第7話 もう一度。

 私には、好きだった男の子がいた。

 ……ううん、ごめん。嘘ついた。


 正直、今も好き。


 その子は私の幼馴染で、家族みたいな人。

 でも、ふとした瞬間に他人おとこのことして意識すると、胸がキュンとする。


 それなのに、私は自分のふざけた妄想でその子を突き放してしまった。

 どれだけ時間をかけても振り向いてくれなくて、終には私じゃない女の子を好きになった。


 ──彼の初恋は、私でありたかった。


 その事実を受け入れられなくて、悔しくて、彼に当たってしまった。

 ……なんて馬鹿な女。

 彼は悪くないのに。ただ、幼稚な自分が許せないだけなのに。

 他にもっとやり方はあったのに、自分で自分の首を絞めた。


 あの日から、私と彼の間に見えない壁ができた。

 家が隣同士のおかげで何度か顔を合わせることはあったけど、軽く挨拶を交わすだけだった。


 謝りたい。


 また、あの時みたいに二人で一緒に歩きたい。けれど──、


『もう……こないでっ!!!!』


 あんなことを言っておきながら、今更こっちから近づいてなかったことにしようだなんて……どれだけ無責任なのよ、私。


「……ふふっ」


 あまりに愚かな自分が、笑えてくる。


「なにが……になりたい、よ」


 なんであんな風に伝えたのかわからない。

 覚えたての言葉を使った、照れ隠しのつもりのなのだろう。

 ……本当に、幼稚な私。


 もっと、素直に言えばよかったのに、そうすれば今頃──。


 ダメ。また同じ過ちを繰り返すことになる。


 そんな私は、悔しくて、悔しくて、ひたすら悔しくて、未だに彼のことが気になっている。

 気になって、中学でも彼の様子を見ていた。

 しかし、私の目に映った中学生の彼は、人と関わることがない孤独な存在だった。

 私と同じように、彼と仲が良かったあの男の子でさえ、その影がない。


 (どうして? 彼の身に何があったの……?)


 凄く心配だった。けど、私には何もできなかった。できるはずがなかった。

 それと同時に、どこかほっとしている自分がいた。


 (……最低だ、私)


 そんな時、彼が病院に運ばれた。

 私の隣から、完全に彼がいなくなってしまった。


 ……これから、彼はどうなってしまうの?


(──いやだ)


 ……私たちの関係は、このまま終わってしまうの?


(──そんなの、いやだ!)


 いつまでも過去に囚われている自分に嫌気がさす。


 今、抱えているこの気持ちがそうであるように──。


(私、まだ諦めたくない!)


「ねぇ、お母さん」


「私、けーくんと同じ高校に行きたい」


 もう、同じ過ちは繰り返さない。

 自分に正直で、素直な私でありたい。


 ──3月15日──



 パタン。


 私は、1ヶ月ほど前に書き記した日記を閉じる。


「……ほんと、馬鹿な女」


 彼と同じ高校に入学したのはいいもの、別のクラスになってしまった。

 それに、彼は引っ越してしまった。


 運命は、そう簡単には上手くいかない。


「……けーくん」


(あの日のこと、まだ覚えているのかな……)

(覚えてたら、ちょっと気まずいな……)


 だけど、諦めない。諦めたくない。


 壁に吊るしてある高校の制服を見つめる。


「私……もう逃げないよ」


 いつもより早めの時間にアラームをかけ、ベッドに身を包む。


(だから……待っててね、けーくん)


 ──今度こそ、あなたの傍にいたいから。



 ▽▼▽▼▽▼



「行ってきまーす」


 だが、返事はない。


 俺は誰もいない部屋に呼びかけ、家を出る。


 学校から徒歩20分程度のところにあるマンションの一室。

 中学での生活を見ていた両親は、気を利かせて顔見知りに会わないよう、高校からなるべく近いマンションの一部屋を借りて、俺の一人暮らしを始めてくれた。


 ……これじゃ、帰っても家族すらいないじゃないか。


 というのは冗談で、本当は感謝している。

 ようやく、自分の好きな生活ができるのだから。

 父さん、母さん、いつもありがとう。


 こうして俺は、今日も両親への感謝の気持ちを抱いてマンションから出る──、


「あっ! おはよう、けーくん」

「……は?」


 なぜか、マンションの入り口に見覚えのあるポニーテールが立っていた。


「……こよみ?」

「そうだよ~、もう、暦のこと忘れちゃったの?」

「いや、そういう意味じゃ」


 がしっ。


 暦は膨れた顔で傍に駆け寄ってくると、何の違和感もなく俺の右腕を組んでくる。

 ……なんだか温かいし、柔らかい。


「おい」

「そ、それじゃ~行こ! けーくん!」


 こうして、俺は暦と登校することになってしまった。


「なぁ、こよみ」

「っ! なに、かな?」


 さすがに、腕を組まれたまま校門を通るわけにはいかない。

 歩いている内に何度か腕を抜こうと試みたが、その度に力を込められて離れられない。……決して逃がさないという意思が感じられる。


「なんか、顔が真っ赤だけど」

「へ!? ……きょ、今日は暑いよね~あはは」

「いや、暑かったら脱げばいいじゃん」

「あ! けーくん、それセクハラだよ! 捕まってもおかしくないよ!」

「現に今、俺がセクハラされている気がするんだが……」

「んもう……(そういうことは、私以外の女の子に言っちゃダメってことなのに)」

「え? なに?」

「い、いや! なにも言ってないよ!」

「さいですか」


 結局、俺たちはそのまま学校の前まで来てしまった。


「おい、あれ見ろよ」「うわぁ~熱々じゃん」「いいなぁー」


「こよみ、もうそろそろ」

「ダメっ!」

「……え?」

「あ、いや、なんでもない!!」


 人目につかれて恥ずかしくなったのか、暦はようやく俺の腕をほどき、一人で走り去ってしまう。


「なんだったんだ、一体……」


「(……じぃ)」

「!?」


 不意に誰かの視線を感じ、背筋に冷や汗が通りすぎる。

 俺は昇降口の前で足を止め、傍らに立つ満開の桜を見上げた。


「……どうして、こうなったんだ?」


 ──わからない。


 俺の知らない間に、が動いている。


 しかし、橘 恵人がその答えを知ることはない。今までも、これからも。

 彼に降りかかるワケありだらけの日常は、まだほんの序章に過ぎなかった。

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