ファミル私設図書館②

 この建物の面積そのものは、学校内の図書館とあまり変わらない規模感だった。違うところといえば学校のそれよりもはるかに高い天井と、その天井にまで届く壁際の作り付けのものをはじめ、たくさんの本棚が人々を見下ろしているという点だった。


 リリーメイはほこりっぽい空気の中に混ざる図書館特有のにおいを好ましく思いながら、本棚にみっちりと並ぶ書籍の背表紙に目を通していた。書籍は分野ごとにしっかりと区分けされており、しかもその内容は多岐にわたっている様子が見てとれる。


 どうやらこの図書館はそれなりにしっかり管理されているようだ。それも、あのアスタとこれから会う司書が担っているのだろう。


 ファミル私設図書館。ここは、とある資産家が個人で運営している図書館として知られている。お金持ちが趣味でやっているような場所なので、私設にもかかわらず利用料は取られない。それでいて膨大な蔵書を誇っているのだから、リリーメイのような学生には非常にありがたい存在だ。彼女自身も、この場所のことはずっと以前から知っていた。しかし、実際に敷地内に足を踏み入れたのは今日が初めてだった。


 この場所をある意味避けていたことに、明確な理由は存在しない。

 ただなんとなく、自分自身の領域を広げることを、内気なリリーメイは嫌っていたのだ。ある意味でそれは逃げなのかもしれない。


 しかし。


「幸せ、幸せかあ……」


 この季節に至り、引っ込み思案な彼女もついにそんなことを言っていられなくなった。自分の殻に閉じこもっているだけでは解決できない問題が、彼女の身に降りかかってきたのである。


「ええと、『幸せな恋愛を呼び込む五十の習慣』……なんか違うなあ……」


 さきほどからリリーメイは、ぶつぶつと何事かをつぶやきながら本棚の前をうろうろとしていた。見ている本のジャンルは精神論、宗教、恋愛、自己啓発などなど。およそ彼女の学んでいることとは結びつきそうにないものばかりだった。


 今の館内に利用者は少なく、彼女の声は思いのほか響く。

 リリーメイは、はっと口元を覆いつつ、再び視線を本の背々にさまよわせた。


「…………うぅ」


 ――さきほど、クルリナの言ったことは事実だった。

 リリーメイは魔術学院入学以来、学年上位の成績を保ち続けている。それも、さしたる苦労も伴わず、だ。


 彼女はいわゆる、自他ともに認める秀才という存在である。彼女はそのことをひけらかす気も、否定する気も一切ない。褒められればうれしいし、勉強をすることは純粋に楽しい。今後も、もっと新しいことを学びたい。だからこそ、彼女は困り果てていた。


「司書さん、どんな人だろう……。良い人だって聞いてるけど……」


 今度は、響かない程度の小声でささやく。

 司書。ふいに意識が本棚から逸れてしまったリリーメイは、改めてその人物に思いを馳せた。


 アスタに魔力を供給している魔術師、それがおそらく、噂の司書その人だろう。もしそうであるのなら彼女の力もまた強大なものだなと、見習い魔女は素直に感心していた。


 なぜなら幽霊への魔力供給は消耗が激しく、また分け与えるエネルギーの加減にもコツがいるとされているからだ。少なくとも、それが魔術学院よりもさらに進んだ上級院でないと教えてもらえない技術であることを、リリーメイは知っていた。おそらくアスタが物体に干渉できる範囲は、この図書館の建物周辺または敷地内までといったところだろう。この図書館は、小さいとはいえそれなりの床面積があることを考えると、司書本人への負担は小さくないはずだ。少なくとも、これと同じことは今の自分にはできないなと、彼女は思った。


「リリィさ~ん、お待たせいたしました~」


 指で頬を叩きながら思案しているところに、アスタが声をかけた。

 自分に気を遣ってくれているのか、彼女は本棚をすり抜けたりせず、きちんと通路を使用して現れたようだ。


「アスタさん」


 彼女の気持ちはありがたかったが、リリーメイはもう、アスタの存在にはさほど驚かずに済みそうだった。本当に、一度知り合ってしまえば幽霊でもなんとかなる。リリーメイは自分の飼う臆病虫の性質をおかしく思った。


「フィーリアさん、これからカウンターで対応してくれるそうなので、そちらにお願いします~」

「ありがとうございます。助かります」

「いえいえ~」


 先刻と変わらず朗らかな調子のアスタの後を追って、リリーメイは本棚の間を通り抜け、最初に書類を記入したカウンターに向かった。足取りは重くはないが、進むにつれて心臓は痛いくらいに高鳴るようになっていた。


 ――ああ。もし、ここで見つけられなかったら、私は。

 リリーメイは、祈るようにして胸の前で両手を握った。


「フィーリアさん、利用者さんをお連れしました~」

「ありがとうございます、アスタさん。後はこちらで引き継ぎます」


 そのとき、視線が下がっていたリリーメイの耳に、知らない声がすっと入ってきた。気がつけばカウンターは、彼女たちの目の前にまで迫っていたのだ。


「はじめまして、リリーメイさんですね」


 大きな眼鏡をかけた赤毛の女性が、カウンターの向こうに立っていた。

 彼女はアスタを見送ると、一度背筋を伸ばしてからリリーメイに頭を下げる。


「ここの司書をしています、フィーリアといいます」


 リリーメイは、ごくりと生唾をのんだ。

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