55話 秘密の匂い



「私だって恋人がいるし、ちゃんと恋愛してるわよ。お互いの意思で結婚してないだけ」

「ホント……に、おめでとう……」

「……ありがとう」


 もうこの話は止めよう。危険な香りがプンプンする。

 違う話題、違う話題……あ。


「そうだ、なんでこんな時間に家にいるの? お母さんに結婚の報告をしたのはついさっきだよ? 大学の寮からここまでって、何時間もかかるよね?」


 寮から家までは往復で約半日。お母さんから連絡がいってこっちに来たとしても、家に着くのはもっと遅くなってないとおかしい。こんなに早く帰ってこられるはずがない。


「詳しく聞きたい? お母さんも私も、あんたの考えなしの思い付きの行動のお陰ですごく苦労したんだから。連絡や移動にかかったお金を全部あんたに請求したいくらいよ。お小遣い1年分くらいじゃ全く足りないけどね。……聞きたい?」

「ゴメンなさい、聞きたくありません」


 お姉ちゃんがここにいるのは現実だけど、現実的な交通手段ではありえない。

 現実的じゃない=お金がかかるってことだ。

 わたしのしらない、高価な連絡手段や移動手段があるに違いない。そんなもの、お小遣い1年分どころか数年分でも足りないと思う。


「……えっと、なんでそこまでの無理をして今日来たの? 次の日曜日でもよかったんじゃないの?」


 今は水曜日、あと4日で日曜日だ。その時でも十分だと思う。

 結婚式をあげるわけじゃないし、ただ事実婚状態になってサーシャが家に住むだけだ。大金を使ってまでお姉ちゃんに連絡して、無理して来なくてもよかったと思う……。


「あんたとさっちゃんが一緒になって、さっちゃんがこの家に住む……それがみんなの願いだったのよ。その願いが叶う当日になにもしないなんて、出来るわけないじゃない。無理をしてでも、お祝いの一言くらい直接言いたいわよ」


 わたしとサーシャが一緒になって、この家に住むのがみんなの願い……?

 サーシャはわたしと結婚して一緒に住むのが夢だった。

 お義母さん夫婦はサーシャの夢を応援してた。

 ここまでを「みんな」っていうことだったらすごくわかる。

 でも、お母さんとお姉ちゃんも、わたし達が一緒になって一緒に住むことを願ってた? 何のために? サーシャと家族になりたいから? 


「ほら、馬鹿妹。生涯の伴侶が戻ってきたわよ。謝んなさい」

「……サーシャ」


 ……お母さん達のことはどうでもいいか、今はサーシャの方が大切だ。

 サーシャを見ると、目元が腫れていていっぱい泣いてたのがよくわかる。笑顔もぎこちないし、すごく無理してるのがわかる。


「サーシャ、ゴメンなさい。内緒で愛の氷にいっぱい愛を込めちゃって」


 リビングに入ってきたサーシャに抱きついて謝った。

 サーシャも優しく抱き返してくれる。


「ホントにゴメンなさい。サーシャにとって大切な、わたしの愛で苦しめちゃって、ホントにゴメンなさい……」

「謝らないで。あんなにも愛してくれてるなんて思わなかったから、ビックリして逃げ出しちゃった。私こそゴメンね。あの愛の氷、すごく嬉しかったよ、ありがとう」


 優しく抱きしめてくれて頭を撫でてくれる。

 優しすぎるよ……。絶対に捨てられない愛の氷を口にしたせいであんなに苦しんでたのに、許してくれて、励ましてくれる……。

 サーシャを愛してよかった。サーシャに愛されて幸せ者だよ、わたし……。


「……目元が腫れてるからこれ食べて、癒しの氷……はい、あーん」

「あーん……うん、アリアの気持ちをいっぱい感じて癒されていくよ。ありがとう」


 目元の腫れが引いて、表情も自然な明るさに戻った。

 よかった……ホントにゴメンなさい……。

 ぎゅっして力を込めるとサーシャも力を込めて返してくれる。

 落ち着くよ……すごくいい匂いがする……今までかいだことのない、落ち着く匂い。愛が溢れてくるみたい……。愛の氷も、こんな感じなのかな……。


「サーシャ、すごくいい匂いがするよ……かいだことのないいい匂い。愛の塊みたいないい匂い……。サーシャの愛をいっぱい感じる……」

「ッ!?」


 ぎゅっが突然終了して両肩を押されて離される。


「……どうしたの? わたし、また迷惑なこと言っちゃった?」

「あ、ううん、違うよ。ただ……ご飯食べよ! 私、まだ一口も食べてなかったよ」

「……そうだよね、一口目が愛の氷だったもんね。うん、食事の再会。いっぱい食べさせてあげる!」

「私も、いっぱい食べさせてあげるね」


 サーシャが戻ってからの食事は楽しいの一言だった。

 みんな楽しく話してるし、わたしとサーシャはずっと食べさせあってた。

 もう、あーんとか言ってない。自然と食べさせ合ってる状態。

 わたしはお義母さん夫婦と、サーシャはうちのお母さん達とずっと話してる。

 今までに何度も家族同士で食事をしてるけど、今日が一番楽しい。

 ……でも、楽しい時間ってあっという間に終わるんだよね……。


「またね、アリアちゃん。ザナーシャのこと、いっぱい愛して、幸せにしてあげてね」

「はい、お義母さん」


 今は玄関でお義母さん夫婦とさよならの挨拶中。

 サーシャはお姉ちゃんとさよならの挨拶をしてる。


「たまにはうちに泊りに来てくれると嬉しいわ。私達は家族なんだから、遠慮しないで泊りに来てね、ザナーシャと一緒に」

「はい、絶対に泊りに行きます! サーシャとお義母さん達と一緒に、家族団らんを楽しみたいです!」

「ふふ、ありがとう、楽しみにしてるわ。またね、さようなら」

「はい、さようなら!」


 ホントはサーシャの家で一緒に住みたいくらいだ。喜んで泊りに行くよ。

 お義母さん達とお姉ちゃんが話しながら一緒に帰っていく。

 ……お義母さん、あまり悪魔と仲良くしない方がいいよ。本性は凶暴だから。


「お母さん達、帰ったね……」


 そう言ったサーシャの顔を見ると、ちょっと泣きそうになってる……。


「やっぱり、寂しいよね。わたし、今からでもサーシャの家に住んでもいいんだよ」

「寂しいけど、今は違う感情の方が大きいかな」

「え?」

「寂しいより、この家に置いていかれたことがすごく嬉しいんだ。私達のことを応援してくれてる、認めてくれてるって感じがして。そして……やっとこの家でアリアと一緒に住める……嬉しいよ、幸せだよ」


 サーシャが腕を絡めてきて家を見上げてる。

 すごく幸せそうな笑顔で泣いてる。

 6年間の夢がやっと現実になった瞬間なんだもん、相当嬉しいよね。

 ……もっと幸せにしてあげるからね。今日からずっと一緒なんだから。


「よし! じゃあ、一緒にお風呂に入ろう! いっぱい愛してあげる!」

「うん……」


 食事の途中、お母さんが湯船にお湯を入れてくれていたので、すぐに入れるはずだ。


「お母さん、サーシャとお風呂に入るね」

「駄目よ」

「へ?」


 ……ダメ? なんで? 準備出来てるよね?

 お風呂掃除もしたし、お湯も入れてくれてる。なんでダメなの?

 ……わたしとサーシャが一緒に入るのがダメってこと?

 これまでに何度も一緒に入ってるし、問題ないよね?

 んん? ホントに、なんで?


「あんた達が一緒に入ったら、湯船にも一緒に入るでしょ」

「もちろん」

「お湯があふれて一気になくなるのよ。今日からはお母さんが一番風呂で、その後があんた達、わかった?」

「……うん」


 一人用の湯船に二人で入ったらお湯が半分近くなくなるからね……。

 お泊り会みたいな一日だけなら許せるけど、毎日は流石にお湯がもったいない。

 結婚したことによる意外な弊害だよ……。一番風呂、さようなら……。


「お母さんが上がるまでは部屋で勉強でもしてなさい」

「……うん」


 待ってなさいとか、遊んでなさいじゃなくて、勉強してなさい、か……。

 一番風呂を奪われてさらに勉強……。はぁ、気が重い……。


「アリア、一緒に勉強しようね」

「うん!」


 そうだ、今日からはサーシャがいる!

 勉強も、一人で黙々じゃなくてサーシャと楽しみながらだ。

 ……楽しくなってきたよ! 


「勉強道具を取ってくるね。部屋で待ってて」

「うん」


 サーシャが向かいの部屋に入っていった。

 ……ホントに、今日から一緒に住むんだ……。

 ドアを開けて部屋をのぞくと、サーシャの部屋とサーシャが見えた。

 嬉しいよ、すぐに会える……。

 振り返ると私の部屋のドアが見える。

 近いよ、目の前だよ。目の前にサーシャがいる……。


「ん? どうしたのアリア? 私の部屋で勉強したいの?」

「あ、ゴメンね、ただ見てただけ。サーシャがうちに住むって実感がやっと出てきて嬉しくなったんだ。今日からずっと一緒だね」

「うん、ずっと一緒。さ、アリアの部屋に行こう」

「うん!」


 サーシャと一緒に自分の部屋に戻る。

 ……ん? なにか違和感が……。

 自分の部屋なのに、自分の部屋じゃないような奇妙な感覚……。


「どうしたの、アリア?」

「うん……なにか……ちょっと……」


 部屋に入って折り畳みテーブルに勉強道具を並べる。

 サーシャはわたしの向かいに座って自分の勉強道具を広げた。

 ……なんだろ、この変な感じは?

 部屋を見渡してもいつもの自分の部屋だ。

 ん~~~……んん? あ! わかった!


「匂いだ!」

「え? どうしたの? 匂い?」

「部屋の匂いが違うんだよ! 部屋に入ってずっと違和感があったんだけど、匂いが全然違うんだよ!」

「ッ!?」

「あ~、でもこの匂いは落ち着く匂いだよ……どこかでかいだことが……」


 ……こんな匂いのする芳香剤なんてあったかな?

 ん~……、なんの匂いだろ?


「スーハー、スーハー、スーハー……あ、思い出した。これって……」


 サーシャの匂いだ……。愛の氷のショックから戻って来た時のサーシャの匂い。

 サーシャを見ると、顔を赤くしてうつ向いてる。

 間違いないみたいだね。そんなに気にしないでいいのに。


「大丈夫だよ。ちょっと匂いが変わっても、わたしの部屋なのは間違いないし。30分近くも苦しんでたんだから、部屋に匂いも残るよね。いい匂いだから気にしないで」

「う、うん……ゴメンね……」

「いいって! さ、勉強しよう! 教えてね!」

「うん……」


 サーシャに教えてもらいながら30分程勉強した。

 そろろそろ、お母さんがお風呂から上がってくるかな?


「いいわよ、二人とも」

「うん。サーシャ、お風呂行こう」

「うん、着替えを取ってくるね」


 着替えを持ったサーシャとお風呂場に向かう。

 わたしはサーシャの腕に抱きついて、匂いをかぎながら歩く。


「ア、アリア、ちょっと……」

「この匂いが消えるかもしれないんだよ……今のうちにいっぱい吸っとく……」

「……この匂いが好き?」

「うん。普段のサーシャの匂いもいいけど、この匂いは愛を多く感じる……」

「そっか……」


 脱衣所で脱がせ合いをしてお風呂場に入る。

 最初に髪を洗いあって、次は洗浄魔術の出番だ。

 

「さ、泡洗浄で洗ってあげるよ」

「うん。じゃあ、お互いに泡まみれになろうね」


 お互いに泡まみれにして背中に抱きついて泡洗浄。

 綺麗になったところで泡を流す。

 3回目なのですごくスムーズな流れだ。


「私が先に湯船に入るから、背中からよりかかってね」

「うん」

 

 向かい合って入るにはうちの湯船は少し狭い。

 昨日のお泊り会で編み出した、背中抱っこ状態が一番広く感じる。


「はい、来ていいよ」

「うん」


 湯船に入ってサーシャに背中からよりかかる。

 サーシャは前と同じようにぎゅっとしてくれた。

 お湯マッサージも使ってリラックスタイムだ。


「う~~~、気持ちいいよ~~~、幸せ~~~……」

「私も幸せだよ……」

「これから、毎日一緒に入ろうねー……」

「うん……」


 サーシャが顔をくっつけてきて優しくスリスリしてくる。


「あはは、くすぐったいよー……でも、嬉しいよ……」


 わたしもくっつけてきた顔にスリスリしてあげる。


「アリア……ホントに、幸せだよ。もっとスリスリして……」

「うん……」


 顔をくっつけてのスリスリはちょっとくすぐったいけど、全身ほどじゃない。

 嬉しさや幸せのほうが大きいので、ずっとやっていられる。


「愛の氷、ちょうだい」

「うん、愛の氷……。はい」

「ん……」


 またしても指ごとパックリ食べられた。

 氷と一緒にずっと舐められてる。


「……サーシャは、わたしの指が好きなの?」

「うん……ダメ?」

「いいよ、いっぱい味わってね」

「ありがとう、アリア」


 氷がなくなると、また氷を出してほしいと言われて指ごと食べさせてあげる。

 ずっとその繰り返し……。幸せだよ……。


『あんたたち、いつまで入ってるの。のぼせるから、そろそろ出なさい』

「はーーーい。今日はここまでだね。すごく幸せだったよ。愛してるよ、サーシャ」

「うん、私も幸せだった。愛してるよ、アリア」

「よっと……」


 湯船から上がる。

 お風呂場から出ようとしたら、サーシャがまだ湯船に入ってた。


「どうしたの?」

「先に出てて、私もすぐに出るから」

「うん」


 わたしは脱衣所に出て身体を拭く。

 ……あ、サーシャに拭いてもらった方がよかったかな。


「アリア」

「あ、出て……ムグ!?」


 振り返りと同時に、口にサーシャの指を入れられたのでビックリだ。

 ……なに、味わえばいいの?

 意味はよくわからないけど、サーシャのしたいことだったらなんでも受け入れるよ。


「ん!? んぐぐぐ!?」


 なにこれ!? すっごく美味しい!!

 前に食べた、サーシャの唾液付きの自分の指なんか比べもにならない!

 それに、この匂い……あの匂いだ……というか、もっと、すっごく濃い……。

 美味しい……落ち着くよー……。


「どうだった?」

「すっごく美味しかったよ。それにあの匂い。それがすっごく濃くて、最高に落ち着くよ」

「喜んでくれてよかった」

「この味と匂いって何? 匂いは……もう、サーシャからは消えちゃってるね……残念だよ……」


 もうあの匂いはサーシャからは消えてる。やっぱり、洗うと消える匂いだったみたい。今はいつものサーシャの匂いだ。

 今のタイミングであんなに濃い匂いを出せたってことは、サーシャはあの匂いをコントロールできてるってこと? わたしの愛の氷みたいに、匂いを調節して出せるのかな? もしかして、匂いの魔術とか? 魔力が回復したから、簡単な魔術は使えるようになったとか?


「ふふ……味も匂いも、なんなのかは今は秘密だよ。私が食べてほしいと思ったらまた食べさせてあげる。なくなる訳じゃないから安心してね」

「うん、また絶対食べさせてね!」

「もちろん」


 サーシャが身体を拭き始めた。


「わたしが拭いてあげようか?」

「ありがとう、気持ちだけもらっておくよ。明日、拭いてもらおうかな」

「うん、任せて」


 着替えた後は髪を乾かしてとかし合い、そのまま部屋に戻ってきた。


「ふーーー、落ち着くよーーー。この匂い、残っててよかったーーー」


 部屋にはあの匂いがまだ残ってた。

 まあ、換気もしてないし、芳香剤もないから当然だよね。……暑いけど、窓を開けたくないな……せっかくの匂いが消えちゃいそうでもったいない。送風機だけで我慢できるかな?


「ポチっとな……」


 うーーーん……我慢できないことはないかな……。

 涼しさより、この匂いを残しておく方が大事だよね。


「……ねえ、サーシャ」

「なに?」

「この匂いって簡単に出せるの? 出せるなら気軽に窓を開けられるんだけど……」

「……簡単には出せないかな。ゴメンね」

「いいよ、気にしないで。あの愛の氷で出た匂いってことは、きっと苦しいんだよね。サーシャを苦しめてまでかぎたいと思わないから大丈夫だよ」

「うん……」


 この匂い、名前をつけたいな……いつまでも、「あの」とか「この」ってわかりづらいもんね。愛の氷が原因の匂いだから……。


「愛の匂い……かな……」

「え?」

「この匂いの名前。愛の匂い。サーシャの愛の匂い」

「私の、愛の匂い……」

「うん、ダメかな?」

「……いいよ。この匂いは私の愛の匂い、これからはそう呼ぶよ。言葉通りだし」

「そっか、よかったよ……」


 ふーーー。今日も色々あったなーーー……。

 最近は人生を左右するような出来事ばかりなような気がする……。

 あーーー、つかれたーーー……もう、ねむすぎ…………。


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