第5話 嘘のような、本当。
「ねぇ~お願いだよ、けーと~」
昨日の一件で拗ねてしまった俺は、席に着くなり後ろから肩を揺らされている。
「ごめんって、頼むから機嫌直してよ~」
「……」
れーやは左右に何度も顔をのぞかせてくる。
それに対して、俺は意地でも目をそらす。
傍から見ると喧嘩しているように見えるが、実際は違う。
こいつのダル絡みに付き合っているだけである。
そんな茶番の最中、俺が左に目をそらしたタイミングで──、
「!」
鷹口 水萌と目が合った。
その瞬間に彼女は目を丸くしてそっぽを向き、耳まで赤くし始める。
いや、意味がわからない。
「ねぇ~、もう許してよ~」
そして、いつまでも絡んでくるウザいやつ。
(もう、なんなんだよこいつら……)
諦めがついた俺は、軽く溜め息を吐いてれーやに向き直る。
「わかったから、俺もいきなり怒鳴って悪かった」
「ほんと? じゃあ水」
「それはない」
何があっても、俺の断固たる意志は変わらない。
なのに、どうして、そこまで水泳をやらせたいのかわからない。
(……どうしよう)
私は今、人生で一番の窮地に立たされている。
橘 恵人と市民プールの関係……そして、けいちゃん。
必要な情報が揃ってしまった。しかし、まだそうと決まったわけではない。
……彼に、直接、聞いてみるしかない。
(だけど……どうやって聞けばいいの?)
『……ねぇ、私のこと覚えてる?』
──いや、あまりに直接的すぎる。
突然こんなこと言われて、重い女だと思われたくない。
『沼岡市民プールに通ってた、って本当?』
──これじゃ、
返ってくる答えはどうせ、YESだ。何も進展しない。
『…………けいちゃん?(乙女の顔)』
無理無理無理無理無理!!!!
いくらなんでもそれは無理!!
というか、なんであんな女の顔してたのよ私!!
「はぁ……」
このまま考えてもキリがない。
どうにか会話の流れで、それとなく振ってみるしかないか……。
私は小さな決意を胸に、彼に声をかけるタイミングを窺っていると──、
「!」
彼と目が合った。
その瞬間、私は反射的に後ろを向いてしまう。
心臓が締め付けられる感覚がする、動悸が激しい、顔も熱い。
(……え? どうしちゃったの、私!?)
なぜか、彼とまともに顔を合わせることができなくなった。
私は、自分の体の異変を理解できないまま、一日を過ごしてしまった。
次の日も、その次の日も、彼に近づこうとした途端に体が拒絶する。
そんな調子で、話かけられるわけがない。
(というか、全然声をかけられないんだけど!?)
(なんなのあいつら!? 学校にいる間、ずーっと二人でいるじゃない!?)
ここ数日間彼らを観察してみたが、別行動をとるタイミングが全くない。
橘 恵人が単独行動をしても、必ず
私に与えられた時間は、もう登下校のタイミングしかないが……彼がいつ登校してくるかわからないし、放課後呼び出して二人っきりに──なんて勇気は勿論ない。
「はぁ……何やってるんだろ、私」
いい加減、自分が馬鹿らしくなってきた。
気が付くと教室には夕日が差し込み、私以外に誰もいなかった。
「あ……もう、そんな時間」
正直、わかってた。自分の勘違いだって。
私の中にある微かな希望に縋りついていただけ。
いつまでも淡い夢に囚われた、哀れな少女に過ぎなかった。
そうして、私は自分の心に諦めをつけて席を立ち、鞄に手をかけ──
ガラガラっ。
「えっ」
「あ」
目の前に突然、彼が現れた。
──橘 恵人。
ドクン。
心臓が呼応し、全身が紅潮し始める。
しかし、彼は急いで自分の机を物色している。
忘れ物を取りに来ただけらしい。
(……そうよね、何を期待していたのかしら、私)
そして彼は、私を気にかける様子もなく教室から──、
「待って」
(……あれ?)
思ってもない言葉が、勝手に出てしまった。
「え?」
突然呼び止められた彼は、動揺して立ち止まる。
(……なんで? どうして?)
ついさっき、諦めたはずなのに。
勘違いだって、そんなわけがないって、なのに──、
体が言うことを聞かない。
「……!」
(待って、ダメ!)
私の中から、何かがこみ上げてくる。
それが一体何なのかわからないけど、とにかく嫌な予感がする。
だけど、それは止まらない。
体が熱い、動悸が激しい、頭が真っ白になる。
「……なに?」
やめて、聞かないで! それ以上は──!
「けいちゃん」
「……え?」
「って! 呼ばれたこと、ある?」
何言ってるの、私!?
そんなこと、急に言われたら彼だって……、
「え……いや、呼ばれたことは、ないかな」
「……!」
ほら、やっぱり私の勘違──、
「あ。でも、昔通ってた市民プールがあって、そこの人たちだけ『けいちゃん』って呼んでた、かな」
「!!」
「けど、なんで急に」
「し、知らないっ!!」
勢いに身を任せた私は、彼を跳ね除けながら教室を出てしまった。
「……言っちゃった」
言ってしまった。
あまりの恥ずかしさで逃げるように走り去ってしまった私は、自分の顔を両手に埋めながらゆっくりと帰路を歩いていた。
『けいちゃん』
「~~~~っ!!!!」
脳内で自分の言動を何度も思い返し、羞恥心で潰れそうになる。
──けど、問題はそこじゃない。
「……けいちゃん、だ」
本人の口から、はっきりとその答えを証明された。
これはもう、紛れもない真実である。
「そんな……嘘、でしょ?」
けいちゃん。
家族のように大切な人。
あの日からずっと想い続けてきた彼が、そこにいる。
──私の、隣にいる。
「……どうしよう」
明日から、彼に合わせる顔がない。
けれど──、
『突然、消えたようにいなくなっちゃって』
……もう、あんな思いはしたくない。
顔から両手をゆっくり剥がし、夕焼けの空を見上げる。
今度は、あなたの傍にいたいから──、
「……待っててね、けいちゃん」
決意に身を固めた一人の少女は、その想いを胸に再び走り出した。
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