第11話 ライアー・スイマー


 ──人生には不可解なことが多い。

 デジャヴ然り、バタフライエフェクト然り。

 自分の思考と経験では理解しきれない出来事がたくさんある。


 しかし、それを加味しても俺にはわからない。

 自分の身の回りで一体何が起きているのか。


 俺は──物事を知らなさすぎる。


 今朝は誰かさんのおかげで、遅刻ギリギリで間に合ったものの教室に入ると顔面蒼白の親友が迎えていた。

 人が変わったように様子がおかしくなった彼に声をかけても、『大丈夫大丈夫』の一点張りで調子が狂う。まぁ、本人が『大丈夫』と言うのなら放っといてもいいだろう。

 問題は──、


「……っ!」


 見なくてもわかる。隣から言葉にするのも恐ろしいほど禍々しい視線を浴びせられている。

 俺は徐に目線を左へ流し、念のため、一応、彼女の顔色を窺ってみる。


「……やっと、目が合ったね。けいちゃん?」

「は、はい……お待たせしました」


 今朝は雲一つない快晴のはずなのに、何故か鷹口 水萌の表情にだけ影が曇る。

 頬杖を突いてこちらを凝視したまま微動だにしない彼女は、口角を上げて優しく微笑んでいるように見えるが、目が一切笑っていない。

 すかさずれーやに助けを求めようとするも、彼は今も頭を抱えたまま硬直している。こんなに情けない姿を見たのは初めてだ。


(……というか、何があったんだよ)


 哀愁漂う親友の背中は、悩ませているより何かに怯えているようだった。

 その原因は恐らく──、


「……ん?」


 再び彼女に目線を合わせると、先程までの不穏なオーラは嘘のようになく、うっとりした表情に変わっていた。どうやら、この一瞬の隙に機嫌が良くなったらしい。


(もう……なにがなんだかわからねぇ……)


 ──今日も今日とて情緒不安定な二人に挟まれて、俺の波乱な一日が始まる。



 ▽▼▽▼▽▼



「先生、ちょっといいですか」

「お、なんだ園田?」


 昼休みの開始チャイムと同時に、誰よりも先に担任の小見山先生に話を持ち掛けたのはぼくだ。勿論、先生に用があるわけではない。を実行するためだ。


「プールの鍵をお借りできませんか?」

「……なに?」


 ──そう。何を隠そう小見山先生は、我らが水泳部の顧問なのだ。

 と言っても、基本的に放任主義である先生はあまり部活に顔を出すことはなく、設備の管理や大会の申請など、事務作業だけ任せてもらっている。


「こんな時間にプールで何の用だ?」

「まさか……生徒の口から言わせるつもりですか」

「なんだと?」

「先生は……可愛い教え子の便所飯をそのまま見捨てるんですね……」

「便所飯って……お前には仲良いヤツがいるだろ。ほら、いつも一緒にいる」

「今は、倦怠期けんたいきなんです」

「何を言ってるんだお前は」

「先生……プールの鍵と生徒の命、どっちが大切なんですか?」

「どんな状況になればその選択肢が残るんだ……」


「……はぁ」


「わかった……もうめんどくさいから、お前が預かっとけ」


 ひょい。


 ついに呆れた小見山先生は、ぼくに向けて鍵を放り投げる。


 ──勝った。


「ありがとうございます! ぼくに彼女がいなかったら惚れていました」

「はいはい、ガキに色目使われても嬉しくねーよ」


 溜息をついて気怠そうに席を立った小見山先生は、後ろで縛った長い黒髪をヒラヒラと揺らしながら職員室へと向かった。

 それと同時に、ぼくは先生から預かった鍵を握りしめて屋内プール場に駆け走る。

 これで、今回の計画におけるぼくの役割は見事に完遂した。


(あとは……彼女に託すのみ!)



「ったく、まだ来ないのか?」


 昼休みが始まる直前、前の席に座る親友から急に『見せたいものがある、プールの前に来て。絶対に。なにがなんでも。お願いだから』と訳の分からないパッションを押し付けられ、俺は今仕方なく屋内プール場の前で待機している。


(あいつ……人質でも取られてんのか……?)


 最近、俺に対する頼み事がやたらと増えたし、その一つ一つもとにかく必死でぎこちない。

 今日ここに突然呼び出したのも、きっと人には言えない何かを伝えるためだろう。


(まぁ、どーせ大したことないんだろうけど……そんなことよりこっちはお腹が空いて仕方がないんだ。早いとこさっさと来てくれ……)


 そうして、俺はプールの前でポツンと手ぶらで佇んでいると、明らかにこちらへ近づいてくる足音が聞こえてきた。


「おい、さすがに遅……い!?」

「ふふっ……ごめんなさい」


 俺の目の間で立ち止まったのは、もはや見覚えしかない少女。

 ──鷹口 水萌だった。


「え、あれ……なんで?」

「ん? どうしたの?」

「いや、確かれーやが」


 がしっ。


 俺の言葉を遮るように腕を組んできた彼女は、これまで見た事のない嬉しそうな笑顔を輝かせていた。


「じゃあ、行きましょ。けいちゃん」

「行くって……どこに?」


 今日もまた強引に引っ張られた俺は、そのまま背後にそびえ立つ屋内プール場へ吸い込まれてしまった。


 ──そうだ、そうだった。俺の昼休みこのじかんは、もう彼女に占領されていたんだった。



「ふんふふ~ん♪」


 軽快に鼻歌を鳴らしながら、私はいつもより一段高いお弁当を片手に1―Bクラスへと歩いていく。

 そして、教室のドアに付いている小窓からひょっこり顔を出してお目当ての彼の姿を──、


「……あれ?」


 いない。

 いつもなら園田あいつと一緒にお昼ご飯を食べているはずなのに……今日は彼の机がもぬけの殻だ。それに、よく見ると隣の席も空いている。


(……おかしい)


 心の奥底に秘める嫌な予感を抑えて、私は教室に取り残された彼に向かい一直線に迫る。


 ガラガラっ。


「おや、こよみちゃん。突然どうし──」

「ねぇ……けーくんはどこ?」

「え?」

「けーくんは、どこに行ったの?」

「う~ん……さあ?」

「とぼけないで」

「いや、本当に知らないんだって……ほら、君もこの前食堂で会ったでしょ? どーせまた誰かにさらわれたんじゃないの」

「! ……じゃあ、あの女はどこ?」

「あの女?」

「けいちゃんの隣に座ってる女よ」

「ああ、鷹口さんね。残念だけど彼女の行方もわからない。ぼくは彼女とそこまで関わりがないからね」


「…………そう、ありがとう」


「どーも、お役に立てたようでなにより」


 私は互いに(表面上の)笑顔を交わして、1―Bクラスを後にした。


「「……この、嘘つき」」

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