをしまったと思ったのか慌てて口を塞ぎ、目を見開いている。


「そちらの方は……」


 やっと絞り出した声がそれだ。蒼衣を見れば俺のことを怪しいものを見る目で睨んでいる。


「この人は俺の同級生。同じサークルにいる彼女の後輩どうしだ」

「先輩のお母様、はじめまして、蒼衣と申します。先輩にはお世話になっています」


 ウチの会社でもこれ程綺麗な所作ができる奴はそうそういない。見惚れるほど美しいお辞儀をしながら自己紹介をした。

 そう言えば、俺のことをゲンダームと呼んでいたし、コイツは一体何者なんだろうか。


「あ、あら、そんな丁寧にしなくても」


 焦る声が聞こえるが、そりゃそうだ。まさか学生からこれほどしっかりした挨拶があるなどと普通は思わない。


「ともかくも彼女を任せるから。ほら、先輩、自分で歩いて行って下さい」

「あ、あ~」

「こら、柔!皆に迷惑掛けちゃ駄目じゃない!中へ入りなさい!」

「は~い、はい、はい」


 明らかにまだ酔っ払いみたいな声を出してふらふらと中へ入っていく姿が見えた。


「申し訳ありません。柔が大変な迷惑をお掛けしまして」

「いや、それ程でもないけど……あまり怒らずに休ませてやって下さい。初めてお酒を飲んだ若い奴なんてそんなものですよ」


 他人行儀な挨拶だが、蒼衣が傍にいるからあまり馴れ馴れしくしてはいけないと思っている。何も隠すことなどないのだが、碧との関係を変に詮索されたくはない。


「わかりましたけど」

「けど……」

「このまま返すのは申し訳ありません。どうか粗茶の一つでも」

「いや、まだ学校で用事があるので」


 社交辞令とわかっていても誘われたことが少し嬉しかった。

 が、あくまで形式上のものだ。もしも話をするなら誤解を招くようなこういう場所ではなく、それなりに整った所が良い。今は引き時だ。


「迷惑を掛けたのにそれでは申し訳「栗原、遅くなるから戻りましょ」」


 蒼衣が言葉を被せるようにしてきた。言葉に棘を感じる。


「そう……それなら別の機会にお礼を」

「そんなこと気にしないで……下さい。大切な先輩ですからこの位のことはします」

「「大切な!」」


 妙なところで二人でハモったが、納得はしてくれたようだ。


 タクシーの配車アプリで近所まで車を呼び、学校まで戻る。そのまま部室へ向かうと部長の福添ふくそえ先輩が何やら本を読んでいた。


「「こんにちは」」

「こんにちは、昨日はお疲れ様」


 この人はあっけらかんとしている。確かそれなりの量を飲んでいたはずなのだが。


「栗原さんはお酒大丈夫でした」

「ええ、俺は結構強い方ですから」

「なら一安心です。それと柔ちゃんを送ってくれてありがとうございます。彼女、お酒デビューだから心配してたのですど、案の定ね」

「その件ですが」


 矢口が今日も二日酔いでダメだったことを伝え、今後は少し飲む量を控えるように言って欲しいとお願いしておいた。


「わかりました」

「それと、お願いがあるのですが」

「何ですか?」

「俺のことさん付けで呼ぶのをやめてもらえないでしょうか」

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