第四話 老害悪鬼、誇りを拳で語る!
ずかずかと、周囲の目も気にすることなく
それは勇気ある英雄か、または恐れを知らぬ愚者か。己よりも遥かに巨大な蛟龍へ向かって、何もはばかることなく彼は歩んでく。
観客席を一直線に通り過ぎ、今まさに激闘を繰り広げている修練場へ。
冒険者たちの目にはどう映っただろうか。職員の目にはどう映っただろうか。
恐らく、彼らにはわからなかっただろう。ただ自殺でもしに行くように見えたことは間違いない。
……しかし、その時試験官には阮が救世主のように見えた。
自信が出てきたとは言え、彼の与えた傷は龍にとっては微々たるもの。かすり傷程度のダメージに過ぎない。
戦い方がわかっても、この絶望的な実力差が埋まるわけではなかった。
そしてまた、蛟龍が人間を襲わないという保証もまだ完璧には成されていない。
だからこそ、ここで参戦してきた阮のことが勇ましき救世主に見えたのだ。
対して蛟龍には、彼が破滅を呼び込む妖に見えた。
彼女は阮を知っている。彼の強さも、彼の信条も、自分とは異なる考えを持っているとわかっていた。
さらに言うならば、彼と自分の考えが現状対立していることもわかっている。
そしてそうなったとき、彼がどうするのかも。
「久しぶりだな蛟龍」
「久しぶりだね阮」
交わすのは短い挨拶。古い仲の友人に対する、ごく一般的なもの。
試験官は龍の手が止まったこの隙に呼吸を整えている。
一瞬自分から目が離れただけで、こんなものは隙とも呼べない。攻撃するには不十分だ。
試験官はただ剣を下ろし疲労と緊張感を受け入れるしかできない。
「何しに来たのかな、阮。私は今ギルド加入試験の真っ最中なんだ。邪魔をしないでくれ」
突然現れた阮に対し、蛟龍は高圧的な態度で注意を促す。
そこには確かに龍としての威厳があった。少なくとも表情や声音からは、絶対的なる強者の風格を感じられる。しかし……。
「ハッ。これが加入試験だと? 笑わせるな。お前は手加減というものを履き違えている。手加減するのなら、自分が圧倒的に上なのだとわかるようにしろ」
そう、これが阮には許せなかった。
蛟龍の戦いは、まるで相手に自分の実力を過小評価させるようなもの。
確かに戦術という意味では正しいが、相手は敵ではなくこれから共に生きようという仲間だ。
彼女とて、冒険者たちと敵対したいわけではないはず。むしろ友好関係を結ぶために、このような舞踏を演じているのだ。
だというのに、当の彼女には相手を信頼しようという気概が一切感じられない。
自分の実力を隠し相手を騙して、それで得られた信頼は果たして信頼足りえるのだろうか。
……否。断じて否だ。
相手を欺くことは、暗に自分が相手を信用していないと宣伝するようなもの。
本当の実力を出さずして、どうして信頼など得られようものか。
「実力を偽って信頼を得ようなど、お前の考えは浅はかだ! 龍としての誇りを忘れたかッ!」
一喝。阮は己よりも遥かに巨大な蛟龍に対し吠えて見せる。
彼にとって龍とは、何人も寄せ付けぬ絶対強者の器だ。東洋の出身なら、それも冒険者という職業ならば、誰もが一度は夢見るもの。
それが今は、人間に取り入ろうと媚びを売るその姿。失望という言葉一つでは表現しきれない。
「……君も知らないわけじゃないだろう。私たちの里がどうなったか。時代は変わったんだ! 私たちはもう、昔のままではいられない! 私は、変化を受け入れられない愚者になどなりたくない!」
対する蛟龍も、阮に負けず劣らずの覇気を見せつける。
彼女とて、好きでこんなことをしているわけではない。
しかし合理的な思考を持ち合わせた彼女には、これが最善なのだとわかってしまう。
たとえそれが嘘の上に成り立つ信頼だろうと、変化に置き去りにされるよりはずっとマシだ。
「人間は嘘を吐く生き物だ。人間の生活に馴染もうというのだから、私だって嘘を吐かなければならない! 君はいつまで妖の正義に囚われるつもりだ!」
人間は非常に社会性の高い生き物だ。そして社会性の中には、必ず嘘偽りが存在する。
それは彼らが生き残る上で獲得した大切な能力だ。
だが、少なくとも
「馬鹿野郎が! お前のそれは逃避でしかない。正義のない力に価値なんてあるもんか! 誇りのない人生に喜びなんてあるもんか!」
両者の主張は絶対に交わらない。お互い己を正義と思っているのだから当然である。
争いは正義と悪の間に起こるのではない。互いに内容の異なる正義の下で起こるのだ。
「決闘だ蛟龍。今ここで、お前の真なる実力をギャラリーに見せつけてやる」
「受けて立とう。どのみち、君とは決着をつけなければならない」
ついに両者は、実力行使という結論に行きついた。
どれだけ口論したところで、二人の主張が伝わることはない。ならば拳を交えて解決するのが妖怪の流儀というものだ。
休憩を取っていた試験官は、この急展開について行けず呆けている。
しかし矛先が自分から阮に向いたのだと理解すると、途端に足の力が抜け地面に崩れ落ちた。
身体を固定していた緊張感が緩み、全身の力がサバっと抜けきってしまったのだ。
慌てた職員が彼を修練場から連れ去っていく。邪魔をする者はもういない。
広い修練場には、先ほどよりもずっと濃密な緊張感が漂っている。
殺気と殺気のぶつかり合い。これは試合などではない。殺し合いだ。
お互いに相手を殺せる必殺の武器を持っている。一手間違えれば、あの世にいるのは自分かもしれない。
試験官に代わり龍に対峙するのは、悪鬼羅刹を征服せし剛の者。龍を恐れぬ本物の武者。
彼は24mにもなる長大な神龍に対し、剣も抜かず素手で構える。
直接視野で蛟龍の目をまっすぐ捕らえ、間接視野で彼女の全体像を把握していた。
対する蛟龍は、顔を前へ突き出し全身をしならせる。
蛇のようにS字に曲げた背骨からは、龍の巨体を支える圧倒的なパワーが加わっていた。
しかし不思議なのは、人と変わらないサイズの阮に対し蛟龍が仕掛けようとしないことだ。
彼女にとって大きさはそのままパワーである。ならば、真正面からかち合ったとしても負ける要素はない。
では何故仕掛けないのか。それは……。
(相変わらずのカウンター狙い。小よく大を制する武術の教えを忠実に守って……。忌々しい技をこの私に)
阮が狙っていることが、蛟龍にはわかるのだ。かつて共に戦った仲だから。
だからこそ、不用意に踏み込むことができない。
生物界では当たり前の大きさや質量と言った強さは、阮には通用しないのだ。
彼には才能がある。本来は人型の敵相手にしか使えないものを、魔物や異形の妖怪にすら通用するものに昇華させるという才能が。
龍と人間ではわけが違う。骨格も違えば内臓も違うし、もちろん皮膚の硬度だって違う。普通の突きが龍に通用するはずはない。
だというのに、蛟龍は彼の拳を最大限警戒せざるを得ない。
「どうした、掛かってこないのか」
決闘を申し込んできたのは自分だというのに、なんと不遜な態度か。
もうこの時点で、蛟龍は阮のペースに飲まれている。蛟龍から仕掛けなければならない雰囲気を作り出されているのだ。
これはちょうど、さっき蛟龍が試験官に行ったものと同じである。
視線と身体の機微。それだけで相手を操作する絶技。今蛟龍は、阮によって仕掛けざるを得ない状況を押し付けられている。
そしてまた、彼女自身それが正解だと認識し始めている。
これが阮の戦い。妖怪にすら術を掛ける、悪鬼の奥義であった。
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