第9話 契約


『彼女と関わらない方がいい』


(そんなこと言われたって……どうしたらいいんだよ)


 今朝、暦と登校してきたことをきっかけに親友れーやから忠告を受けた俺は、授業中でも悩み続けていた。

 確かに暦は、れーや以外には誰にも教えてない俺の住所をなぜか知っており、そこに疑問が浮かばないほど自然な態度で俺を待っていた。


 もしかしたら、住所の他にも何か知っているかもしれない。

 ……特に隠すようなことはないけど。


 しかし、これが事実である以上、これから俺はいつどこで、暦に何をされてもおかしくない状況で……かと言って、彼女が変なことをしてくる人には思えないし、これまで何かされた覚えもない。

 覚えていることといえば、幼い頃から一緒にいて仲が良く、兄妹みたいにくっつかれていたことぐらいだ。


 さすがに高校生にもなって変わらずくっついてきたのには驚いたが、どうやら心も体もまだまだ子どものようで少し安心した。だって、腕を組まれたときの柔らかさが隣の人と全然──、


「っ!?」


 正体不明の寒気が走る。まるで、誰かに監視されているみたいな。


(……もう、この話題に触れるのは止めておこう)


 とはいえ、暦と関わるなと言われても、彼女が悪いことをする人間ではないのは知っているからその必要はないわけで。それに、暦がどこの教室にいるか知らないし、この前は食堂でバッタリ会ったし、今日みたいに突然現れる神出鬼没の存在だ。


 ──こんな強敵相手に、『会うな』という方が難しい。


 しかし、俺の住所が流出していることもまた事実だ。


(なんとか、これ以上に被害が拡大しないよう注意する必要はあるな……)


 こうして、自分のセキュリティー管理を今一度見直しながら放課後を迎え、部活組と別れた俺は一直線に帰ることにした。



 ▽▼▽▼▽▼



「「ありがとうございました」」


 プールサイドで整列した水泳部員は、プールに向かって挨拶をしてその日の部活を終える。


「ふぅー……」


 今日も練習をこなしたぼくは、汗だか水だかわからない体をシャワーで洗い流す。


「おつかれー」


 ちょうどすれ違った鷹口さんに挨拶を交わし、手荷物を持って更衣室へ──、


「(この後、一番最後に出てきて)」

「え?」


 すれ違いざまに何かを伝えられたぼくは、驚きで立ち止まり振り返る。

 しかし、彼女は何事もなかったように歩みを止めず、シャワールームへ向かった。


(最後に……全員が帰った後に更衣室から出てこいってことかな?)


 なんだかわからないけど、とにかく彼女はぼくに何か言いたいことがあるようだ。

 その意図を汲み取ったぼくは、とりあえず更衣室から出た入り口の前で鷹口 水萌を待つことにした。


「ん、お待たせ」

「いいや、大丈夫だよ」


 思っていた通り、女子部員の中で最後に更衣室から出てきた彼女とぼくは二人だけになる。


「それで、ぼくに話したい事があるんだよね?」

「そう、それが……その……」


 なんとなく察しているけど、髪を指先でくるくるといじりながらたじろでいる彼女を見て、ぼくは自分から話を展開させることにする。


「けーと、のことだね?」

「えっ!?」

「大丈夫、ぼくにはわかるよ。これでもお付き合いしている彼女がいる身でね」

「そうなんだ……」

「うん、だから安心してほしい。答えられる範囲ならなんでも聞くよ」

「……わかった」


 正直、彼女がけーとを意識してることは誰が見てもバレバレだった。

 しかも、けーとのことを『けいちゃん』と呼ぶあたり、ぼくには知らない二人だけの親しみがある。当のけーとの反応を見ても、彼女と悪い関係ではないことがわかったため、ぼくは彼女とけーとの関係を応援することにした。


 ──もう一度、けーとの恋心を呼び戻すことができる希望の光として。


「園田君は、けいちゃんの幼馴染、なのよね?」

「うん、もちろんだよ」

「じゃあ、あの女…… って人は知ってる?」

「!!」


 まさか、彼女の口からの名前が出てくるなんて思いもしなかった。

 けれど、彼女の様子を見る限り、何かの因縁がありそうな雰囲気がある。


 ……ギリっ。


「(また、が邪魔をしているのか……)」

「……? 園田、君?」

「い、いいや! なんでもないよごめんね! それで、こよみちゃんがどうかしたのかな?」


「……あの女を、けいちゃんから引き剥がしてほしい」


「……え?」

「あの女は、けいちゃんの傍に置いたらダメな存在」

「ああいう女は、いつかけいちゃんを壊す」

「そ、そうか……何があったのかは、聞かないようにしておくよ」


 相変わらずクールな無表情を崩さない彼女の眼には、光が灯っていない。

 ……女の子は怒らせないようにしよう。


 自分の彼女を思い浮かべながら肝に銘じたぼくは、彼女との協力関係に拍車をかけることにした。なにしろ──、


 ぼくと鷹口 水萌は、


「うんうん、なるほど……」

「……?」

「君には話す必要がある……けーとと白川 暦の関係を」


 そうしてぼくは、けーとの身に起きた過去を彼女に伝えた。


「……そんなことが」

「これでわかったかな? ぼくが君を支持しているワケが」

「……私、ますますあの女のこと嫌いになった」


 まだ太陽は沈んでいないはずなのに、彼女の表情が暗すぎて見えなくなる。


「とまぁ……これで、ぼくと君に共通の敵ができたというわけなんだが」

「それじゃあ……!」

「ただし、ぼくからも条件がある」

「……じょ、条件?」

「そう。鷹口さんは、けーととお近づきになりたいんだよね?」

「っ! ……うん」

「ぼくにも、同じような想いがある」

「……それは?」


「……けーとに、また水泳を続けてほしいんだ」

「!」


「ぼくたちの会話を普段から聞いてる君ならわかるよね? ……ぼくがどれだけ誘っても、彼は聞く耳を持たない」

「……そう」


「だから、鷹口さんから引き入れてほしいんだよ、水泳部に」

「それに君も、けーとと一緒に泳ぎたいだろう?」


「……うん、うん! 泳ぎたい!!」

「なら決まりだね」


 ぼくは、最終的にまとまった結論を提示する。


「ぼくが白川 暦をなんとか引き離して、鷹口さんとけーとの関係を全面的にサポートする。その代わり、鷹口さんはけーとを水泳部に引き入れて、彼の心を落とす。これが条件だ」


「……うん、いい。受けて立つ」


 彼女は決意に満ち満ちた表情で微笑む。


「それは良かった。なら、当面の目標は『けーとを水泳部に入れること』だね」


 二人は顔を見合わせて頷く。


「これからよろしく頼むよ、鷹口 水萌さん」

「ええ、お互い頑張りましょう。けいちゃんの幼馴染さん」


 夕焼けの下で行われた男女の会合は、互いの健闘を祈り、決意に込められた握手やくそくを交わして幕を閉じた。

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