密室大犯罪

 秋ばれの好天気。氷川の勝海舟邸の門をくぐったのは、うかない顔の泉山虎之介であった。よほど浮かない事情があるらしい。

 玄関へたどりつくと、ここまで来たのが精いっぱい、というように、玄関脇に置いてあるとう椅子にグッタリとつかまって、吐息をついた。こわれかけた籐椅子がグラつくのも気づかぬていに腰かけて、額に指をあててジックリと考えこんだが、ミロクさつのような良いはうかばないらしい。時々、思い余って、ホッとためいきをつく。鯨が一息入れているようなおお袈裟げさな溜息だが、本人はその溜息にも気がつかないらしい。よほど大きなはんもんと真ッ正面から取り組んでいるのだろう。

 彼は思いきって立ち上った。出発寸前の特攻隊の顔である。自分の思考力に見切りをつけるということが、この大男には死ぬ苦しみというのかも知れない。

 女中におとないを通じると、例によって海舟のお側づきの女中小糸が代って現れて、奥の書斎へみちびいてくれる。早朝のことで、ほかに来客はいなかった。

「早朝よりせいひつを騒がせまして、無礼の段、特におゆるし下さりませ」

 声涙ともに下るという悲痛の様で、あやまっている。いつもながらのおおぎようさに海舟は笑って、

「借金の依頼、身の振り方の相談、オレのところへは相談ごとにくる人間が絶えたことがない。人殺しのきようじようもちが、かくまってくれといってきたこともあったよ。二、三日おいてやって、ここはもう門前に見張りの者がついている。危いから、これこれの人を頼って行けと握り飯を持たせてやったが、この男は立ち去るまで挙動は尋常で、食事なども静かに充分に食べて、夜も熟睡していたぜ。虎はどうだエ。ゆうべは眠っていなかろう。お前ほど思いみだれて智慧をかりに来た人はいないが、探偵は、皆、そんなものかえ」

「ハ。凡骨の思慮のとどかぬ奇ッ怪事が、まま起るものでござります。内側よりカケガネをかけ密封せられたる土蔵の中で、殺された男がございます。犯人は外へのがれるはずはありませんが、煙の如く消えております」

「今朝の新聞で見たが、にんぎようちようの小間物屋の話かえ」

「ハ。まさしく左様で。本朝未聞の大犯罪にござります」

 人形町の「川木」という小間物屋で、主人の藤兵衛が土蔵の二階の部屋で殺されていたが、発見されたときは部屋の戸に内側のカケガネがかかっていたという。そのころの新聞記事というものは、三面記事の報道に正確を期するような考えはない。面白おかしく尾ヒレをつけ興にまかせて書きあげた文章であるから「上等べつぴん、風流才子、美男番頭、いづれ劣らぬ達者なシレ者、馬脚をあらはすそも誰人か」と結んであるのがその記事である。上等別嬪というのは藤兵衛のめかけ、おまきのこと。こんな記事を読んだところで、犯人の見当をつける手掛りにならないばかりか、とんだ噓を教えこまれるばかりである。

「藤兵衛は土蔵にくらしていたのかえ」

「土蔵の二階半分を仕切りまして、居間にいたしておりました。一代で産をきずき、土蔵もちになったのを何よりに思っておりましたそうで、常住土蔵にして満足を味っていたのだそうでございます」

「妻子も土蔵の中にいるかえ」

「いいえ、藤兵衛一人でございます。至って殺風景な部屋で、なんの飾りもなく、年々の大福帳と、大倉式の古風な金庫が一つあるだけでございます」

「ハバカリは、どうしていたえ?」

「さ。それは聞いておりません」

「そんなことも一度はしらべておくものさ。罪の根は深いものだ。日常のくらし、癖、それをようく知ってみると、謎の骨子がハッキリとしやすいものさ。それでは、お前が見てきたことを、語ってごらんな。後先をとりちがえずに、落付いて、やるがいいぜ」

「ハ。ありがたき幸せにござります」

 虎之介は思わずニッコリと勇み立って、ひとひざのりだして語りはじめた。


    *


 藤兵衛はよこやまちようの「花忠」という老舗しにせでつからたたきあげた番頭であったが、主家は重なる不幸があって、主人はわが家に火をつけて、火中にとびこんで死んでしまった。それが寛永寺の戦争の年だ。主家は没落したが、白鼠の藤兵衛は、自分だけは永年よろしくやっていたから、少からぬたくわえができている。年も、三十。独立して踏みだすには盛りの年齢であった。

 人形町の今の場所にだながあったから、それを買って、開店した。没落した主家の顧客を誰に遠慮なく受けつぐことができたし、自ら足を棒にして、新しい顧客を開拓した。商売は盛運におもむいて、店を立派に新築し、地つづきのうらだなを買いとって、離れと、大きな土蔵をつくった。これを一時期として、彼は土蔵の二階に居間をつくって、金庫と帳簿を抱えて住みつくことになり、店を番頭にまかせたが、彼には、彼のあみだした方針があった。

 近所の横山町には小間物店の老舗がそろっている。シッカと年来の顧客をにぎって、微動もしない屋台骨を誇っている。新規開店の川木では、そうおさまってはいられない。彼自身も足を棒にして顧客を開拓したが、今後もそれを怠るわけにいかない。

 小間物屋の顧客は主として花柳界、つづいておやしきや大商店の奥様お嬢様などであるから、そこへ出入りする番頭は、男ッぷりがよく愛想がよくて、御婦人方の気に入られる男でなければならない。ところが、男がよくて愛想がよいから、もてる。あげくに手に手をとって、というのはまだ良い方で、お出入り先のたくさんの御婦人連とネンゴロになりすぎて、事を起し、店の信用を落してしまうというのが、少くない。

 そこで藤兵衛は考えて、お得意まわりに一人前の番頭をやるからいけない。これは小僧をやるに限る、こう結論して、利発で、あいきようがあって、愛想もよくて、顔の可愛い子供を十一、二から仕込んで、十五、六になると、そろそろお得意まわりにだす。これが非常に効を奏した。花柳地では、ねえさん連に可愛がられるし、お邸の奥様方にも、気がおけなくッて、おもしろくッて、この方がよいという評判である。

 そこで藤兵衛の店では、番頭の修作が二十三、大そう若い年だが、これがただ一人の大人である。もっとも、藤兵衛のおいの芳男という修作と同じ年のが、藤兵衛の代理格で、働いている。

 以上の二人をのぞくと、あとは十八の金次、十七の正平、十五の彦太郎、十三の千吉、十二の文三、みんな子供だ。金次と正平はすでに顧客まわりのベテランで、ちかごろは彦太郎もやりだした。千吉と文三はまだ見習いである。いずれも藤兵衛の好みにかなう要素をそなえた美少年であるが、金次ぐらいになると、そろそろ遊びも覚えてくる。商店の小僧は早熟であるから、藤兵衛の流儀で行くと、金次はそろそろ顧客まわりに不適になっているのである。

 これが藤兵衛新案の人形町川木の性格であった。

 藤兵衛には子供が一人しかない。アヤという十八になる一人娘であるが、胸の病があるので、むこうじまの寮に女中を二人つけて養生にやっている。アヤの実母は三年前に死んで、やなぎばしで芸者をしていた妾のお槇をひきいれて、土蔵につづく離れの一室に住ませている。

 そのほかに、お民、おしの、という大そう不別嬪の女中が下働きをしている。以上が川木の全家族であった。

 土蔵の中の藤兵衛は、毎朝七時に熱いお茶をのむ習慣があって、おしのがヤカンの熱湯と梅干を土蔵の中へとどけることになっていた。

 この日も、いつものようにヤカンを持って土蔵の二階へ上ってみると、昨夜十二時に部屋の外へおいてきた夜食が、そのままになっているのである。藤兵衛は食事は離れへでてきてお槇と食べるのであるが、夜食だけは、土蔵の中で、毎晩十二時にお握りを食べる。昨夜もおしのがお握りを持って行くと、部屋の板戸にカギがかかっているらしく、あかないのである。めったにそんなことはないけれども、もうおやすみかと、部屋の外へお握りのお皿をおいてきたのである。ところが、それがそのままになっている。

 藤兵衛は、夜はおそいが、朝は早い、六時半ごろ起きて、チャンと手洗をすましている。ヒルネをする習慣があるから、これで睡眠は充分なのである。朝の七時にヤカンを持って行くと、必ず起きている藤兵衛が、前夜からズッと眠り通して起きてこない。戸には内側からカギがかかっているし、呼んでも返事がないから、おしのも怪しんだ。

 離れのお槇を起してみようかと思ったが、お槇は昨夜泥酔してねむったことを知っているので、藤兵衛の甥の芳男のところへ行った。ところが、芳男の部屋にはフトンがしいてあって、ねたあとがあり、何か荷造りをしかけたものが、置き残してあるが、部屋の主はモヌケのカラで外泊の様子。仕方がないから、番頭の修作を叩き起して、この旨をつげた。そこで修作がネボケ眼をこすりながら、土蔵へ行ってみると、注進の通りで、戸を叩いても、呼んでも返事がない。フシギであるから、お槇をよび起して、戸を押し破ってはいってみると、藤兵衛は脇差で胸板を刺しぬかれて死んでいたのである。

 戸は内側からカギがかかっていた。その密室で人が殺されているから、この謎は難物である。そこで新十郎をよびむかえることになった。

 新十郎は例によって花迺屋因果と泉山虎之介の三人づれ。古田鹿蔵巡査の案内で、人形町へやってきた。

 藤兵衛の傷は背後から背中を一刺しにしたものだ。ちょうど肝臓のあたりを刺しぬいて、切先が三、四寸も突きぬけている。死体は脇差を刺しこまれたまま、こときれていた。脇差は藤兵衛の座右の品。この川木屋で刀といえばたッたこれが一本しか存在しない。藤兵衛は自分の刀で何物かに背後から刺し殺されたものだ。血の海であった。金庫はそのままで物をられた跡はない。

「十二時には、もう殺されていたのだなア。すると、宵の口に、やられたのだろう。客が来て、話をしている。ちょッと立った隙に、客が有り合せた脇差をつかんで背後から刺したのだろう」

 虎之介がこうつぶやくと、花迺屋が笑って、

「そんなこたアどうでもいいのさ。カケガネが内側からかかっていたのがフシギじゃないか。そこが心眼の使いどころだよ」

 虎之介は花迺屋をにらみつけた。至って遠見のきかない心眼のくせに、口だけは利いた風なことをいう。それが一々、虎之介のカンにさわって仕様がないのである。

 新十郎は家族によって押し倒された板戸を立てかけて入念に調べていた。押し倒されたハズミにカケガネは外れている。カケガネのは板戸にチャンとついている。

 新十郎は二、三尺離れたところから、五寸くぎを探しだした。それは明かに、鐶をかけて差しこむための五寸釘である。別に曲ったり、傷がついたところはない。

 新十郎は板戸の鐶とその付け根をしらべていたが、そこにも傷んだ跡はなかった。

「板戸を押し倒した時に、カケガネは簡単に外れたんですね。五寸釘も傷んでいないし、カケガネも傷んでいませんよ」

「するてえと、カケガネはかかっていなかったんじゃないかなア。何かの都合で戸の開きグアイが悪いのを、早合点して、カケガネがかかっているものと思いこんだんじゃないかねえ」

 これをきいて喜んだのは虎之介。プッとふきだして、

「何かの都合ッて、なんの都合で戸が開かなかったんだい。その都合をピタリと当ててもらいたいね」

「なにかの都合がよくあるものさ」

「ハッハッハッ」

 虎之介はバカ声をたてて笑っている。

 新十郎は、まず、最初に疑問をいだいたという女中のおしのをよんだ。二十一、二の近在の娘で、ここへきて五年になる。お江戸日本橋の五年の生活で、すっかり都会になれている。

「お前はヒキ戸をひいてみて、カケガネがかかっていると分ったのだネ」

「ハイ。そうです」

「どうしてカケガネがかかっていると分ったのだネ」

「戸のアチラ側ですから別にカケガネがかかっているのを見たわけじゃアありませんが、この戸はカケガネをかけると開きません。ほかに開かない仕掛けはありませんからネ」

「カケガネのことだから、かかっていても、細目にあくだろう。そこからのぞいたら、カケガネは見えそうなものだ」

「そんなことをしなくッとも、戸があかなければカケガネがかかっているにきまっています」

「お前が主人を最後に見たのはいつごろのことだね」

「ゆうべは旦那だんなから指図がありまして、今夜加助がくるだろうから、来たら土蔵へ案内しろと言いつけられていましたから、加助さんの顔が見えると案内しました」

「加助とは、どんな人だ」

「今年の春まで、ここの番頭をつとめた人でございます。五月ごろヒマをもらッて、そのときは、旦那に叱られて、追んだされたはずでございますよ」

「なんで叱られたのだね」

「オカミサンに懸想したとか、酔ってイタズラしたとか、そんな噂でございます。それは無実の罪でございますよ。これだけの大家の番頭を十何年もつとめあげて、追んだされてから大そう貧乏して、細々と行商をやっているそうですが、そんな実直な白鼠が、この日本橋にほかに誰がいるものですか。みんなよろしくやって、お金をためこみ、女をたくわえているものでございます。あの番頭さんだけは、ちッとは女遊びぐらいしたかも知れませんが、ほかの白鼠なみのことは爪のあかほどもしたことのない律儀者でございます。細々と行商して貧乏ぐらしをしているときいて、旦那は後悔なさったそうですよ」

「今の番頭の修作はどうだえ」

「そんなこたア知りません」

 ほめないところを見ると、否定の意味になるのであろう。

「加助が来たのは何時ごろだえ」

「ちょうど九時すぎごろでございます。三、四十分ぐらいして帰りましたが、帰りぎわに、旦那からのお言付けだが、オカミサンと芳男さんを呼んでいらッしゃるから、お二人にそう申上げて、土蔵へ行かせてあげて下さい、との話でした。それで、オカミサンと芳男さんに申上げて、お二人は土蔵へいらッしゃったと思いますよ」

「お前が案内したわけじゃアないね」

「当り前ですよ。オカミサンじゃありませんか。私ゃ、オカミサンと芳男さんが土蔵へはいるのは見ませんが、出てきてからのことなら、知ってますよ。オカミサンは台所へきて、一升とつくをわしづかみに、ゴクゴク、ゴクゴク、六、七合たてつづけにあおりましたね。にわかに酔っ払って、大そうな剣幕で、土蔵の中へあばれこんだのを見ていました。芳男さんがそれを追って行って、中で十分か二十分ぐらいゴタゴタしていましたが、あとは気をつけていませんでした」

「そのほかに、変ったことはなかったかネ」

「変ったことと言えば、この四、五日、旦那は土蔵からお出になりません。いつもは離れでオカミサンと食事をなさるのですが、この四、五日は食事を土蔵へとりよせて一人で召しあがっていました。オトトイのことですが、私が夕御飯を土蔵へ持ってあがりますと、番頭さんがよびつけられて叱られていました。きいたのはホンの一言二言ですが、お前のような番頭では、この店がつぶれてしまうぞと、きついお言葉でしたよ」

 最初におしのをじんもんしたのは意外の成功であった。川木屋の内情について、ほぼリンカクをつかむことができたのである。

 番頭の修作が若すぎると思ったのも道理、加助という十年来の番頭が、クビになったばかりなのである。ここにいわくがありそうだということは、ず察せられることであった。

 そこへ鹿蔵巡査がやってきて、

「刑事が見つけたのだそうですが、お槇の部屋のクズ入れから、こんなものが出てきたそうです」

 四ツに切りさいた半紙であった。合せて読んでみると、くだり半である。日付は十月五日とある。昨日である。お槇が酔っ払って、土蔵の中へあばれこんだというわけが、これで分ったようである。

 しかし、新十郎は、お槇の訊問を後まわしにして、

「古田さん。番頭の修作をつれてきて下さいませんか。それから、ヒマをもらった加助という前の番頭を、ここへ呼んでおいて下さい」

 と鹿蔵にたのんだ。まず外部をかためて、最後に中心をつこうという訊問の正攻法であろう。


    *


 利発で愛想のよい美童に限って使用するという川木の流儀の通り、修作は、見るからにアカぬけた好男子、ニコニコといかにも人をそらさない明るいあいきようがある。

 新十郎は彼をむかえ入れて、

「おまえが旦那を見かけなすった最後の時はいつごろだえ」

「私は昨晩は八時にヒマをもらいまして、遊びにでておりまして、旦那にはお会いしておりません。御承知でもございましょうが、昨日は五日、すいてんぐうさまの縁日でございます。この日は夜ッぴてこの通りも混雑いたしますから、一日、五日、十五日の縁日に限って、当家は夜の十二時まで店をひらいております。ですが、店員全部揃う必要もありませんので、五日の縁日には、私と正どんと文どんが夜の八時から休みをもらうことになっております。その代り、十五日の縁日には私どもが十二時まで働きまして、五日の居残り組が休みをもらうことになっております」

 水天宮の縁日といえば、とらもんことひらとならんで、東京随一の人出である。今では盛り場も移り変っているから、今の人には分らないが、当時は東京で最大の人出が水天宮と琴平の縁日なのである。浅草観音の縁日も、当時は遠く水天宮に及ばなかった。

 この縁日の日は、朝の未明から深夜に至るまで、混雑きりもない。東京の人々はいうまでもなく、近郷近在十数里からワラジをはいてこのにぎわいを楽しみにくる農家の人々も数が知れない。水天宮から人形町の通りは、夜は一面の大ローソクあかあかと昼をあざむくばかり。見世物、露店、植木屋、ズラリならびつめて客をひく。

 人形町の商店がこの日に限って夜中まで営業するのは当然のことである。しかし、又、この賑いを目の前にして、全然遊びに出されないのも切ないから、半々にわけて、夜の八時から休みをもらうというのは大そう親切なやり方である。こんなところを見ると、藤兵衛は思いやりのある主人であるらしい。

「おまえは一晩縁日の賑いをたのしんでいたわけだね」

「いいえ。私はもう水天宮の縁日は十年ものれッこで、縁日なんぞ、そうブラつきは致しません。この一日から十五日まで、寄席の金本に、円朝がかかっております。西洋人情ばなし、十五日の連続ものでございます。今月の金本は前代未聞の大興行と申すのでしょう。円朝、円生、円遊、馬車の円太郎、ヘラヘラ万橘、金潮、新潮の落語、手品が、西洋手品天下一品の帰天斎正一に女テジナの蝶之助、水芸の中村一徳、鶴枝の生人形、そこへ新内が銀朝ときてます。ほかにおんなきよもとの橘之助、女新内の若辰などと、一流どころの真打をズラリとそろえた番組、こんな大それた番組は二度と再びあることではございません。なんでも、あきばらへかかっている茶リネの西洋曲馬団が大そうな人気だそうで、それに負けない人気番組を特に興行しているらしゅうございますよ」

 茶リネの西洋曲馬というのは伊太利人チャリネのひきゆる二十数名の外人一座、八月に来朝し、秋葉原に興行して東京中をわかせるような大評判をとっているのである。

 愛想のよい修作はニコニコとおシャベリをつづける。

「私は今月の金本には初日から通いつめております。名人ぞろいのこととて、一々面白うございますが、特に円朝の西洋人情噺、これを一日でも聞きもらしてはたまりません。あいにくラクの十五日が、私の居残りの番の縁日の当日ですが、円朝は真打ですから、三十分も早めに店をきりあげると、間に合うだろうなぞと考えて、おりました」

「金本のハネるのは何時だね」

「だいたい十二時ごろでございます。私はそれから忠寿司で一パイやって、帰り支度の縁日をひやかして、帰ってきたのが二時ごろでございます」

「正平と文三も一しょかえ」

「いいえ。子供は寄席よりも縁日が面白うございますよ。私が一円ずつ小遣いをやりましたが、店からいただいた小遣いに合せて、求友亭で一円五十銭の西洋料理というものをフンパツしたらしゅうございますが、今朝はうかない顔をしているようですよ」

「八時に遊びに出たんじゃア昨夜のことは何も知らないわけだが、二時に帰ってきて、変ったことはなかったかえ」

「ちょッと酒をのみましたので、今朝起されるまで何も知らずに寝こんでしまいました」

「四日の晩の夕飯のころに、主人によばれて土蔵へ行ったそうだが、どんな用があってのことだネ」

「左様です。ちょッと申上げにくいことですが、旦那だんなが非業の最期をおとげなすッた際ですから、包まず申上げます。オカミサンと芳男さんの仲がどうかということを、疑っておいででした。そして私に包まず教えろとのことで、大そう困却いたしました。なんとか言い逃れましたが、私まで大そうお叱りをこうむった次第でございます」

「オカミサンと芳男の仲は、どんな風だえ」

「手前どもには分りかねます。どうぞ、当人にきいて下さいまし」

「昨夜二時に戻ったとき、芳男の姿はもう見えなかったかネ」

「私は小僧どもに近い方、芳男さんは離れに近い方で、ちょッと離れていますから、なんの物音もききませんでした」

 三行り半がでてきたところをみると、お槇と芳男の関係は実際あることのようである。人の情事の取調べにかけては、さすがに田舎通人、ぬけ目がない。おしの、お民の女連、彦太郎、千吉、文三という小ッちゃい子供連、これをよびあつめてからめから話をたぐりよせる。女はおしやべりであるし、小さい子供は情事について批判力がまだ少ないから、噂のある通りを軽く喋る。総合すると、お槇と芳男の仲は、すでに町内で噂になっているほどであった。

 花迺屋は女子供から調べあげてきて、ニヤリニヤリと鼻ヒゲの先をつまんでひねりながら、

「おさかんなものだね。皆々よろしくやっていますよ。芳男はお槇のほかによし町の小仙というの旦那をつとめているね。うたの師匠というのに入れあげているそうだ。修作もよし町のヒナ菊という妓の旦那を相つとめているね。ほかに女ゆうの若い妓をかこっているそうだ。さらに驚くべきことには、十八の金次が豆奴という半玉とできているわ、十七の正平が染丸というねえさんに可愛がられているわ、出るわ、出るわ。ほじくればキリがないやね。芳男と修作は前の番頭の加助が煙たいから、ワナにかけて、追いだしたという説があるね」

 大そうネタを仕込んでくるから、虎之介はむくれて、

「いい加減な説を真にうけちゃア、立派な推理はできないぜ」

「そこが剣術使いのあさましさ。私はね、これを千吉、文三、彦太郎という当家のでつからききだしたのだよ。加助がお槇にフシダラなことをしかけて当家を追放されたのは五月五日、節句の日だね。この晩は男の祝日だから酒がでる。一同ヘベのレケに酔っぱらッたが、男連と一座して飲んでいたお槇がまず酔いつぶれ、自分の部屋まで戻らずに、かたえの小部屋で畳の上にねこんでしまったんだね。それへ誰かが、ありあわせのフトンをかぶせておいた。酔いれた加助がフトンの中へいこんでお槇を抱いて寝ようとしたから、お槇が怒って、わめきたてた。酒席の男女、店の者全部そろってドッとけつけたから、たまらない。事を秘密にすますわけにいかないから、この番頭では店の取締りができないと加助は即日クビをチョンぎられて出されてしまったということさ。ここに千吉、文三という酒をのんでいなかった子供たちの証言がある。酔い痴れた加助が畳の上へゴロンとねようとすると、芳男と修作が加助にすすめて、ここで寝ちゃア風をひく、あの小部屋に正平が酔いつぶれてフトンをかぶって寝ているから、番頭さんもいっしょにフトンをひッかぶって寝なさいと、お槇のねているのを正平だと言ってすすめたという話だねえ。なに正平は自分の小僧部屋へあがって小間物屋をひろげて寝ていたのさ。お槇が酔いつぶれて、自分の部屋でないところでねていたてえのも、かねて打合せた仕業かも知れないなア」

 大そう重大なことである。そうなると、藤兵衛が非業の最期をとげる直前に加助をよびよせていることが、非常に重大な意味をもつ。藤兵衛が加助を追いだしたことを後悔して、彼をよびよせて何事か密談したということは、お槇、芳男、修作の三名にとって、容易ならぬ危機である。

 しかし、おしのをよんで、たしかめてみると、縁日のこととて店は多忙をきわめているから、店をはなれてブラブラしているヒマはなく、裏口から来た加助を見た者はいないはず。奥の土蔵も店からは離れて別のいつかくをなしているから、店の者は、土蔵の方にも台所にも来る用がないはずなのである。ただお槇の住む離れだけは土蔵と一体をなしているから、お槇は加助を見ているかも知れないが、お槇の居室の中から土蔵へはいる加助の姿が見えるわけでもないという。

「マ、よかろう。加助がきてみれば、彼が誰に姿を見られたか、分るわけだ。加助がくるまでにお槇をよんでみましょうか」

 いよいよ謎の中心にメスがむけられることになった。お槇は二十八、柳橋で左ヅマをとっていたのを藤兵衛にひかされてめかけとなり、先妻の死後、本宅へひき入れられたものである。新聞の報道に上等べつぴんとある通り、いかにもあだッぽいよい女、見るからに浮気そうな肉づきのよい女だ。宿酔ふつかよいのところへ、精神的な打撃をうけて、いかにも顔の色がわるそうだが、それを厚化粧でごまかしている。

 いろッぽく、ニッコリと新十郎に会釈した。

「ヤ、お内儀か。御苦労さん。今回は大変なことで、御心中お察しします。昨夜、加助がきて、旦那と話して帰ったあとで、お前と芳男が土蔵へ呼ばれたそうだね」

「オヤ。加助が昨夜きたのですか。それじゃア、加助が旦那を殺したに相違ありません」

 お槇はギョッとおどろいて、叫んだ。

「なぜ加助が旦那を殺したとお考えだえ」

「それは加助にきまっております。加助のほかに旦那を恨んでいる者はいないからですよ。あれは陰険で悪がしこい男狐でございます」

「それではあとで加助をとりしらべることにしよう。お前と芳男が旦那によばれて土蔵へ行ったのはいつごろだったね」

「十時前ごろでしょう。よく覚えてはいませんが、たいがい九時半か十時ごろのつもりです。ちょうどよい時刻だから寄席へ行って円朝でもきいてこようかと思っている矢さきでしたから」

「毎日、寄席へ行くのかえ」

「いいえ、昨晩はじめて思いついたことです。私は寄席はあんまり好きじゃありません」

「旦那からどんな話がありましたね」

「それは、芳男さんの相続の話でございます。一人娘のアヤさんが胸の病で、むこの話もさしひかえている有様ですから、血のつづいた芳男さんに嫁をもたせて、当家を相続させようという結構なお話でした」

「それは結構な話だったね、それから、どんな話があったかえ」

「いえ、それだけでございます」

「それにしては、奇妙なことがあるものだ。このくだり半は藤兵衛がお前にあてたものに相違ないが、日付もチャンと昨日のことになっているよ」

 お槇は顔色を変えて、

「そんなものを、いったい、どこから探しだしたのですか」

「お前の部屋のクズ入れの中からさ」

 お槇は涙を指でおさえて、泣いた。

「私はあわれな女でございます。ずいぶん旦那にはつくしたつもりですし、旦那も私を信じて可愛がって下さいました。ですが、花柳地で育った女というものは、とかく堅気のウチでは毛ぎらいされるものと見えます。あらぬ噂をたてて人をおとしいれようとなさる方もあれば、どなたかは存じませんが、こんなひどい物を私の部屋へすてておいて、さもさも私が旦那から離縁された宿なし女のように計って見せる人もあります。こんなにされては立つ瀬がありませんが、いったい、誰がこんなヒドイことをするんでしょうねえ」

「当家にそんなことのできそうな大人は、芳男と修作の二人だけだね」

「いいえ、当家の人とは限りません。外から忍んでくることもできますし、人を使って、させることもできます」

「しかし、お前は土蔵から出てくると、台所へでかけて、一升とつくから冷酒をついで、六、七合もあおったそうではないか。そして、土蔵の二階の旦那のところへ押しかけて、十分か二十分ぐらいも、ごてついていたそうではないか」

「それは私はお酒のみですから、寝酒に冷酒をひッかけるようなことも致します。別に旦那だんなに腹の立つことがある筈はございませんが、酔ったまぎれに旦那の居間へ遊びにでかけただけのことでございます。けれども旦那は、もうカギをかけて、おやすみでしたよ。私も酔ってるものですから、戸をたたいたりして、旦那をよんでいますと、芳男さんが来て、寝んでいらっしゃるのに、そんな乱暴をしてはいけないと言って、とめて下さいましたよ。それで中へはいらずに、お部屋へ戻って、ねてしまったんです」

 ああ言えばこう言うという口では千軍万馬のつわものと見てとったから、お槇に向って真ッ正面から何をきいたところでらちはあかない。のがれられない確証があっても、なんとか口上をのべたてて、決して恐れ入りました、とは言いそうもないように見える。新十郎は見切りをつけて、いったんじんもんをうちきった。


    *


 まもなく鹿蔵が、加助を彼の自宅から、引ったててきた。

 加助は三十二、三、これもちょッとした男ッぷりではあるが、いかにも実直そうな人物で、あんまり利発で愛想がよいという男ではなさそうだ。

 新十郎は加助をよびよせて、

「お前が当家へきたのは、いつごろだね」

「ハイ。この店がはじめて開店の当日からでございます。十二の年にでつにあがりまして以来二十年、この五月五日までひきつづいて御奉公いたして参りました」

 明治元年、開店の当日からというから、藤兵衛と苦難を共にして今日を築いた白鼠というわけである。

「お前がゆうべここへ来たのは、どうしたわけだえ」

「昨日行商にでまして夜分ようやく家へ戻って参りますと、家内が旦那からの手紙を受けとっておりまして、これは町飛脚が持参いたしたものだそうでございますが、この手紙を見次第、夜分おそくとも構わないから裏口から訪ねてくるように、今日は五日の水天宮の縁日だから、どんなに遅くなっても待っているから、という文面でありました。まだ八時半ごろで、急げば九時ごろには当家へ到着いたしますので、さッそく突ッ走って参ったのでございます」

「それで、どんな御用件だったえ」

 加助は嘆息して、

「実は道々旦那が非業の最期をとげられたという話を承りまして、旦那の御不運、又、私にとりまして一生の不運、まことにとりかえしのつかないことになったものだと嘆息いたすばかりでございます。かような折に、かようなことを申上げるのは、人様をおとし入れるようではばかりがありますが、旦那の御最期を思えば、胸にたたんでおくわけにも参りません。旦那の御用件と申しますのは、旦那は私の手をとられて、加助や、お前には気の毒な思いをかけたがカンニンしておくれ。メガネちがいであった。ついては、もう一度、当家へ戻って店のタバネをしてくれるように。悪い噂をきくものだから、この四、五日とじこもって帳面をしらべてみると、お前が出てからというもの、仕入れない品物を仕入れたように書いてあったり、色々と不正があるのを見やぶることができた。これは芳男と修作がグルになってしていることだ。すでに修作は昨日よんで、いろいろ問いつめてみたが奴も証拠があるから、噓は言えない。一度は許そうと思ったが、あの若さであれだけの不正を働くようでは、とてもまッとうな番頭に返れるものではない。そこで、芳男も修作もおン出そうと思うから、明日の正午に店へ来てくれるように。朝のうちに追ンだす者を追ンだして、お前を番頭にむかえるからというお話でした。それで、正午に当家へ参上のつもりで支度いたしておりますと、迎えの方が見えられたわけでございます」

「なるほど。旦那が死んでは、せっかくお前が帰参のかなうところをフイになってしまって、大そう困るわけだ。ほかに話はなかったかえ」

「ハイ。実は、オカミサンと芳男の仲が世間で噂になっているが、お前はどう思うか。お前のいたころから、気のついたことはなかったか、というお尋ねがありました」

「それは大そうな質問だね」

「ハイ。それで私も困却いたしまして、そのような噂のあることはきいたことがありましたが、自分の目で見て気のついた特別なことは一ツもございません、と申上げますと、旦那はさびしい笑いをうかべなすって、実は、オレは自分の目でチャンと見届けているのだよ、とおっしゃいました」

「自分の目でチャンと見届けていると」

「左様です。深夜に便所へ立ったついでに、ふとオカミサンの部屋の前へきてみると、障子が薄目にあいているものですから、ボンボリをかざしてごらんになったそうです。すると中がモヌケのカラですから、さてはとお思いになりましてな。ボンボリをけして、そッと二階へ忍んでみると、芳男さんの部屋の中からまごう方なく二人のムツゴトをきいてしまったと申されました。お前が帰ってから、二人をよんで、お槇には三行り半を、芳男にも叔父おじおいの縁をきって、今夜かぎり追ンだしてしまうのだと申しておられました。そして私がお暇を告げますときに、それではついでにおしのに言いつけて、お槇と芳男二人そろって土蔵へくるように伝えておくれと、おッしゃいました。その言いつけをおしのに伝えて、私は家へ戻りましてございます」

「まッすぐ家へ帰ったのだね」

「いいえ。実ははからずも帰参がかないまして、あまりのうれしさに、縁日のことでもありますし、水天宮さまへ参拝いたし、ちょッと一パイのんで、久しぶりの酒ですから、大そうめいていして、夜半に家へ戻りましてございます」

「酒をのんだ店は、どこだね」

「それが、貧乏ぐらしのことで、持ち合せが乏しいものですから、見世物の裏手の方にでている露店の一パイ屋でカン酒を傾けたのでございます。それで大そう悪酔いいたしたのかも知れません」

「当家を訪ねているあいだ、お前の姿を見た者は誰々だえ」

「おしのとお民の両名のほかには誰に会った覚えもございません」

 加助の意外千万な陳述によって、はからずも重大な殺人動機が確認されたわけであるが、それを更に裏づけるものは、芳男の昨夜来のしつそうである。すでに刑事たちは芳男のひそんでいそうな小仙やうたの師匠を洗ってきたが、そこへ立まわった形跡はなかった。

 新十郎は金次をよんでたずねてみたが、彼は居残り番で多忙なところへ、途中から芳男の姿が消えたので、彼が番頭役で立廻らねばならず、テンテコ舞いをしていて、店以外のところで何が起っていたかは皆目知らなかったという。いっしょに立働いていた彦太郎と千吉が、それを裏づける証言を行った。もっとも、十時すぎに豆奴が店へ現れて、小間物類を手にとって、いじり廻して、結局カンザシを買って帰ったという。もっとも、お金を払ったわけではない。金次のオゴリになるらしい話である。

 新十郎は一通り訊問を終えて、もう一度、現場を見て廻った。

「このカケガネには、結局、くぎがさしこんでなかったんですね。どうも、そうらしい。すると、このカケガネを外からはずすのも、外からかけるのもワケはない。ハリガネを曲げたものなんかで、戸の隙間から自由自在にかけも外しもできますよ」

 新十郎はそうつぶやいて、現場をこまかく探索した。戸をあけると、四間にしきられていて、藤兵衛の居間へ行くに四畳ぐらいの寄りツキがあり、その隣になんがあって、ここには仏壇だのクスダマだの、いつ用いたのか知れないが、よそなら使って捨てるものを、雑然とほうりこんである。もう一部屋は藤兵衛が寝所に使っているらしく、押入がないから、フトンをたたんで部屋の隅につみあげてある。そのほかには何もない。掃除は毎日ていねいにやると見えて、よく行き届いているが、納戸と寝室に、ところどころ土が落ちている。

「どうも、誰かが忍びこんだ様子だねえ。オヤ、ここにも土が落ちている。土足であがってきたのかなア。それとも、フトコロへ下駄を入れてきたのかねえ。どうしても、庭から離れへあがって、土蔵へはいったものがいるよ。さて、庭をしらべてみよう」

 新十郎はこういって庭へおりたが、いろいろの跡があって、特に下駄や足跡を識別することはできない。土蔵の裏へまわると、曲りくねった細い路地で、表通りは縁日のざつとうでも、この路地の夜だけはまッくらヤミで人通りもないだろう。ちょうど都合よく塀の外にゴミ箱がある。そこへ上ると塀をなんなく越すことができそうだ。

 しかし、女中をよんで、

「戸締りは、何時にかけたかえ」

 ときいてみると、

「水天宮の縁日の晩は夜ッぴて外がにぎわっていますし、店の人も夜遊びをゆるされておそくまで遊んでいますので、夜通し裏口には錠を下しません」

 という返事。これではますます何者が忍びこむことも容易である。

 捜査を終って、いったん引きあげようというところへ、大そう景気のよい叫び声。

「犯人をひッとらえて来ました」

 刑事巡査がどやどやとなだれこんだ。彼らは、芳男を高手小手にいましめて、自分らのまんなかにはさんで、引ッたててきた。

 芳男は品川駅で汽車を待っているところを捕えられたのだという。

「どうして犯人と分りましたか」

 こう新十郎が刑事にきくと、

「捕えて引ッたててきたばかりでまだ取調べは致しておりませんが、ごらんなさい。この男の着物のひざのところに血がついております。ほれ、タビの裏も、ごらんの通り、血がついていますよ。すぐ泥をはくにきまっています」

 なるほど、指摘されたところにハッキリ血がついている。

「なるほど分りました。だが、皆さんが、そうガヤガヤつめてにらまえていらっしゃると、芳男も返事がしにくいでしょうから、一人二人の方を残して、あとの方はちょッと退席して下さい。二、三、芳男にきいてみたいことがありますから」

 そこで、二名の重立った人をのこして、一同は退席する。新十郎は芳男を側ちかくすわらせて、

「いいかえ。お前の昨夜したことを若干私からきかせてあげよう。お前とお槇は藤兵衛に土蔵へよびつけられて、二人の不義の事実をきめつけられたね。お槇がイエそんなことは噓でございます。私をおとし入れようとする誰かが言いふらしたことでございます、と申したてたが、藤兵衛はその言葉には相手にならない。お前たちが一しょにねて、これこれのことをしたり語ったりしているのをきいているぞ、ときめつけられて、お槇はともかくお前は一言もなかったはずだ。特に藤兵衛はお前に向っては、アヤが病身のことであるから、ゆくゆくお前を後とりにしようと思っていたほどだが、とんだ不心得な奴、身からでたさびだと言ったろう。そこでお槇にはくだり半を、お前には叔父甥の縁を切って、今夜のうちにとッとと立ちのけと申し渡されたね」

 芳男は観念していた。わるびれずに、うなずいて、

「ハイ、その通りです」

「二人は絶縁を申し渡されて土蔵をでたが、お前はそれから、どうしたえ」

「私は自分の部屋へ立ち帰って、今後どうしたものかと思っておりますと、オカミサンが、いえお槇と申上げることに致しますが、下でさわいでる声がしますので、行ってみると、酔っぱらって土蔵の中へはいっています。追っかけて行ってみると、戸の前でののしり騒いでおります。みると、戸にカケガネがおりているとみえて、あかないのでございます。私はお槇をなだめて、部屋へひきとらせますと、ぶうぶう不平をならべたてながら、寝こんだようでございます。私は再び自分の部屋へもどりまして、どうしたものかとフトンをひッかぶって物思いに沈んでおりました。いくら考えてもらちはあきません。一度は当家をでるつもりで荷づくりをはじめたりしましたが、この店を追いだされると、暮しようがありませんから、荷造りはやめてしまいました。よそでは生活力のない私だから、どうしても叔父おじさんにおびして、許していただかなくてはと思いつきました。そこで時計を見ますと一時でしたが、そんな時間のことを言ってはいられませんので、土蔵の二階へ上ってみますと、戸口は相変らずカケガネがかかっていまして、女中もあきらめたとみえて、夜食のお握りが戸の外においてありました。しよくの光でみますと、カケガネはかかっていますが、釘がさしこんでないようですから、隙間からつまようをさしこんでをもちあげると、なんとなく外れました。中へはいってみるともうその時には叔父さんは殺されていたのでございます。すぐ逃げだせば血はつかなかったのですが、私が呼びつけられて叱られたときに、落してきたものと見えまして、私のタバコ入れが、死体のかたわらに落ちております。血をふまないように用心に用心して、それを拾って逃げましたが、部屋をでるときにふと気がついて、もう一度隙間から爪楊子をさしこんで鐶にかけて外からカケガネをかけてしまいました。土蔵をでると、にわかにおそろしくなって、そのまま夢中で外へでてしまいましたが、まるで自分が犯人のような気がしたからでございます」

「そりゃアそうさ。真夜中にカケガネのかかっているのを外して勘当の詫びをのべに行く奴はいないよ。お前は藤兵衛を殺すつもりだったろう」

「とんでもない!」

 芳男ははじかれたように否定して、あおざめ果ててガタガタふるえたが、やがて冷静をとりもどしたらしい。

「そうとられても仕方がありませんが、私はもう胸がいっぱいで、無我夢中になって何も分りませんでした。勘当をゆるして下さいとたのむには、お槇と一しょではグアイがわるうございます。女はそうなると意地がわるうございますから、勘当が許されないように、差出口をするに相違ありません。そこで、お槇のねているうちに勘当をゆるしてもらって、お槇がオンでてしまうまで素知らぬフリをして身を隠していようなどと、そんなことが気がかりでしたから、ただもう一刻も早く叔父にあやまりたい一心で夢中だったのでございます。カケガネを爪楊枝で外したのはたしかに非常識ですが、そんなことには気がつかなかったぐらい夢心地で早く叔父にあやまりたい一心でした。決して私が下手人ではありません。私の申上げたことは、そっくり掛け値なしの真実でございます」

「それでは、もう一つきくが、お前は加助が藤兵衛によびよせられたことを知っているかえ」

「それは存じております。叔父が私どもに、私とお槇とにでございますが、こう申しきかせました、加助をよびむかえて働いてもらうことにきまったから、お前たちや修作をオンだしても商売にはなんの差し支えもない。お前たちは今夜のうちにどこへでも立ち去ってしまえ、そして修作はどうした、よんでこいと言いますから、今晩は休んで縁日へ参っておりますと答えますと、そんなら仕方がない、修作は明朝オンだすことにするが、お前たちは今夜のうちにさッさと荷造りして立ち去るがよい。かんかんが日中立ち去るのは人に笑われて、お前たちのツラの皮でも気がひけよう。明日ヒルから加助が来てくれるから、と、いかにも私たちの居なくなるのを痛くもかゆくもないような言い方でした」

「お前は死体をみて土蔵をとびだしてから、どこをどうしていたのだえ」

「なんだか自分が犯人だと思われそうな気がして、居ても立ってもいられません。知ったところへ行くと追手がくるような気がしましたから、ナジミのないざきへ行って一晩遊びましたが、大阪の知人をたよって、しばらく身を隠そうと思い、わざとしながわへ行って汽車を待っていたのでございます」

「イヤ、御苦労であった。今晩は留置場でゆっくり休むがよい」

「いえ、私は犯人でございません」

 芳男は狂気のように叫んだが、新十郎はとりあわなかった。彼は刑事にひッたてられて、所轄の警察へらつし去られた。

「やれやれ、事件は急転直下解決いたしましたなア」

 と、虎之介がホッと息をつくと、新十郎はすまして、

「さア、どうですか。なかなか一筋縄ではいきません。奥には奥がありますよ」

「そんなバカな。動機と言い、けつこんと言い、ハッキリしている。カケガネのはずし方、かけ方まで自分でちゃんと説明しとるじゃないですか。私は犯人ではございませんと言う奴を犯人でないときめるバカ探偵、甘スケ探偵があるもんですかい」

「ブッ、偉い! あなたは、甘くもなければ、バカでもないよ。ですが、あなた。ね、剣術の心眼と、探偵の心眼は、又、別のものだねえ。アレをごらん。アノ、土蔵の中の土。ね。これですよ。ここに心眼をじッとすえなくちゃア、この犯人はつかまりません」

「くだらないことを言うな。土ぐらい鼠が運んでくらア。この田舎通人のボンクラめ」

「あなたヤケを起しちゃいけませんねえ。探偵がヤケを起して、土ぐらい鼠がもってくる──鼠がもってくるかねえ。それはモグラの事でしょう。ですから、あなた、犯人はとてもつかまりません」

 明朝十二時に新十郎の家で勢ぞろいすることにして、一同は別れ、めいめいが思い思いのところへ探偵にでかけた。


    *


 海舟はいしをひきよせ、しずかにナイフをといでいる。とぎ終ると、ナイフを逆手にもって、チョイと後ろ頭をきる。懐紙をとりだして、存分に悪血をしぼりとっている。それがすむと、今度は指をチョイと切る。そして存分に悪血をしぼる。こうして虎之介の話をきき終った。

「カヘーがさめるぜ。それがさめちゃア、まずいものだ」虎之介に珈琲コーヒーをすすめ、自分はなおしばしナイフを逆手にあちこちから悪血をしぼりとって、心眼を用いているらしい。どうやら推理が組み上ったらしい。

「誰が見ても犯人らしいのは芳男とお槇さ。藤兵衛を生かしておいちゃア、芳男は川木の相続をフイにしなくちゃアならないし、お槇は宿なしにならなくちゃアならない。殺してしまえば死人に口なし、思うような栄華ができようてえ寸法さ。深夜一時という時刻に、芳男が爪楊枝でカケガネを外して忍びこんだのは、新十郎が見ている通り、藤兵衛を殺そうてえ気持もあってのことだ。忍びこんでみると、藤兵衛はすでに何者かに殺されている。芳男はおどろいて逃げだしたというが、奴めは、お槇が殺したに相違ないと考えているだろうよ。お槇は悪い女だ。警察の調べがとどいて、お槇があげられる、心細いの一念、可愛い憎いで、芳男と一しょにりました、と言いかねない女なのさ。芳男が怖れて戸惑って逃げまわったのは、その心配があってのことだ。しかし、お槇は犯人じゃアないぜ。女が酔っ払って男を一刺しに突き殺せるわけがねえや。れて油断のある男でも、女の腕で一刺してえのはむつかしいものだ。まして藤兵衛はお槇にくだり半をつきつけたその日のことだもの、酔ったお槇に刺し殺される不覚があるわけのものじゃアないのさ」海舟は片手の指から悪血をとると、今度は別の片手の指をチョイときって、悪血をとりはじめた。

「新十郎が見ている通り、藤兵衛の隣室にこぼれていたという土がくせものなのさ。犯人は、お槇が三行り半をつきつけられ、芳男が叔父おいの縁をきって勘当されるてえこと知っていた男だ。それを知っていたのは加助のほかにはいない。あの男がと世間ではビックリするだろうが、真犯人はままこうしたものさ。加助はヒマをだされて藤兵衛を恨んでいる。実直者だけに恨みが深いのさ。五か月の貧乏ぐらしで、根性もひがんでいる。帰参がかなったのはうれしいが、元へ戻ったところがタカが番頭じゃア仕様がない。貧乏をしてみると、魔がさして、よけい上をのぞむようになりがちなものさ。藤兵衛を殺してしまえば、犯人とうたぐられるのは三行り半をつきつけられたお槇と勘当された芳男の両名にきまっている。帰参がかなってヤレ嬉しやという加助が、疑われるわけはねえのさ。藤兵衛から放逐されるときまった修作が、藤兵衛なきのち、居すわるかどうかは分らないが、居すわるにしても、修作一人が番頭じゃア店のタバネができないから、世間に人望のある加助がむかえられて大番頭の地位につくのは火をみるよりも明かだ。アヤは胸に病いがあるから遠からず死ぬだろうし、川木の屋台骨は自然にそっくり加助のものになってしまう。世間に人望があるから、加助が主家をわが物顔にきりまわしても、誰も何とも言わねえのさ。加助はそこまで見ているぜ」

 海舟はナイフと砥石をしまいこんだ。

「加助はいったん主家を辞去すると、裏から塀をのりこえて、土蔵へ忍びこんだのさ。たぶんお槇と芳男の叱られている最中に忍びこんで隣室に隠れていたのだろうが、お槇と芳男が三行り半と勘当を言いわたされて立ち去るのを見すまして、藤兵衛を一突きに刺し殺したのさ。お槇が酔っ払って土蔵へあばれこんだとき、カケガネがおりていたのは、加助が中からかけたのだ。そのときは五寸くぎを下していたに相違あるまい。殺したあとの始末をつけていたのさ。落し物はないか、跡を残しちゃアいまいかと、律儀者だけに、イザとなると、度胸もつくし、用心もいい。家内の静まるのを待ってソッとぬけだして無事わが家へ立ち戻ることができたが、名もない屋台のコップ酒で酔いれて帰りましたなんぞと大そう行き届いたことを言っているのだよ」

 虎之介はホッとためいきをついた。心眼の読みの深さ、正確さ。あまりの神技に、ただ溜息をもらすの一手、感涙にむせぶが如く、ぼうぜんと言葉を失っている。


    *


 正午の勢揃いまでには間があったが、虎之介は持てるものの心のゆたかさ、出家とんせいなぞというさもしい気持にはなれないから、十時ごろには腰にひるの握り飯をぶらさげて新十郎の書斎の方をニコヤカにチラチラ横目をくれながら、結城家の庭をブラブラしている。

 今日は、彼の他にもう一人妙なヤジウマが早朝から詰めかけている。お梨江である。朝の新聞で紳士探偵出馬の記事を読んだから、私も探偵の心眼を働かして犯人を捕まえてあげましょうというので、馬にまたがって早朝から乗りこんでいる。新十郎の書斎へ詰めかけて、

「あなた、お馬にお乗りにならないの」

「乗りますけれども、馬を持っておりません」

「じゃア、人形町のような遠いところへ、どんなもので、いらッしゃるの?」

「歩いて参ります」

「アラ、大変。私、お馬を持ってきてあげるわ」

「ところが、連れがありますので、ぼくだけというわけに参りません」

「存じております。気どり屋の通人さんに、礼儀知らずの剣術使いでしょう」

「ほかに古田さんという巡査がおります」

「じゃア、四頭ね」

 と言ったと思うと、馬にのってけ去る。やがて馬丁と四頭の馬をひきしたがえて、戻ってきて、庭木へ一頭ずつつないでしまった。

 当時は、大そう乗馬がはやっていた。婦人間にも流行して、はかまをつけて、馬にのってざつとうの町を走りまわる。上流の流行ではなくて、一般庶民の半可通の流行で、女はたいがいいんばいに限られていた。それで乗馬の流行は、はなはだしく識者にけいべつされ、匹夫野人、下郎、淫売どものやることで、良識ある人士は街を乗馬で走らないことに相場がきまっていたが、お梨江は常識の友だちではない。乗馬が面白そうだから、我慢ができなくて、こんな面白いものはないと大よろこびで、道行く人ににらみつけられても平チャラなのである。良識ある新十郎は馬をもちこまれてこまったが、お梨江の言葉であってみると、どういうわけだか、彼はイヤと言えないのである。

 一同勢揃いしてイザ出発となるとむくれたのは虎之介。馬にのれない訳ではないが、自分だけ着物の着流しだからグアイが悪い。けれども胸に畳みこんだ大推理があるから、ここは我慢のしどころと一時をしのんでいる。

 大そう生気のない老巡査を先頭に立てて、異様な五騎が通るから、驚いたのは町の人々。

「オイ、見ろよ。妙なのが通るぜ。曲馬団の町まわりかなア。茶リネの向うを張って、日本曲馬をやろうてえんだなア。鼻ヒゲをひねっているのが勧進元だね。ゆうと女芸人は水際立っているねえ。こいつア茶リネもかなわねえや。あの大男は何だろう? あれも日本の生れかねえ? ダラシがねえなア。ハハア。わかりましたよ。こいつア趣向だねえ。日本の内地じゃア猛獣が間に合わねえや。あいつが虎の皮をかぶるんだよ。火の輪をくぐるのがアイツだよ。するてえと、あれも主役だ。虎が人間の素顔で町をねるてえ趣向が新奇だねえ」

 人形町へ到着すると、すでに警察の一行は留置した芳男をひったてて川木へあつまり、新十郎を待っている。加助の顔も見える。

 藤兵衛の死体は白木のひつぎにおさまって安置されている。アヤは病身をおして父の死顔に一目あいさつにと来たものの、ムリがたたったところへ、父の非業の姿を見て、ウーンと気を失ってしまった。そのまま高熱をだして、一室にねこんでいる。新十郎は木戸を下させて、関係者一同を集めた。高手小手にいましめられている芳男の縄をとかせて、

「一晩つらかったろう。お前が永年世話をうけた叔父おじ藤兵衛によく仕えて、かりそめにもお槇と事を起すようなことがなければ、こんな事件は起りはしなかったのだ。それを思えば、警察署の一夜などは罪ほろぼしのタシにもならないのだよ」

 こうきつくたしなめて、

「さて、お前にきくが、藤兵衛の死体のかたえから拾ったタバコ入れはどうした?」

「大川へすててしまいました」

「お前はいつもタバコ入れを腰にさしているのかえ」

「いつもということはありません。店に働いている時などは腰にさしておりません」

「あの晩は店にいるとき藤兵衛によばれて土蔵へ行ったのだろう」

「ア!」芳男は叫んだ。

「まったく、その通りでございます。私はもう一昨夜来、こうふん、逆上して何もわけがわからなくなっておりましたが、たしかに、あの晩、タバコをたずさえて土蔵へ参るはずはございません。今、ハッキリと思いだしました」新十郎はニッコリうなずいた。

「お前はタバコ入れを土蔵へ持ってあがろうと思ったって、持ってあがるわけにいかなかったのさ。その時タバコ入れはお前の部屋から消えていたよ。チャンと犯人のフトコロにおさめられていたよ。犯人はお前のタバコ入れをフトコロに、八時に当家をでた。いったん金本へいったが、前座がつまらないことをしやべっている。しばらく場内をブラブラ油をうったりしてから、タマには前座からきいてみようと思ったが、これじゃア我慢がならねえ、寄席てえものは前座からきくもんじゃアねえや、ちょッと縁日をぶらついて、又くるぜ、と言って、顔ナジミの下足番に下駄をださせて、外へでた。土蔵の裏のゴミ箱へあがり、塀に手をかけて、なんなく主家へ忍びこんだ。下駄をフトコロに、ぬき足さし足庭をよぎり、土蔵へ忍びこみ、中の気配を見すまして、ヒキ戸をあけて、藤兵衛の居間の隣室へ身をひそめた。そのとき藤兵衛の居間には加助がきておって、二人は手をとりあって、泣きあい、堅く誓を立てあっていたところであった」

 立ち上って、そッと逃げだそうとした修作に、いち早くとびかかったのは花迺屋因果。至って推理の能に乏しいが、犯人にとびかかってひッ捕えるカンの早さは格別である。修作を取りおさえて、自分が推理を立てたように満足して鼻ヒゲをひねった。騒ぎのしずまるのを待って、新十郎は謎をといてきかせた。

「修作は四日の晩から藤兵衛を殺す手筈を立てておりました。なぜならば重なる悪事を見破られて信用を失った上に、折よく芳男とお槇のかんつうが見破られて縁切りをされて追いだされることを藤兵衛の口から知ったからです。翌日の五日は水天宮の縁日で、夜は自分の非番のところへ、店は混雑してテンテコ舞い、土蔵のあたりへ立ちよる者のないことを知っておりますから、この日こそは屈強の日とアリバイの用意をととのえて忍びこんだのです。忍びこんでみると、加助がよばれて来ております。主家へ帰参することになり、入れ替って、自分が追いだされるという話などをして主従むつまじく昔日の親しい仲に戻っておる。修作もそこまで考えてはいませんから、オノレ藤兵衛、ますます殺意をかたくしてジッと機会をうかがっていたのです。加助に代って、芳男とお槇がよびつけられて縁切りを申し渡される。お槇はくだり半をつきつけられたのですから、修作にとって、こんな都合のよいことはない。縁切りの直後に殺されたとあれば、誰の目にも犯人は芳男かお槇とうたぐられるのは必然のこと、絶好の機会とみて、二人の立ち去るや、藤兵衛を殺しました。お槇が酔っ払って土蔵へあばれこんだ時には、修作はまだ死体のかたわらに居りました。彼はカケガネをかけ、その時は五寸釘もさしこんで、ゆっくり後始末をしていたのです。自分にとって不都合なことは残っていないかと物色し、藤兵衛の身の廻りをしらべて、自分に不利な書付などがあったら盗んで帰ろうと思ったわけです。不都合なしと見極めて、持参した芳男のタバコ入れを死体のかたわらへ落して逃げました。何くわぬ顔、寄席へ戻って、円朝をきき、寿司屋で一パイのんで二時ごろ戻って何くわぬ顔、ゆうゆうとねむったのです。藤兵衛が殺されれば芳男とお槇の姦通が明るみへでて、芳男は落したタバコ入れによって捕えられる。動機と言い、タバコ入れと言い、証拠がそろっているから、言い逃れはできません。主家に残ったのは病身のアヤ一人。番頭の修作をむこに直して、後とりに立てようということになるのは自然の勢い、修作はそこまで見越しておりました」

 すでに観念した修作はふてぶてしい顔をあげて新十郎を見つめて、

「お察しの通りさ。しかし、私はもっと昔から、事をたくらんでいましたよ。お槇は芳男よりも先に私に色目をつかったのですが、私はそのときハッと胸にひらめいたことがあって、よしよし、オレがウンと言わなければ、あの色好みのお槇は自然芳男に手をだすだろう。姦夫姦婦をつくっておいて、藤兵衛を殺して罪をきせる。川木屋をオレが乗っ取ってやろうと、こう考えたのは一年半も昔の話でさアね。加助を追んだすぐらいはワケはない。五日の縁日に殺すのだって四日に考えついたわけじゃアありませんや。先月ちゃんと筋を立てて、一日から円朝の連続ものをききにいっていたのさ。四日に藤兵衛に叱られたのが、むしろ私の運のつき、あんなことがなければ、かえって私が疑られるようにはなりますまい。おまけに加助がよびつけられた一幕などが加わって、今から思えば、五日という日が大そう間のわるい日になりましたが、たくみにたくんだアゲクに一日ちがいでこうなるてえのは神仏のおぼしめしという奴かも知れません。探偵のお前さんが偉いわけじゃアありませんよ」と言ってニヤリと笑った。


    *


 ナイフを逆手に後頭をチョイ、チョイときって血をとりながら、海舟は虎之介の報告をきき終った。

「フン。修作がそう言ったのかえ。藤兵衛に叱られたのが運のつきだったとねえ。たくみにたくんだあげく五日という日が大そう間の悪い日になったというのは、修作にはその恨みが深かろうよ。えてして、そんなものさ。だが、トントン拍子の時もある。人生は七ころび八起きのものだが、犯罪は見ッかると一ペンコッキリで後がないから、神仏とか因縁なぞを考えるのさ」

 海舟は左手の指をチョイときって、悪血をとりはじめた。

「四日の晩に藤兵衛に叱られて殺意を起したという新十郎の見方に狂いのある筈はないのだが、修作の言い分によると、主殺しの筋は先月立てたことで、四日の晩に叱られたのがむしろ運のつきだ、というのさ。修作の言葉は真の事実ではあるが、ことわりによって筋の立つものではない。実に偶然てえものは、まことにヤッカイなものだ。修作にも意外であるが、新十郎の頭にも、こいつだけは手に負えねえや。オレが現場に立ちあっても、新十郎と同じことさ。偶然のことは、又、偶然によるほかには、人智によって知り得ないものだ。オレが加助を犯人と見たのは間違っていたが、現場に立ちあっていないのだから、仕方がねえのさ。だが、加助のような人望のある実直者がまま犯人だてえことは、よくあることだから、一度はそこへ目をつけるのを忘れちゃアいけないものだ。部屋にこぼれていた土にいわくがあることはオレがチャンと見ていたことだが、すると犯人は加助か修作かどッちかだということになる。加助にきめてしまったのが、オレのマチガイの元なのさ」

 虎之介は海舟の読みのひろさに益々敬服の念をかため、その心眼の鋭さに舌をまいて、謹聴しているのである。

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