魔女と見習い魔女
カウンターを挟んで立つ司書フィーリアは、一人前の魔術師の証である三角帽を頭に乗せた魔女だった。
年の頃は思いのほか若く、リリーメイと十も違わないように見える。
もっと年上の人物を想像していたリリーメイは、カウンター越しに見える彼女の頭の先から太もものあたりまでをまじまじと観察してしまった。背はリリーメイとクルリナの中間くらいで、どちらかというと華奢な印象の女性だった。
フィーリアはリリーメイの服装を見ると、淡々と彼女に告げた。
「魔術学院の学生さんですね。勉強のご相談でしょうか?」
「は、はいっ!」
ささやくようでいてはっきりとした芯のある彼女の声に、リリーメイは胸を射抜かれたような錯覚をおぼえた。緊張のせいだろうか、悪い意味で心臓が爆発しそうになってしまっている。声をひっくり返して棒のように立ち尽くしている見習い魔女は、表情を変えないままで自分を見つめるフィーリアの琥珀色の瞳に、何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
「わかりました。それでは、もう少し詳しいことをお聞かせいただけますか?」
「あっ、ははっはい、それはですね、ええと……」
「…………」
「~~~~~~っ!」
伝えるべきことをうまく言葉にできないリリーメイを、フィーリアは静かに見つめている。
彼女はそれを、どこかフィーリアに責められているように感じて、ますます縮み上がってしまうのだった。
「……? あの……?」
司書は無表情でこそあるものの、間違いなく戸惑っている。
その様子がまた、自身が他人に迷惑をかけていることをありありと強調し、彼女の胸を締め付けた。
「あの、ええっと……」
目の前に立つこの人物こそ、リリーメイが図書館を訪れた目的そのものだった。
そう思うと余計にのどが締まって、うまく言葉が出ない。彼女は次の瞬間、反射的に頭を下げていた。
「っ……ごめんなさい!」
「あの、とりあえず相談内容を聞かせてください。いきなり謝られても、ちょっと困りますから」
「……はい」
困惑の気配こそ浮かんでいるものの、フィーリアの声のトーンはほとんど変わらない。怒っているのかいないのかも、表情や声色だけではいまいち判断がつかなかった。
そんなこともあって、リリーメイにとっての魔女フィーリアは、どことなく冷たい印象が先立つ人物としてインプットされてしまうのだった。
*
「それでは、改めて。リリーメイさんはどのような本をお探しでしょうか?」
咳払いをしたフィーリアは、何事もなかったかのように続ける。
リリーメイは恥ずかしさに顔を赤らめながらも、どうにかこうにか、か細い声を絞り出した。
「……あの、卒業課題、で」
「はい」
余計なことを考えてしまってうまく話すことさえできない。リリーメイはそんな自分が嫌になり始めていた。少しだけ顔を上げると、いつの間にか戻ってきていたアスタが、自分の横について無言で声援を送っている。ああ、本当に情けないなと、彼女は唇をきゅっと噛んだ。
それでも話さないと、勇気を出してここに来た意味がない。学校の友人や新しく出会った人たちに助けてもらった意味もないのだと、彼女はこぶしを握りしめ、声を振り絞った。
「魔術学院の卒業課題の資料を……探しています。でも、どうしても、課題をどう解釈していいのか解らないんです……」
解らない、を見ず知らずの大人、それも魔女に打ち明けるのは、リリーメイにとって簡単なことではなかった。それが非常にちっぽけな悩みであることを頭では理解しているものの、あいにく彼女の頭と心はまったく別の生き物だった。今カウンターに向かい合っているだけで彼女の身体は震えているし、助けになるであろう司書の顔すら見ることができない。それでもここで力を振り絞って司書の力を借りなければ自分は前に進めないのだと、彼女は強く強く意識した。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、フィーリアはごく軽い声で言う。
「ふむ、つまり参考書ですか」
「あ、はい。かいつまんで言えばそういうことです!」
最初のひとことをひねり出したことと、幸か不幸かフィーリアが発言内容にさしたる反応を見せなかったことで、リリーメイの心と身体は幾分か軽くなっていた。フィーリアは淡白で冷たそうな人だが、今ばかりはそれが却ってありがたいと彼女は思った。
フィーリアはカウンターの向こうに置かれた椅子に腰掛け、分厚い辞書のようなものを取り出した。彼女はその本の中ほどのページを開くと、眼鏡越しにリリーメイの目をまっすぐに見る。その光はレンズの反射に阻まれてしまったが、リリーメイの恐れるような色は浮かんでない。
どこまでも淡々と、どこまでも仕事に忠実に。カウンターにつくフィーリアは、そういう人に見えた。
リリーメイがその本をちらりと覗くと、驚くべきことにそれは真っ白だった。
「では、もう少し具体的なところを教えてくださいますか? 参考になりそうな蔵書があるか確認しますので」
「は、はい!」
「では、調べたい内容は?」
「幸せの定義です!」
先ほどまでとは打って変わって勢いよく飛び出たリリーメイの言葉に、フィーリアの動きが一瞬固まった。見れば司書は、首を傾げたまま動かなくなっている。
「えっと……?」
司書は困惑している。
そのことにリリーメイはしっかりと気づいているのだが、一度ついた勢いはなかなか止まらない。
「私、幸せってどんなことなのか解らなくて、それで幸せの定義を知りたいんです! あの、幸せを定義をそのものずばり、論理的に記述した本ってありませんか!」
「…………ぬ……ぬぬ?」
リリーメイがそこまで言い切ってしまうと、質問をぶつけられたフィーリアはポーカーフェイスのまま、おかしな具合のうなり声をあげた。
「あらあら~? なんだか不思議な空気~?」
ふたりを静かに見守っていたアスタも、たまらず割り込んできたようだ。
なんだか妙なことを言ってしまっただろうか。リリーメイは少し後悔しつつも、しかしこれは必要なことなのだという思いを曲げなかった。そう、これは必要なことなのだ。彼女の、完璧な卒業課題にとって。
彼女の問いに、呆然としていたフィーリアは慌てて首を振りきっぱりと答える。
「…………ないです!」
「えっ!」
司書のやや感情的な一声で、リリーメイの望みは儚く散ったのだった。
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