見習い魔女の答え
「クルリナさんが最近手伝っていたのは、やはりこれですか?」
「はい。愉快なアドバイスの部分を、第三者の目で見てもらいました。私がひとりで考えると固くてつまらなくなっちゃうので……」
後ろのクルリナが声をあげて笑った。彼女はぷうっと頬を膨らますと『自己肯定感爆上げノートって名前にしてほしかった』と冗談混じりに文句を言った。
その後も彼女たちの会話は続いた。それも終わろうかというころ、フィーリアが思い出したかのようにぽつりと言った。
「ところで、これと幸せの魔法の関連を教えていただいても?」
リリーメイは、来た、と思った。
「はい、もちろんです」
見習い魔女リリーメイが出した、幸せの魔法に対するちっぽけな答え。
本当はずっと、フィーリアとこの話をしたくて仕方なかったのだ。
リリーメイは深呼吸をして、まず、にこりと笑ってから話を始めた。
「……予定の管理とか、そういうところは実はおまけなんです。このノートの要は『うれしかったことの整理』にあります」
フィーリアは彼女の顔を穏やかに見つめながら、黙って話を聞いている。
「私たちが見逃しがちな毎日の楽しみ……たとえばランチがおいしかったとか、虹を見たとか、そういったことを記録してもらって、それを整理するのがこの機能です」
この毎日の楽しみに対するヒントを最初にくれたのは、クルリナと彼女の持っていた飴だった。
子供向けの飴でさえ、持つ者に勇気と幸福感をもたらすことができる。それは、課題を難しく捉えすぎていた彼女にとって、まさしく見逃していたピースそのものだった。
あいにくリリーメイ自身はあの飴でそこまでの力を得られないのだが、それもまた、幸せという概念に対する重要なヒントになっていたのだ。
フィーリアは黙ったまま続きを促す。
「書き手の人が、あるときどこかでこのノートを見返して、その時期にあったうれしいことを振り返って、ちょっとでも幸せになってもらえたらいいなと、そう思ったんです。少なくとも私は、幸せを見落としがちな私は、こういうものが欲しいと思いました」
そこまで話して、しばしの沈黙。
実際には一瞬かもしれない無言の時間が、リリーメイにはおそろしく長いように感じられた。
彼女が唾を飲み込み、思い切ってフィーリアに感想を聞こうとすると――。
「なるほど」
まさしくちょうどのタイミングでフィーリアが声を発した。
フィーリアは顔に落ちていた髪を右耳にかけ、ふうと息をつく。
「まあちょっと詰めが甘い気はしますけど。独りよがり感は拭いきれないですし、論理が飛躍しているとも言えます」
「うぅ……」
リリーメイは、一転して厳しい感想をこぼすフィーリアを前に思わず唸った。
もしかしてこのままお説教だろうか? たしかにこれに対する評価は満点ではなかったし、非難は甘んじて受け入れよう――リリーメイがそんな悲壮な覚悟を決めかけていると、フィーリアはさきほどのやさしい声に戻ってこう言った。
「でも、いいのではないでしょうか。詰めの甘さは進学先で鍛えてもらうとして、今回はあなたがこの答えを導き出し、魔法のノートとして完成させたことが重要なのですから。あなたが欲しいものでいいんです」
そう語るフィーリアの顔には、リリーメイがはじめて見るような満開の笑顔が浮かんでいた。
「それに私は、こういうお節介な
「! はい! ありがとうございます!」
リリーメイは大慌てで目元の涙を拭って、フィーリアに深々と頭を下げた。
彼女はこのとき、司書フィーリアのことが今までよりも少しだけ解った気がした。
「それでは……」
フィーリアは、さっそく手に持ったペンで明日の日付を書き記し、予定欄を埋めていく。
「明日は五番書架で作業をします。書類仕事もふたつほど片づけて、そして、アスタさんに叱られないようにお昼をちゃんと食べようと思います――ああ、あと、そうだわ」
フィーリアは予定欄の内容をすらすらと読み上げると、最後、思い出したかのように何かしらを書き足した。彼女は追加した文言を特に声に出すことはせず、そのままペンを置いてぱたりとノートを閉じた。
「リリィさん、こんな使い方でいいですか?」
「はいぃ……、ばっちりです……」
とうとう安堵と感激の涙を止められなかったリリーメイは、愛用の薄紅色のハンカチで顔を押さえながら親指を立てた。
すると、彼女たちの話が終わるのを待っていた様子のクルリナが一歩前に踏み出し、リリーメイの横で仁王立ちのポーズを決めた。リリーメイは何事かと思って彼女を見上げるが、彼女は鼻を鳴らすばかりで何も答えてくれない。
そして。
「あのね、フィーリアさん。実はあたしたち、今度から本を作るのよ。いつかこの図書館に収蔵してもらえるようにがんばるつもり」
「あら」
それは、リリーメイが予想していなかったいきなりの活動宣言だった。
「ちょ、クルリナちゃん……!?」
リリーメイは、驚きのあまり立ち上がった。当面クルリナ以外とは活動の話をするつもりがなかったため、彼女が何を考えているのかまるで解らなかったのだ。
クルリナはリリーメイの背中をばんばんと叩き、いいじゃないのとでも言いたげに歯を見せた。
「あたしたち、どうせここで作業するんでしょ。毎日のようにごそごそやってたらすぐにバレるわよ」
「うぅ……」
クルリナのもっともな意見に何も言い返すことができず、リリーメイは撃沈した。彼女はへなへなと元の椅子に座り込むと、大きなため息をついて語り出した。なんというか、諦めたのだ。
「そういうわけで、上級院に入ってからも勉強には来ますし、クルリナちゃんとの活動でも引き続きお世話になります。どうかこれからもよろしくお願いいたします……」
見習い魔女はそう言いながら涙を拭う。しかし自分でも気づかぬうちに、それはほとんど止まっていた。
フィーリアを含めた一同が、ほどなくして笑い声に包まれたことは言うまでもない。
「……ねえ、リリィさん」
報告を済ませて閲覧机に向かおうとするリリーメイの背中を呼び止め、フィーリアは言った。
「なんだか、今日も素敵な一日になりそうですね」
もう冬の終わりが近づいてきたその日、フィーリアの言葉にリリーメイは大きくうなずくのだった。
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