第六話 大博打

「ふぅ~ん、要するにあれか。人間への対抗策として、そのエルフを使うと。ヴィドリアからしても森林は大切なはずだし、悪くない提案かもしれないね」


 森林を壊されて困るのは、何も彼だけではない。


 森林内部には数多の生物種が生態系を作り上げている。


 知恵神ヴィドリアの統括する哺乳類や爬虫類、地上の節足動物。

 鰓神さいしんブランキアスの統括する魚類や海中、淡水域の動物たち。

 翼神よくしんアラスの統括する鳥や翼竜、ドラゴン。

 腐食神コロシオンの統括する細菌や菌類など。

 そしてもちろん、原初神クロロプラストの統括する樹木や草。


 この惑星ヴィーダに存在する数多の生物種は、森林という根底の支え失くして存続することはできない。


 そしてまた、森林に限らずその生態を構成する要素が変動すれば、当然小さくない打撃を受ける。


 原初神クロロプラストはもちろん森林を大事に思っているが、それ以外の神々も同じく他種を欠かせない存在と認識していた。


 ヴィドリアの提案を受けた原初神クロロプラストは、先ほどの威圧的な表情とは打って変わって柔らかい笑みを浮かべた。


 どうやら彼女の提案に少し乗り気になってくれたらしい。


「人間種も自然から進化した動物の一種。故意的に絶滅させるというのは自然の流れに反します。そこで私は、彼らに対抗できる戦力が必要であると判断しました。協力していただけますか?」


 そこにヴィドリアが畳みかける。持ち前の魅了は通用しないが、そもそも彼女の物腰柔らかな人柄というモノがある。


 神であっても好きな相手嫌いな相手というのは存在し、その中でもヴィドリアは好かれやすいタイプだ。


 口調も丁寧だし、声音も安定している。その中に力強さも垣間見ることができ、眷属の幸せ、ひいては生物種すべての未来を願っているといつも行動で示していた。


「良い提案だとは思うんだよ。僕自身、対人間用の植物を無理やり作るよりそっちの方が健全な感じがするし」


 対人間用の植物とはなんだろう。パッ〇ンフラワーみたいな奴だろうか。


 そんな雑念はどこかへすっ飛ばし、ヴィドリアはクロロプラストに話の続きを促す。


「けどね、言葉を認識できる相手ってのが問題なんだ。その辺、ヴィドリアはちゃんと考えた?」


「貴方の言いたいことはつまり、人間とエルフの対立。種族間の戦争による環境の破壊、ということですね」


 ヴィドリアの言う通り、最も懸念されるのはそこだ。


 エルフに森の守護を任せるということは、人間を故意的に絶滅させるより健全だろう。


 しかしそれは、エルフと人間の対立を深めるという意味合いも含まれている。


 戦争は最も醜い環境破壊だ。何故か。戦争には文明が必要だからだ。


 戦争は文明を加速させる。当然、被害を被るのは自然に生きる動植物たちだ。


 緩やかに、自然の流れと合わせて人類が発展するのならば何の問題もない。しかし、文明が急激に加速するというのはマズいのだ。


「もちろんクロロプラストの懸念もわかります。しかし、エルフと人間の対立は今に始まったことではありません。事実、人間は何度もエルフの住む森に侵略戦争を仕掛けています」


 その通り、エルフはすでに幾度となく人類と戦い、ほぼすべてにおいて勝利している。


 それはひとえに、彼女たちが持つ魔法技術ゆえだ。人間では到底敵わないほどの力がある。


「だからと言って、無為に対立を生むのも良くありません。森を守るために施した措置が、結果森を破壊することになっては目も当てられませんから」


 ヴィドリアはそこでひとつ呼吸を置く。


 どうすれば人間との対立を生み出さず、エルフの勢力を拡大することができるか。


 話はすでに、エルフの食糧事情を解決するという領域を脱してしまっていた。


 もちろんこの話をすべてのエルフに伝えることはできない。彼らには無自覚のうちに人間を退けてもらうのだから。


「……正直、この問題を解決できるほど私は賢くありません」


 驚いたことに、あまりにもあっさりとヴィドリアはその事実を認めた。


 知能の高い生物種の出現によって知恵の神とまで言われるようになったほどの存在が、己の頭脳に否を示したのだ。


 彼女に不可能ならば、恐らくすべての生物、すべての神にも不可能なのだろう。


「何が原因で人間とエルフが戦争を始めてしまうのか。いや、むしろ人間同士の戦争の理由すら、私には把握しきれていません」


 人間は何を理由に争いを始めるかわからない。


 言語を統一すれば戦争はなくなるのか。

 資源を一定にすれば戦争はなくなるのか。

 文明や技術を一定にすれば戦争はなくなるのか。

 思想を統一すれば戦争はなくなるのか。


 いや、きっと一定にすることでは戦争をなくせないだろう。そしてまた、差を付けることでも戦争をなくすことはできない。


 人は言葉で平等を謳っておきながら、本質的には己と他者、他者と他者を比較する生き物だからだ。


 人は他との差を好む。そして羨み、妬み、または優越感に浸ろうとする。


 根本的な戦争の原因は、そんなくだらないものだ。己と他は違うということを、理解していても認めようとしない。それが人間という生き物だ。


 だから、戦争をなくすことはできない。対立を止めることはできない。なら……。


「確証なんてありませんよ。今まで、私たちの思い描いたように進化した生物がいましたか? そんなわけありません。生物はいつも多様で、色鮮やかで、予想が付かない。だから、賭けてみませんか。エルフたちに、人間たちに」


 それは力強い言葉。知恵神ヴィドリアの発する、言葉という媒体を最も深く理解した者の紡ぐ音。


 なんの魔法も籠っていない。彼女の眷属であるビアンカすら、その言葉に心酔したりはしないだろう。


 しかし不思議にも、何の力も使っていないそんな言葉ひとつが、ここにいる二人には途方もない力の籠ったものに聞こえた。


 何の障害もなく、己の内に染み込んでくる言葉。ただ聞くだけで、あわや納得しそうになってしまう音。


 神すらも手のひらで転がす、至高の知略。


「予想が付かない、か。確かにそうだ。僕も、人間みたいな生き物が現れるなんて想像もしてなかった。いやそれ以前に、裸子植物がここまで勢力を拡大するなんて思わなかった。予想通りに行ったことなんて、本当に少ない」


 ヴィドリアの言葉は、とどのつまり予測できないけど手を貸せ、ということだ。


 しかし今、クロロプラストの心境は揺れている。普段ならば絶対に乗らない賭け。見通しが一切ない、分の悪い勝負。


 失敗すれば多くの眷属を失う結果になり、成功すれば半永久的な種の保全が約束される大勝負。


 そんなものに、己の感情というとてもわずかで説得力のない根拠のもとBETしようとしている。


 それだけ、神にとって予想の付かないものというのはごくありふれているのだ。


 特にこと生物種となれば、神の予想通りになど行くはずがない。ここでいくら論争を繰り広げたところで結論は出ないだろう。


 人間とエルフが対立しないようにする具体的な対策など、わかるはずもない。


 ならば、そんな生産性のない議論などしている時間は無駄だ。するべきはただひとつ。


 この分の悪い賭けにBETするかしないか決断することのみ。


 クロロプラストはそこで、今一度ヴィドリアの目を見た。


 とても美しく、それでいて叡智を感じさせる奥深い空色の瞳。どこまでも自信に満ちた、見る者すべての視線を奪う神の眼光。


 交わるのは、針葉樹のように深い緑色の瞳。この星に住まうすべての生物を支える根底にして、原初と言われるほど古参の神。


「……降参だ」


 折れたのは、原初神の方だった。


「わかった。その賭けに乗るよ。どのみち、何か行動を起こさないと人間を抑止するなんてできないんだ。このまま傍観者ではいられない」


「ありがとうございます、クロロプラスト」


 二人は固い握手を交わす。対立していた関係も変わっていく……。

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