司書とノート
その後もいくつかの議題について活発に話し合い、フィーリアのリハビリあるいは特別講義は、和やかな雰囲気の中で終了した。彼女たち四人は日が沈む前に解散し、ふたたびこの図書館で会うことを約束し合った。
その後もリリーメイは変わらない様子で毎日のように図書館を訪れ、クルリナと机を並べて勉強に励んでいる。以前は迷走していた彼女だったが、あの講義の日以来、手当たり次第に書架を漁ることもなくなっていた。
「ねえ、クルリナちゃん。ここちょっと見てほしいんだけど……」
「あー、そうね。これは、こっちの書き方のほうが面白いんじゃないかしら」
そして図書館に詰めるリリーメイたちにはもうひとつ変化があった。クルリナがリリーメイに何かを教えている様子が頻繁に見られるようになったのだ。
クルリナとのやり取りが落ち着き、リリーメイは顔を上げて彼女に話しかけた。
「いつもありがとう、クルリナちゃん。本当に助かるよ」
クルリナは、誇らしげに胸を反らして小さな鼻を鳴らす。
「いいのよ。だってこれが終わらないと、あたしとの約束が始まらないんでしょ? あのこと、忘れたとは言わせないわよ」
「もちろん覚えてるよ。でもおかげさまで、本当にあと少しでなんとかまとまりそう。夜は家で作業するとして、今週中には終わると思うよ」
リリーメイの言葉を聞いたクルリナは、ぱっと目を輝かせて立ち上がった。
「ほんと!?」
彼女は友達に様子にやれやれと苦笑しながら、こくりとうなずいた。
「うん。来週から始めようね、クルリナちゃん」
「やっっっった!」
クルリナとリリーメイの、本づくり計画。
具体的に何をどうしていくのか、実はまだ全くの白紙なのだけれど。それでもリリーメイは、胸の中に広がる温かいものを感じていた。
そのとき、口元にぴんと伸ばした人差し指を当ててウインクするアスタの姿が彼女の視界に入ってきた。どうやら今ばかりは、彼女たちの楽しげなにぎわいを見逃してくれるらしかった。
そしてその日から、おおよそ半月後。この日は冬が終わりかけた休日だった。
「フィーリアさんフィーリアさん!」
リリーメイは、開館直後に図書館に来るなりフィーリアのいるカウンターに飛びついた。その数歩後ろにはクルリナがついていて、頭の後ろで手を組みながらのんびりと歩いている。
フィーリアは少しだけ驚いた様子で彼女たちに応じた。
「リリィさん、どうしました? あなたがそんなに興奮しているなんて珍しいですね」
「あっ! 騒がしかったですよね、ごめんなさい」
リリーメイは、自身の様子を言葉にされて急に恥ずかしくなった。
彼女は何かをごまかすように長い髪をなでつけると、少しだけ声を落としてフィーリアに告げた。
「卒業課題、合格点もらえました。本当にありがとうございました!」
「おめでとうございます。がんばった甲斐がありましたね」
フィーリアは眼鏡の奥の瞳を細めて、彼女を祝福する。今のフィーリアが笑っていることを、彼女はもはや疑わない。いつの間にかアスタもフィーリアの隣に現れており、晴れやかな顔で拍手をしてくれている。
魔女としての先輩が祝福してくれたことでリリーメイの喜びは何倍にも膨らんでいたが、彼女はそれを押さえて用件に移った。
「それでですね、ぜひフィーリアさん見ていただきたいものがありまして……」
それこそが今日の本題だ。
リリーメイは肩から提げた大きな布かばんから一冊のノートを取り出すと、どこかぎこちない動きでカウンターの上に置いた。
それは学生たちが使う一般的なノートの半分くらいの大きさの、小ぶりなものだった。
表紙は無地で、ただそこにひとこと『フィーリアさんへ』とだけ書いてある。
「これは……?」
フィーリアはそれを手に取ると、不思議そうにまじまじと見つめる。彼女はしばらくノートを眺めていたが、ぱらぱらとめくっているうちに何かに気づいたようだった。
首を持ち上げたフィーリアの視線を、リリーメイは真正面から受け止める。見習い魔女はもう、司書の視線が怖くなかった。
リリーメイは、やや緊張しながらもゆっくり、はっきりと言った。
「これ、卒業課題です。提出したものの複製なので、遠慮なく書き込んでください」
「あたしも一冊もらったのよ。フィーリアさんも早く!」
一連のやり取りを見ていたアスタが、カウンターに据え付けられたペン立てからペンを引き抜きフィーリアに手渡した。クルリナもまた、似たようなノートを荷物から取り出して自慢げに掲げていた。
フィーリアはリリーメイの案内に従い、改めて一番はじめのページを開いた。彼女はそのまま、そこに書かれた文言を読み上げた。
「こんにちは。これは『やりたいことノート』です。日記兼予定帳代わりに使えます。今日一日やりたいことと実際にできたことを書き込むと、このノートが目標を達成できた度合いを整理してほめてくれます。おまけで、その日あったうれしいことを自動的にまとめてくれます」
エメラルドグリーン色のインクで書かれた文言は、空行を挟んで続く。
「やりたいことは前日のうちに書いておくのがおすすめです。次の日にやりたいことがわからない日は、そう書いてください。このノートがちょっとだけ愉快なアドバイスを返します。占いのようなものだと思ってお楽しみください」
そして、再度空行を挟んで、最後の一文に至る。
「最初のうちはうれしいことの整理が苦手かもしれません。そのうち上手になるので、根気よくお付き合いいただければと思います……」
説明書きを読み終えたフィーリアがページをめくると、そこからはいわゆる日記らしい枠線や日付欄が用意されていた。
「……これは」
フィーリアはペンを持ったまま、眉間にわずかなしわを寄せて考え込んでいる。
「……書き込まれた内容の解析。その結果に応じた回答の出力。回答パターンはいくつくらいあるのかしら。しかも、書き手の癖を自己学習するようにも見えるわ」
どうやら彼女は、このノートに込められた魔法の仕組みについて考察しているようだ。リリーメイは内心、気が気でなかった。なにせ未熟な自分の魔法を、先輩魔女にまじまじと見られているのだ。
もっとも魔女のフィーリアにノートを渡す時点でこうなることは想定済みだったのだから、あとはリリーメイの覚悟の問題なのだが。
そんなリリーメイの緊張をよそに、フィーリアは視線をぱっと上げて彼女の顔を見つめた。フィーリアの顔は相変わらずのポーカーフェイスだったが、そこに嫌な色は浮かんでいない。
フィーリアはふっと口元を緩めると、立ちっぱなしのリリーメイに着席を促しつつやさしい声で言った。
「……これ、なんだかおせっかいな日記帳ですね」
「あはは。やっぱりそう思いますか……?」
「ええ、とっても」
それはリリーメイにとって、絶対に指摘されると思っていたポイントだった。事実、学友のエミールにも同じことを言われている。
しかし彼女は、それが自分のノートのマイナスポイントになるとは考えていなかった。フィーリアもまた批判するような言い方ではなく、あくまで単なる感想として述べているように感じられた。
フィーリアは、ほとんど同じ高さまで降りてきたリリーメイの瞳をしっかりと捉えたまま続ける。
「……でも、リリィさんらしいなと思いますよ。幸せという曖昧なテーマに理詰めで立ち向かって、けっこう面倒くさい仕組みまで整えて。これ、大変だったんじゃありませんか?」
リリーメイらしい。フィーリアはやさしい目と声で、はっきりとそう言った。
彼女のその一言で、リリーメイはこれまで悩んできた時間が、すべて報われたような気がした。
「あはは……。提出直前は、徹夜もしちゃいましたね……」
「でしょうね。卒業課題に組み込むには凝りすぎです。ましてあなたは悩んでいる時間が長くて……」
それからもフィーリアは、ノートとリリーメイにまつわる感想をいろいろと話してくれた。リリーメイは、彼女が仕事のことばかり考えていると思っていたのだが、それは決して正しくなかったのだと感じた。
フィーリアは、リリーメイのことを見てくれていたのだ。彼女の、ここまでの頑張りを。
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