第12話 隠し味は、愛。
誘拐常習犯、鷹口 水萌の手によって今日も屋内プール場へと強引に引き込まれた俺は、目の前でゆっくりと閉じられる扉をただ眺めることしかできない。
本来なら親友のれーやとの密会に呼び出されたはずなのだが、そこに鷹口 水萌が現れ、今に至る。
……もう、嫌な予感しかしない。
ガラガラ──ガシャン。
隙間なく丁寧に入り口を閉め終えた彼女は、満足気な笑顔を浮かべてこちらに振り返る。
いつも無表情で口数も少なく、クールな雰囲気を漂わせる彼女が時折見せるあどけない笑顔はギャップがあり、守ってあげたくなるような可愛さがある。
カチャリ。
……ん?
彼女の笑顔に少しばかり見惚れていると、何かが閉まる音が聞こえた。
目の前の彼女は向き合ったまま微動だにせず、後ろに組んでいた右腕だけをゆっくりと上げて顔の横に何かの鍵を揺らして見せつけてくる。
そして、俺が鍵を見た事を確認すると、そのまま制服の胸ポケットに鍵を入れた。
あ──、終わった。
自分の置かれている状況を理解した俺は、彼女の行動に諦めの笑顔で答える。
「行きましょ、けいちゃん?」
「はい、仰せのままに」
こうして、俺たちはプールサイドのベンチに腰をかける。
「けいちゃん、お腹空いてる?」
「もちろん、栄養失調で死にそうです」
「ん、なら良かった」
彼女は鞄から青いふきんで包まれた弁当箱を取り出し、俺に差し出してきた。
「……いいのか?」
「うん、そのために作ってきた」
そう言って彼女は自然に渡してくるが、頬を赤らめて若干照れ臭そうにしている。
……それは、ちょっとずるい。
可愛らしい黒猫のイラストが描かれた二段弁当を開けると、色とりどりの食材がぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。
よく見るとハンバーグに卵焼き、唐揚げ、ポテトサラダ……全てのおかずが一口サイズにカットされていて手作り感があり、食べやすいように気遣いも感じられる。
下段には3つのおにぎりが隙間なく埋まっていて、栄養バランスも完璧なお弁当だ。
「……いただきます」
「ん、いっぱい食べて」
しかし、彼女のことを考えると何が仕込まれててもおかしくない。昨今では、異性に振る舞う料理に愛情を込めすぎて、自分の髪の毛や爪の先を混入させるなどの問題も耳にしたことがある。(橘 恵人調べ)
失礼だとは承知の上で、俺は恐る恐る彼女の弁当を一品ずつ毒見する。
(……うん、特に怪しい物は入ってない)
というより──、
「……うまい」
「え?」
とても冷食をそのまま詰めたとは言い表せないほど、素材の味と香りがする。全て手作りとは言わずとも、どの品も何かしらひと手間が加えられていることは確かだ。すごく美味しい。
冷たいのに、温かくて優しい味がする。
なにより、誰かの手料理を食べたのは久しぶりだ。自分で作ることはあっても、そこまで美味しいと言えるクオリティじゃないし、面倒くさくなってインスタントや質素なコンビニ弁当ばかりで済ませることもある。なんなら、よほどお腹が空いているときでないと食事すら取らない。
(誰かのために作るご飯って……こんなにうまかったんだな)
そう思えるほど、彼女の手作り弁当は俺にとって刺激的なものだった。
勿論、美味しいというのも理由の一つだけど……それよりも、こんな風に他人から優しさを受け取ったことが、とても久しぶりで、なんだか懐かしくて──、
「……けい、ちゃん?」
少年の頬に一筋の涙が流れる。
「え? あれ?」
「……泣くほど、おいしかったの?」
彼女は微笑みながら冗談交じりに聞いてくる。
「……うん、おいしいよ」
「……嬉しい」
彼女は俺の涙のワケを聞かず、静かに身を寄せて俺の肩に頭を乗せる。
実際、自分でもなんで泣いたのかわからない。
女の子の手作り弁当ひとつで涙を流すほど、辛い経験をした心当たりがない。
ここ最近は、いつも誰かの一方的な感情に振り回されて、事が済んだと思えば本人が満足するだけで、俺にはその行動の意味を何も教えてくれない。
でも、それが涙の原因になるかと言われたら違う。別に辛いとは思っていないし、嫌悪感もない。なんだかんだ彼女たちの行動を受け入れてるし、結局自分だけ何も知らないという事実に不服なだけだ。
他にあるとすれば、高校に入る前の過去に何か……、
ズキン。
「──っ!」
「……けいちゃん?」
突然、額の古傷が痛みだす。
自分の記憶を辿ろうとすると、頭を打ったような痛みが走る。
思い出せない。自分の頭が思い出そうとしてくれない。
まるで何かを拒絶するように。
──そうか。俺はずっと、諦めていたんだな。
今だって、鷹口 水萌に無理やり連れてこられて、嫌なら振りほどけばいいのに『もうどうにでもなれ』と諦めて、こうして二人きりで昼食を共にしている。この前もそうだった。
暦に関しても『幼馴染だから』、『昔からこうだったから』と諦めをつけて彼女が何をしても許している自分がいる。
何があったのかは思い出せないけど、大好きだった水泳も辞めて、人間関係も、恋愛も諦めたから、今の橘 恵人がいる。
いつも『わからない』と言い収めているだけで、俺自身がわかろうとしなかった。
鷹口 水萌が、どうして俺と二人きりになりたいのか。
なんで、暦は俺と同じ高校に入学したのか。
れーやが何故、俺に水泳を続けさせたいのか。
他人に答えを求めるばかりで、自分から他人を知ろうとしなかった。
だけど──、
膝の上に置いた手作り弁当から、一口サイズの卵焼きを口へ運ぶ。
「……おいしい」
「うん」
こんなに我儘で、どうしようもない俺でも、優しさを向けてくれる人がいる。
「……本当に、おいしいよ」
「うん、知ってる」
「……自分で言うか、それ」
「だって、けいちゃんのために作ってきたんだもの」
それなのに、俺は『わからない』と他人に深入りすることを諦めていた。
今はもう、あの頃とは全く違う環境で、俺自身も変わったというのに──、
(諦める必要なんて……ないんじゃないか?)
「……あのさ、鷹口さん」
「……なに、けいちゃん?」
弁当箱の蓋をそっと閉じ、自分の中にある正直な気持ちを口にする。
今まで『そういうものだから』とほったらかしていた疑問を改めて、言葉にして聞いてみる。
──少しは、誰かに歩み寄ってもいいんじゃないかな。
「鷹口さんは──、」
「なんで……俺のことを『けいちゃん』って呼んでいるんだ?」
「俺は……どこかで君と会ったことがあるのか?」
「!!」
彼女は俺の質問に驚いた表情で少しの間硬直していたが、やがて目線を落とすと嬉しそうで、どこか悲しそうな微笑みを浮かべた。
「……やっと、聞いてくれたんだね」
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