第五話 大いなる龍、マジギレプッツン大暴れ
修練場の中央に構えるのは、全長24m、幅3mにもなる巨大な龍。
そこに存在するだけで嵐を呼び洪水を引き起こす、水の神龍が幼体。蛟龍である。
それに相対せしは、己の正体もわからぬ妖怪。
いったい何から生まれたのか、どんな妖怪なのか。出生に関わる情報の一切が欠如した、非常に珍しい悪鬼が一人。
彼らは互いに、己が正義を掲げ矛を向けていた。
誇りか安寧か。二人が望むのは、およそ誰もが心の内に持っているそんな願望。
それが今この瞬間に、劇的な力の流動となって現れていた。
百鬼阮は素の拳を真正面に構え、その先端を龍の頭蓋へと向けている。
暗に、この拳でお前の頭を割ることができるのだと伝えているのだ。
対する蛟龍は、その長大な身体を撓めかせ蛇のようにS字を作り構えていた。
全身の筋肉を波のように扱い力を引き出すその様は、まさに龍の神格というにふさわしい。
……先に動き出したのは、意外にも蛟龍の方だった。
彼女には人間種など遠く及ばない絶対的な力がある。身震いひとつで家屋をなぎ倒し大河を抉るその力が、今阮の下へと降り注ぐ。
それは凄まじい速度の突きであった。およそその巨体からは想像できないほどのスピード。
S字に曲げた背をしならせ四足のグリップを最大限に生かしたその突きは、普通の人間にはとても捉えられないものだっただろう。
たとえこれを視認することができたとしても、避けることは非常に難しい。何せ、蛟龍の幅は3mもあるのだ。
その質量もさることながら、面積も凄まじい。身体をひねらすだけでは避けきれない。人間の正拳突きとはわけが違うのだ。
たとえ鱗の一枚にかすっただけでも、大ダメージを負うことは間違いない。
……しかしあろうことか、百鬼阮はこれを躱して見せた。
まるで最初からそこに来ることがわかっていたかのように、蛟龍が動き出すよりも先に回避行動を取っていたのだ。
攻撃が来る場所もそのタイミングも、阮にはすべてが把握できていた。
視線の動きや筋肉の隆起ももちろんだが、彼は人が思っていることを多少理解できる。
それは思や念と呼ばれる、攻撃的な意識。あるいは殺気とも呼ぶことができるが、阮にはそれがわかってしまうのだ。
……特に、何度も拳を交えた仲ならば。
大砲もかくやという威力を秘めた突きを滑らかに躱した阮は、そのまま攻勢に出る。
「防御と攻撃は一体だ。回避の先には必ず攻撃がある」
やっていることは先ほどの試験官と同じだ。
回避行動を取り移動した先で瞬時に攻勢へと転ずる。戦いではそれが基本となる。
ただ違う部分を言うのならば、阮と試験官ではその練度にあまりにも差があったということだ。
回避行動を取った時、既に阮は己の膝を折り上へと至る予備動作を終えていた。
ただこれだけで、攻撃の手が一瞬早くなる。
自分よりも巨大な敵を相手にするときは、必ず上方向への攻撃に時間がかかるものだ。阮はそれを良く理解していたがために、その隙を最大限埋められる身体操作を行った。
蛟龍の側頭部に一発。地面を鷲掴みにし膝からのエネルギーを伝え、腰と軸で上向きの力を横向きに変換する。
適度に脱力し適度に固めた絶技は、体内で起こるエネルギーの減衰を理論値まで低下させていた。
……そして、小よく大を制する。未だ推進力を保ったままの蛟龍に向けて放った拳は、命中した直後逆方向へと動きを変えた。
「グガァ!」
前方に進む慣性と阮の放った拳がちょうど真反対に作用した結果、それは己の質量も相まって絶大な暴力へと変貌を遂げる。
痛みやダメージは、反発する力が強ければ強いほど大きくなるものだ。耐えようとすればするだけ、この技は痛みが増していく。
……しかし、それで止まる蛟龍ではない。彼女の体積からすれば、この程度は序の口だ。
確かにただのパンチとは思えぬ痛みがあるが、それで戦意を失うほどではない。
「君が私よりも武芸に明るいことはわかっていたさ!」
蛟龍は阮の攻撃を受けながらも、次の一手をすでに開始していた。
それは先ほど阮も行っていた、攻守を一体にする技術。
彼と違うのは、蛟龍にとってほとんどすべての攻撃は避けるに値しないこと。攻撃を避けなくていい彼女は、阮よりも一瞬早く次の手を打つことができる。
狙っていたのは魔法による回避不可能の圧撃。
一撃加えたのちコンビネーションに繋げようとしていた阮に、その魔法は降り注ぐ。
まさに水を司る神の龍。撃ち出されたのは、避けようのない絶対なる暴力であった。
弾丸だ。直径わずか4mmの水の弾丸が、縦5m横12mもの範囲で視界を埋め尽くしていた。
ショットガンもびっくり。弾と弾の感覚はたった5cmしかない。とても阮が避けられるような攻撃ではなかった。
コンビネーションを狙っていた阮は、これに対して反応がわずかに遅れる。
それも、先ほどの突きよりさらに広い範囲の攻撃。殺傷能力は非常に高い。
回避不能。防御不能。放たれた瞬間音速を優に突破した弾丸が、拳を振りぬいた姿勢の阮へと襲い掛かった。
彼にはもう、わずかにステップを踏み回避行動を取ることしかできはしない。
爆裂。扱っているのは水系統の魔法なのに、今日この場にいたすべての者がそう感じ取った。
熟練の冒険者も、引退したギルドの職員も。新人達などは今日の出来事に畏怖を覚え、また職への絶望感を募らせただろう。
無理もない。生物としての格が根本から違っている。龍と人間では、あまりにも実力差がありすぎるのだ。
たとえ悪鬼や修羅の類であっても、神の御業を受けて無事でいられるはずはない。
立ち昇る土煙と降り注ぐ雨。凄惨な被害者の姿を隠す血潮の舞が、冒険者たちへ恐怖を植え付けた……。
「……なんて、俺が死ぬわけないだろ」
瞬間、地面へと倒れ伏していたのは蛟龍の方だった。
まるで皮膚や鱗を大地へ縫い付けられているかのように、指先ひとつ動かせない。
辛うじて動くのは目と口だけ。いったい何が起きたのか、彼女自身だけでなく観客席にいた冒険者や職員すら気付くことができなかった。
「な、なにが……!?」
たまらず蛟龍は首をひねる。しかし思うように動かせず、その場を行き来する程度のことしかできなかった。
その姿はまるでそう、視界を失った蛇のよう。
「危なかったぜ蛟龍。お前の魔法はやっぱヤバい」
飄々とした口調で、蛟龍の前腕を掴んだ阮がそう告げる。
その言葉に、嘘偽りの類は一切なかった。妖怪、特に阮のような存在は、嘘をひどく嫌う。
実際、彼女の攻撃は阮を殺して余りあるだけの力を秘めていたのだ。
適切な対処を取らなければ殺されていたことは間違いない。
それだけ、彼女も本気で戦ってくれていたということだ。本当の実力を示せば、この街にはいられないかもしれないのに。
自分相手にそこまでしてくれたことが、阮は素直に嬉しかった。
「ただ、お前はやっぱり気配を隠すのが下手すぎる。初撃の突きもそうだが、今から撃ちますよってのが丸見えだ。修行が足りんぞ」
とはいえ、改善すべき点はしっかりと伝える。
戦いの次には勝者からのお説教。これが妖怪のスタイルだ。
「私の攻撃、避けようなんてなかったはずだけど……?」
しかし彼女からしてみればおかしい話だろう。
縦5m横12m。弾丸の大きさは4mmで間隔はわずか5cm。これだけ高密度の弾丸を避けられる道理がない。
まさか、阮の身体が瞬時に5cmまで細くなったというのか。
「いや、避けてなんかないぞ。よく見ろ、お前の攻撃はちゃんと当たってる」
言われて見てみると、阮の身体は血だらけだ。そこかしこに穴が空いている。
というか、グロすぎやしないか。穴から向こう側が丸見えだ。
どうやら、あの血潮は本物だったらしい。
「だが惜しかったな。あの時俺は正中線をずらしてた。5cmの幅に重要な器官は全部収めてたのさ。死ななきゃ、お前に勝つくらい簡単だ」
いったい何者なのだろうか、この男。
幼体とは言え神龍の攻撃を受け一歩も引かないその胆力。一瞬の内に隙間を見抜く眼力。
そして、己の技は絶対に通用するのだという圧倒的な自信。龍相手に制圧は容易いとまで言う魂の強さ。
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