本とスケッチブック、絵と秘密①

「ないです! 残念ながら!」

「そんなぁ……」


 フィーリアはまだ無表情を保っているものの、彼女の細い声は明らかにうろたえていた。


 一方のリリーメイは、自分の望むものが手に入らないと知って涙目になっている。

 彼女はフィーリアの顔を見ているうちに、司書に関する噂をはたと思い出した。


「フィーリアさんって、存在しない本も取り出せるんじゃないんですか!?」


 するとフィーリアは顔を真っ赤にして、手をぶんぶんと横に振った。リリーメイはとうとう崩れたなと一瞬思ったものの、続く司書の一言でふたたび肩を落とすことになる。


「そっ! そんなのはただの噂! です! ……嘘じゃないけど」

「そんなぁ!!」


 お互いがだんだんと感情むき出しになり始めた頃合いで、アスタがぽんぽんと手を叩いた。


「はいはい、お静かに~。フィーリアさんも落ち着いて~」


 アスタはふたりの間をふよふよと泳いで、にこりと笑った。

 リリーメイたちは顔を見合わせて、ふたり揃ってうつむいた。ふたりして感情任せに突っ走ってしまい、さすがに気まずいのだ。


「フィーリアさん、その……ごめんなさい」

「私は……いえ、つい感情的になってしまいました。申し訳ありません」


 彼女たちはそれぞれ頭を深く下げ、その場はようやく冷えたのだった。その様子を見ていたアスタは、うんうんと満足そうにうなずいている。


「ええと、改めましてリリーメイさん」


 フィーリアは眼鏡をくいっと持ち上げると、手にしていた分厚い白紙の本をぱたりと閉じて言った。


「幸せの定義なんて、かっちり定まったものではないんです。まずは、あなた自身の胸に手を当てて考えてみることをおすすめします」

「…………はい」


 リリーメイはもう一度だけふたりに頭を下げ、クルリナのいる閲覧机に戻っていった。その足取りは、来たときとは違った意味で重たそうに見えたのだった。


 そして。


「やっぱりダメかあ……」


 せわしなく鉛筆を動かすクルリナの隣の椅子にへたり込んだリリーメイは、そのまま机に突っ伏した。


 館内には相変わらず利用者がほとんどいない。先ほどのすったもんだで迷惑を被った人がほとんどいないことは、リリーメイにとってほんの少し幸いなことだった。まあ、そもそも図書館であんな風に声をあげてしまうこと自体よくないのだが。


「さっきはごめんね、クルリナちゃん。うるさくしちゃって……」


 リリーメイは、顔を伏せたままクルリナに謝った。クルリナもまた、視線を帳面に落としたまま応じる。


「んー? あんまり聞こえなかったし、別にぃ」

「……そう」


 クルリナの鉛筆が紙の上を滑るときの、乾いた音が心地よい。


 新しい友達のこの言葉が真実か、それとも自分に気を遣ってくれてのものなのか。リリーメイには判別がつかなかったが、この軽快な音を聞いていると、どちらでもよくなった。


 彼女はしばらくの間その新鮮なメロディを聞いた後、勢いをつけて顔を上げた。暗いところにいた彼女の目に午後の日はまぶしく、まぶたの裏に不細工な星が散っていた。


「クルリナちゃんは何してるの……?」


 ふいに、そのやさしい音の正体を知りたくなって、リリーメイはクルリナの手元を覗き込む。


 するとそこには、かつては真っ白だったであろうスケッチブックいっぱいに広がった幻想的な風景があった。クルリナは何てことないといった調子で、ごくごく軽く答える。


「んー? 見たまま。お絵かき」

「わあ……」


 クルリナのスケッチブックに釘付けになったリリーメイは目を輝かせた。


 紙の上では、見たこともないような町並みと、おとぎ話に出てきそうな妖精や架空の生き物たちが楽しそうに躍動していた。明らかに描き手の空想から生まれた景色であるそれらを見て、リリーメイはクルリナが何も見ずに鉛筆を動かしていたことに納得感を覚えた。


 彼女の絵はラフにも近い鉛筆画で、実際に目に入るのはモノクロの画面なのだが、リリーメイの目にはそれがとても色鮮やかなものに映った。


 前のめりになった見習い魔女は、興奮気味に問いかける。


「ねえねえ、それって学校の課題? クルリナちゃん美術学生って言ってたもんね」

「違うわよ。あくまであたしが、個人の趣味で描いてるだけ」

「へえ、素敵!」


 リリーメイの矢継ぎ早の質問をごくクールにいなしていたクルリナは、ストレートに褒められた瞬間に顔を真っ赤にした。見れば、結い上げた髪の向こうに覗くやや厚めの耳たぶまでが赤くなっていて、まるで湯上がりのような色に変わっていた。


「……ありがと、リリィ」

「ん? うん!」


 それからしばらくの間、リリーメイは再び集中し始めたクルリナの作業を見学し続けていた。


 やがて日が傾き始めたころ、彼女はクルリナとふたりでカウンターのフィーリアたちに挨拶をして、そのまま図書館を後にした。


 敷地を出たふたりは、また明日の放課後、ここで会うことを約束してそれぞれの家路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る