フィーリアからの依頼

 ふたりが中央公園で会った翌日以降も、リリーメイとクルリナは普段と変わらず図書館に詰めていた。


 この日もリリーメイは書架から様々な本を引っ張り出して読みあさり、クルリナは時折アスタやフィーリアと話しつつ、学校の課題とにらめっこしている。少し離れたところには、いつかの若い男性を含めたほかの利用者たちもいて、それぞれが思い思いの時間をファミル私設図書館で過ごしていた。


 彼女たちの行動は一見本当にいつもどおりだったが、変わったことがひとつだけあった。


「リリーメイさん。その後、課題の調子はいかがですか?」


「実のところ、いまいちです。クルリナちゃんにも相談に乗ってもらったりしたんですけど、どうも難しく考えてしまって……」


 リリーメイは、最初のとき以来なんとなく避けていたフィーリアに、ふたたび相談を持ちかけていたのだ。


「そうですか」


 カウンターの向こうに座るフィーリアは、淡々とした口調で言った。


 彼女は利用者向けの椅子に座るリリーメイの顔と、リリーメイの依頼で取り出した数冊の本を交互に見て尋ねる。


「ところで、なぜお菓子づくりの本ばかりお探しなんですか? 課題の参考書ですよね?」

「あ、あはは~。それは……」


 冷や汗を浮かべつつ、ごまかすように笑うリリーメイを見て、フィーリアは少しだけ頬を緩める。


 見習い魔女はそれを見て、司書のことがまた少しだけ怖くなくなった。課題の期限にはまだ余裕があるものの、取り組める時間は確実に減ってきている。本来なら焦りを募らせるばかりであるはずだったが、リリーメイの心中は不思議と穏やかだった。


「あの、フィーリアさん。追加で申し訳ないんですが、こういう本ってありますか?」


「少々お待ちくださいね。おそらく見つかると思いますが……」


 リリーメイが手元のメモを見せながら追加の資料について問うと、フィーリアは例の白紙の本を広げて右手をかざした。彼女が手を左にすべらせた瞬間に青くかすかな光が散ったかと思うと、白紙だったはずのページは一面、群青色の文字で埋め尽くされていた。


「ええと、これなんかどうでしょう? あとこっちも良さそうですね」


 フィーリアは現れた文字を指し示しながら尋ねる。リリーメイがその中から閲覧を希望する書籍を提示すると、フィーリアはアスタを呼び出し、先ほどお菓子の本を取りに行ったときと同じく地下の書架に向かわせた。リリーメイは自分で書架まで行くと主張したが、幽霊職員は『これが仕事ですから』とにこやかに主張し、そのまま床をすり抜けて消えてしまった。


 アスタを待つリリーメイは、司書の白紙本とそこに浮かぶ書籍情報をまじまじと見つめている。


「フィーリアさん、司書のお仕事に魔術を活かされているんですね」

「ええ。そんなたいそうな魔術しろものではありませんが。これでも実務にあわせて改良を重ねていて、近頃では結構便利になってきたんですよ」


 館内は静かで、カウンターには誰も来る様子がない。リリーメイは、魔女としての先輩でもあるフィーリアにいくつか質問をしてみることにした。フィーリアもフィーリアで、若い学生に自分の魔術について話すのは嫌いではないらしく、それらのことを快く教えてくれた。


 ひとつ、魔女フィーリアの魔術はこの図書館丸ごとを網羅する巨大な索引インデックスそのものであること。


 もうひとつ、手元の本はその情報を任意に引き出し、取り扱うための魔術道具マジックアイテムであること。


 そこから彼女の魔術が形になるまでのちょっとした苦労話や、使いづらく今後改善したい箇所など、彼女はいくつものことをすらすらと語ってくれた。話の間、彼女の表情はほとんど変わらなかったが、それが不機嫌ゆえのものではないことを、リリーメイは肌で理解していた。


 ――こうしてフィーリアと話していて、見習い魔女にも解ったことがある。彼女はそもそも、表情があまり変わらない人なのだ。きちんと聞けばたいていのことには答えてくれるし、そうそう怒ったりもしない。最初の相談内容を思い返せば返すほど自分が冷静さを欠いていたことを自覚させられ、リリーメイは恥ずかしい気持ちになった。とはいえあのときのフィーリアもちょっと様子がおかしかったことは気がかりではあるのだが。


 そうこうしているうちに本を抱えたアスタが階段方面から戻ってきて、リリーメイにそれらを引き渡した。今日も彼女はちょっとだけ透けていたが、窓から差す陽光に金髪がきらきらと輝いて美しく見えた。


 目的を果たしたリリーメイがふたりにお礼を言い、閲覧机に戻ろうと立ち上がると、フィーリアがやや固い声で彼女を呼び止めた。


「……ところでリリーメイさん。明後日、学校はお休みですよね? お時間があるようでしたら、開館時間にこの図書館まで来ていただけますか?」


 司書に呼び出されるのははじめてのことだ。リリーメイは小首を傾げるも、断る理由もないのでそれを了承した。するとフィーリアはほっと胸をなで下ろしつつ言った。


「よかった。当日はぜひ、クルリナさんと一緒にお越しください。それではよろしくお願いします」

「……? はい。よろしくお願いします……?」


    *


 そうしてフィーリアに指定された日時、リリーメイがクルリナを連れて図書館を訪れると、いつもの正面扉に見慣れない札がかかっていた。リリーメイはその札の内容を不審に思いつつ友人のほうを振り返った。


 視線を向けられたクルリナは何かを知っているような顔でニヤニヤと笑っていて、彼女に次の行動を促している。


「どしたのリリィ。早くノックすればいいじゃない」

「えぇ、でも……。うん、まあ、判ったよ……」


 ――本日、休館日。


 黒く大きな正面扉にかけられた木札をにらみつつ、リリーメイは控えめに扉を叩いた。一回、二回――、


「いらっしゃいませ~、リリィさんにクルリナさん。本日はお忙しい中、お招きに応じてくださってありがとうございます~」


「うわっ!!」


 すると三回目のノックをするかしないかのタイミングで、館内からアスタの上半身が飛び出してきた。リリーメイは思わず跳ね上がり、クルリナは彼女たちを見て大笑いしている。そんなふたりの様子ににこりと微笑むと、アスタは扉を抜け出して話を続けた。


「本日は休館日ですが、当館司書がおふたりにどうしてもお願いしたいことがあるそうです。どうぞお入りください~」


 アスタは鼻歌を歌いながら重たい扉を開き、ふたりの学生を中に招き入れた。


 館内はいつも以上に静まりかえっており、知っているはずなのに知らないような、ちょっとした異空間になっていた。本のにおいはより強く感じられ、彼女たちの足音ひとつひとつがどこまでも反響していくようにさえ感じられた。


 アスタはいつもの中央カウンターを素通りし、閲覧机の方に彼女たちを案内した。そこには普段は見かけない移動式の黒板が持ち込まれていて、その傍らには魔術師然とした黒く長いローブを身にまとった女性が佇んでいる。彼女は深々と頭を下げると、ふたりに向かって細い声で言った。


「こんにちは、本日はようこそお越しくださいました」


「こんにちはー!」

「ええと、はい! こんにちは! フィーリア……さん?」


 軽い調子で返すクルリナと対照的に、リリーメイはやや緊張した声で挨拶をする。


 頭を上げたその女性は、いつもとは服装が異なるものの、紛れもなく司書フィーリアだった。ちなみに今日は学校帰りではないため、リリーメイたちも学生服ではなく私服でこの場を訪れている。そういう意味では、三人が三人とも普段とは少しだけ違う雰囲気をまとっていると言えた。


「まずはお座りください。おふたりをここにお招きしたのは、折り入ってお願いがあるからです」


 ふたりは顔を見合わせながら、指示されたとおりに腰を下ろした。彼女たちを先導してきたアスタも空いた椅子に座り、向かって右からクルリナ、リリーメイ、アスタの順番で並んでいる。アスタはいつも以上にご機嫌な様子で微笑んでおり、さながら冬の太陽のようだった。


 三人が席に着いたことを確認したフィーリアはひとつ咳払いをすると、学校の先生が持っていそうな差し棒を手に取り、背筋を伸ばして彼女たちに向き直った。


「あなたたち――特にあなたには、私のリハビリにお付き合いいただきたいのです。お願いできますか? エル・グラン魔術学院六年、リリーメイさん」

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