02-重力引かれ蝉



 かくして俺は彼女の眷属に成り下がった。どこへ行くにも女神様の半歩後ろに付き従い、荷を持ち、椅子を引き、お使い仕事に駆け回り、その報酬として涙が溢れるほど美味い食事と、息が止まるほど凄い膣の感触に酔い痴れる。自分の変わりようが信じられなかった。神々に卑屈にひれ伏し奉仕することばかりを喜びとするおべんちゃら神官プリーストどもを心から軽蔑していたはずなのに、いざ本物の女神を目の前にして、俺は言い訳のしようもなく恋に堕ちた。

 彼女と俺は各地の超銀河団スーパークラスタを駆け巡り、主だった黒丸ブラックホールを片っ端から突破ランアップしていった。サジタリウスAスター、OJ287、そしてハイペリオン活動銀河核。宇宙中のランというランを総嘗そうなめにした精霊エヴォニッツァの名声はいやがうえにも高まっていく。

 勝利の夜、決まって彼女は普段の数十倍も欲情し、ブラックホールじみた強烈な引力で俺をベッドに引きずり込んだものだった。しかもいいささか変わった要求をする。

「縛ってくれ」

 女神の腰にまたがったまま、荒縄を手にして俺は困惑する。

「こんなのお前なら引きちぎれるんだろ……」

「言うな、萎える。早くしろよ職人アーティスト

 俺は言われたとおりにした。輝くような肌を傷つけたくなくて、手首にタオルを巻いてから縄でベッドの支柱に拘束し、動けないふりをしてる女神のへそと脇腹をくすぐる。彼女は身をよじって許しを乞うが、俺は容赦なくいじめぬく。彼女の歪んだ唇から情けなく垂れる唾液を俺は舐めとり、そのままキスの雨を裸体に振らせた。熱を帯びた唇を吸いつかせ、頬に、耳に、首に、肩に、腕に、指に、脇の下に、乳房の横に、腹筋の線に、鼠径部から太腿の内側、裏側、ふくらはぎを経て足の指のひとつひとつに、丁寧に丁寧に口づけをして、耐えきれなくなった女神の懇願に応えてついに股の間へ顔を突っ込む。俺の奉仕に彼女は震え、俺の頭を両側から挟み込む腿の力強さに俺は歓びを覚え、執拗に執拗に愛を注いだ。



   *



ティトノスになるぞ」

 数ヶ月ぶりに顔を出した俺に対して、ブルの態度はつばを吐きかけるかのようだ。筋金入りの反神派なら相棒の変節に我慢ならないのも当然だが、俺は喧嘩にしたくない一心でへらへら笑ってばかりいた。

「不死なんか要らないよ」

「知ってるか。アジアでは馬鹿のことを『鹿を馬にDeer to Horse』って言うんだ」

「どういう意味……」

始皇帝ファーストエンペラーの息子の代、悪い側近が皇帝を傀儡にして専横を極めてた。側近は己の権威を試すため鹿を連れて来て言った。『馬です』。皇帝は笑って『鹿じゃないか』。側近は左右に居並ぶ官僚どもに問いかけた。『諸君、鹿に見えるか……。馬に見えるか……』」

「で……」

「鹿と言った奴を皆殺し。だが馬と言っておもねった奴等は永遠に『鹿を馬にDeer to Horse』と蔑まれることになった」

おうまあOh,dear

「真面目に聞け」

「なあブル、俺は初めて本物の光を見た。翼が生えた心地なんだよ」

「翼だと。天を舞うどころか、俺にはお前がひどく重苦しいものに引きずり込まれてるように思えてならん」

 俺の肩を掴むブルの爪が、上着の革をきしませながら肌まで食い込んでくる。

「目を覚ませ。神は天上にあって道を示すから役に立つ。地に降りた神にびたって、彼我の格差を思い知って愛玩動物ペットに堕ちるしかあるまいぜ」



   *



 愛玩動物ペット。そりゃあ半分自覚はしてる。いかに彼女の活躍に貢献しても、どれだけ肌を重ねても、女神を我が物にできるわけじゃない。むしろ近づくほどに女神と自分の明確な差を見せつけられてた。ブルの言うとおり、あるいはそれ以上にだ。

 エヴォニッツァは、完璧だ。

 操縦技術ばかりじゃない。凛然と勝負に臨む気概と気高さ。黒丸ブラックホールに関する経験知識、それを裏付ける物理学と数学への造詣。俺の仕事の価値を的確に見抜く目と、ひとつ残さず褒めてくれる気配りの心。それら全てが周囲を圧倒するほどの美貌の中に詰め込まれていれば、俺ごときがとうてい釣り合うものじゃない。横に並ぶどころか、後ろをチョロチョロついて回るだけでも彼女の格を下げるように思われた。

 それが辛くなかったと言えば嘘になる。

 考えてみれば、人類が銀河系に進出した時そこで出会ったものが宇宙人でも銀河文明でもなく古きお馴染みの神々だった、てのが全ての不幸の根源なんだ。世界が誕生したその直後から宇宙には本物の神々が住んでいて、自分たちのイメージを、精神に感応する一種の波動に乗せて地球人類へ送り続けていた。だから俺達の祖先は神々の御名と御姿と御題目を会ったこともないのに知っていた。その宗教信仰と何万年もかけてやっと決別したところだったのに、科学の粋を凝らして飛び出た宇宙には科学で全く説明つかない超越者どもがウヨウヨしてた。当時の人間がどれほど衝撃を受け、どれほどやる気を無くしたか、想像するだに痛ましい。

 以来人類はたっぷり2000年近くも停滞を続けている。新しい発見は何もなされず、惑星の開拓も緩やかな人口増加に合わせておざなりに進められているだけだ。進歩も開発も無意味になって久しい。なぜなら神の力と知識に比べれば、宇宙最先端の研究でさえ児戯にしかならないからだ。そこで人は2種類に分かれた。ひとつは敬虔な信徒となって何等かの神に平伏し、ひたすら御利益を乞う者たち。もうひとつは神と距離をおき、人間だけの閉鎖社会に籠もって自己満足に浸る者たち。俺はかつて後者にあり、最近前者へ鞍替えしたわけだ。

 いいじゃないか。人は猫を愛し、子猫時代から老衰死までたっぷりと撫で回して可愛がる。猫は自分と人間の間に覆しようのない力関係があることを想像もせず、あるいはある程度勘付いたうえで、人に愛される安逸の暮らしに満足する。どんなに綺麗事を言ったって、猫を閉じ込め、猫の一生を制御しているという意味で、人間と猫は対等じゃない。だがそれこそが一番いい関係だ。人は愛の矛先を得て満足。猫は餌と愛撫を得て満足。何が悪い……

 だから神々の優勝祝賀会に引っ張り出された時だって、はじめは悪い気分じゃなかった。会場入りの直前でエヴォニッツァに物陰へ引き込まれ、白タイの歪みを直され、頬にキスされ、猫背を叩かれ、

「ビッとしてろ。私に並び立つのだぞ」

 と釘を刺されても、むしろ俺は女神のスキンシップにとろけていた。この夜のためだけに仕立てた燕尾服テイルコートは酷く窮屈だが、イブニングドレス越しのあの尻を見られりゃお釣りが来る。女神をエスコートして門をくぐってからも俺は得意満面でいた。レコードホルダー。その手を引く栄誉を得た俺。

 だが次々挨拶に来る神々の相手をしているうちに俺は落ち着かなくなってきた。大国主命オオクニヌシノカミ天使マラクミーカイール、三倍偉大なるヘルメス、ダンバラ・ウェドゥ。錚々そうそうたる高位神が引きも切らずに押し寄せ、あるいは丁重に、あるいは軽妙に、御機嫌伺いしては去っていく。その全てから俺は無視され捨て置かれた。だのにエヴォニッツァが馬鹿正直に一人一人へ俺を紹介してくれやがるから、いたたまれなさすぎて胃まで痛くなってくる。

「なんだか場違いみたいだ」

 消え入りそうな囁きに、エヴォニッツァは鼻を膨らませた。

「私のつまが場違いだと」

「やあ、うるわしの君」

 割り込んできた大音声は落雷さながらで、誰かと思えば雷神トールだ。油圧木材運搬機ログフォークのような両腕に左右それぞれ2人ずつ凄まじいおっぱいした美女を抱き、さらに後ろにはとんでもない尻した美女を3人引き連れ、ちょっとしたカーニバル山車フローツみたいにホールの対角線上を迫り寄ってくる。

「おお、名にし負う大地ヨルズの子、轟き走る者、偉大なる雷神トールよ」

「堅苦しいのは無しにしようぜ、百倍麗しきエヴォニッツァ。今夜はあんたduが主役だし」

 雷神は馴れ馴れしく女神の剥き出しの肩を撫で回し、だらしなくウィンクなぞして見せる。

「おれはあんたdichが好きだしな」

貴公Sieからそれほどの好意を受けるとは恐れ多いことです」

「趣味も合う。人間は可愛いよな。名はなんと付けたんだ……」

「は……」

「この子らの交配相手を探してたんだよ。

 よう人間ちゃん、今度遊びに来ないか。山羊料理を馳走してやるぞ。ただし骨髄を啜るのだけは勘弁な」

 雷神の馬鹿笑いはホールばかりか俺の膝をも震わせ始めた。左右の女の子たちがトールの神域ジョークに爆笑しながら逞しい筋肉を撫で回す、その二歩手前でエヴォニッツァも一緒になって微笑んでいる。

 そこから先は、もう見ちゃいられなかった。

 俺は急な尿意を装って音もなくその場から逃げ出した。道に飛び出し、ひた走り、履き慣れない革靴が踵に酷い靴擦れを作り、激痛に呻いてしゃがみ込み、靴を脱いで見れば靴下は血まみれだ。俺は何も分かっちゃいなかった。自分が何だったのかも、どう見られていたのかも、そしてどうなりたかったのかも。だがそれに気づいたって俺は神ならぬ人間で、上位者からの気紛れな寵愛を求めて這いつくばり媚を売ることしかできない小動物でしかない。

 馬鹿にするな。

 馬鹿にするなよ、百万倍麗しきエヴォニッツァ。

 俺は裸足で立ち上がり、女神に買ってもらった燕尾服テイルコートを路側帯に脱ぎ捨て、店を探して歩き出す。必要だ。必要な物がたくさんある。まず絆創膏。新しい靴下。偽のF真空V遷移T機関E.038サンパチのニューマチック・チューブ。そしてもちろん虚次元アモルファス外装材。あんな時代の徒花あだばなを搭載してるのは13世代前の極超ハイエンドモデルくらいだが、カバルリィなら確かどこかの博物館に動態保存されてたはず。もちろん安い買い物じゃない。命であがなうことになるだろう。

 だが支払おう。

 お前に挑む、そのためなら。



(つづく)

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