第七話 原初たる、神の御業
意外なほどあっさり話を聞き入れたクロロプラストは、今度は樹木との契約に関する魔法を授けるべくビアンカの方へ向き直る。
彼の針葉樹のように深い双眸が、ビアンカにはどこか柔らかいものに感じられた。
何故だろうか。先ほどまで対立しかけていた両者は、今この瞬間確実に和解を成し遂げている。
ビアンカはすでに彼を信用しつつあった。
それは彼の言動に理があるからか、はたまたその仕草恰好ゆえか。彼女にはわからなかったが、それでもクロロプラストが真に敵対者でないことは理解している。
「ビアンカ、だっけ? 今から君に、植物との契約魔法を伝授するよ」
そんな原初神から紡がれるのは、期待と慈愛に満ち溢れた言葉。
彼の声には、予測の付かない未来に対する圧倒的な喜びが存在していた。
下手をすればエルフと人間が大戦争を起こし生態系が崩壊する恐れもある。そんな状況下で、彼は楽しんでいるのだ。
ヴィドリアにあれほど問い詰める思慮深さを持っていながら、これから起きる悲劇に何の感情も持ってなどいない。
これが神という存在なのだと、改めてビアンカは認識した。
神は常なる者とは明らかに異なる。理解できない行動原理、思想、そして価値観を持っているものだ。
人の生き死にや生物種の栄枯盛衰など、彼らの生きた何百万何千万という年月の中で見飽きたものなのだろう。
ビアンカは表情にこそ出さないが、彼らと絶対に合致することのない価値観の違いというものを実感していた。
そこには、ある種の恐怖もあったのかもしれない。
「ビアンカ、君は魔法がどんな原理で発動するか知っているかな?」
しかし、クロロプラストはそんな彼女の心境の変化などまったく無視して話を進めていく。
原初神であるクロロプラストに、常人であるビアンカの気持ちを理解しろという方が無茶な話なのだ。
そもそも対等になど見ていないのだから。
「魔法の原理というと、魂の話でしょうか」
それに対しビアンカも、あくまで普通の態度を貫き話を促す。
クロロプラストが話を進めたいというのなら、ビアンカにそれを中断することはできない。
今は彼女の感情を優先すべき場面ではないのだ。流石のビアンカもそれを理解している。
「うん、人間やエルフたちにはそういうことになってるね。魔法は魂から現れ出でるもの。けど、それは間違いだ」
クロロプラストの口調は柔らかくはあるが、相変わらず思考が読めない。
親切なのか蛋白なのか、それはヴィドリアですら迷うところであった。
「魔法というのは、魂の核とされている臓器。魂臓で生み出される魔力が属性ごとに多様な変化をすることで、能動的に発動することのできる現象のことだ」
この世において魔法とは、摩訶不思議な幻想の類ではない。
魔法とは、例えるのならば電気のようなものだ。
地球の人間が火から電気にエネルギー転換を行ったように、火から魔法にエネルギー転換を行っただけのこと。
この世の生物にはそれが可能であった。
「ここで勘違いしないでほしいのは、発動できる魔法は魂臓の属性によって決まっているということ。人間は良く修行次第でどんな魔法も使えると勘違いしてるけど、使える魔法は種族ごとに決まっているんだ」
……これにはさしものビアンカも驚愕を露わにした。
なぜなら、彼女もそう信じていたからだ。修行すればどんな魔法でも行使できるものと、そう思っていた。
事実、村にいる熟練の魔法使いは多種多様な魔法を使うことができる。
未熟なものは一種類の魔法しか使えず、卓越すれば数十種類の魔法を使えるのだ。
「エルフは元々使える魔法の種類が多いから、そう勘違いするのもわかる。だけど、これから教える契約魔法は話が違うんだ。これはエルフに行使することができない」
信じられなかった。エルフに使えぬ魔法が存在するなど。しかしだからこそ、その魔法に興味を持った。
ビアンカとて生粋のエルフだ。魔法の修業が嫌いなわけがない。むしろ大好きである。
そして魔法を探求することもまた、彼女が得意とするところだった。
「だから今から、君の魂臓にとある術を施す。植物の栄養を契約魔法の属性に変換する術だ。森の実りを食せば、君は契約魔法が使えるようになる。そういう術さ」
なんともサラっと言っているが、それはまさに神の御業だ。
この時代この文明に、人の臓器へ術を施すなどという技術は存在しない。
あまりにもオーバーテクノロジー。神以外に許されぬ秘儀である。
「わかりました。それでみんなを救えるのなら」
恐ろしくはある。己の身体の内を晒すなど、相当の信頼がなければできないことだ。
だが、村のみんなや他のエルフたちの命が懸かっているというのなら話は別。この身ひとつで救えるものがあるというのなら、挑まずにはいられない。
それだけエルフは逼迫している。それだけエルフは困窮している。
「よし、ならこっちに来て横になりな」
クロロプラストは彼女の覚悟を認めると、己の隣へ手を叩く。
瞬く間に現れた植物のベッドへ、ビアンカは仰向けに横になった。
目を閉じ深呼吸すると、植物特有の柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。
少し前までうずくまるほど強烈に感じた光が、今は温かく優しい春の日のように感じられた。
植物の支配するこの空間そのものが、彼女を根底から落ち着かせていく。
きっとこのまま数分も経てば、彼女は深い眠りについてしまうことだろう。
そうなる前に、クロロプラストは術を施す。
「魂臓は心臓の右隣。肺に包まれている器官で、意外と小さいんだ」
彼はビアンカの胸に手を当てると、そのままズブズブと内部まで浸透させていく。
皮膚を開いたわけでもないのに手がめり込んでいくその様は、とてつもなく異様で不思議な光景だ。
痛くはない。苦しくもない。しかし確かに、己の内に入ってくる感覚はある。
そこですっと、ちょうど胸の真ん中ほどで何かが握られているのをビアンカは感じ取った。
初めは心臓を握られたのかと思ったが、次に流れてきた温もりと魔力で理解した。
これだ。これこそが、魂臓という器官なのだ。
自分が今まで魂の正体と信じていた、魔法の源。そこに干渉する異物の感覚。
自分という存在が、エルフという種の構造が、根底から書き換えられていく。
柔らかく温かく、そして鮮烈に。まるでクロロプラストそのものを表しているかのような魔力の流動。
胸の内で波動を繰り返すその導きに、ビアンカはある種の快楽を覚え始めていた。
この力に心酔したい。この力に縋りつきたい。こんな、生物種の進化を否定するかのような根源的力に、自分も囚われたいと。
それはきっと、この世に生きる生物として正しい思考なのだろう。
生物の根幹を支える原初神クロロプラストの力に酔いしれることは、恐らく間違いなどではない。
むしろそれが生物として当たり前なのだと、根拠もなくそう確信してしまう。
しかし、それで正しいのだろうか。
当たり前であることと、正義であること。履き違えそうになるが、これはまったく異なる考えだ。
普通であることが正しいとは限らない。この力に酔いしれることが普通だとしても、それを跳ね除けなければならないのではないか。
「!」
ビアンカは途端に、己というものを取り戻した。そしてまた、神の手によって己を失いかけたことを理解した。
「……随分と自我の強い子だね」
目を覚ましたビアンカに対し、クロロプラストは意外そうな声音でそう言った。
「施術は終わったよ。これで君は、森と契約できる。君たちが森を守り魔力を捧げる限り、森は君たちに恵みをもたらす。これはそういう契約だ」
しかと目を開くと、そこには先ほどと何も変わらぬ景色が広がっていた。
相変わらず光量が強くて目が痛いし、クロロプラストは胡散臭い。
ビアンカは自分が何者になろうとしたか理解し、恐怖に身震いした。
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