第3話 譲れない想い

 校舎から体育館へ繋がる渡り廊下。体育館に続く廊下の途中で、右手に分岐したもう一つの道を曲がった先に、小さめの体育館もとい屋内プール場が隣接されている。

 見た目は体育館とほぼ変わりないが、スライド式の扉を開けるとすぐに男女で分かれた更衣室があり、その先はプールに直結している。


 (……うん、良い。授業のために造られただけあって、単純な構造をしている。シンプルイズベスト)


 俺とれーやは更衣室で上履きと靴下を脱ぎ、制服に裸足という格好のままプールへ赴くと──、


「「おお……!」」


 広い! 学校のプールとは思えない広さだ! 何より天井が高くて解放感がある!

 プールは短水路の25m×6レーン。1レーンに2人が横並びになってもまだ余裕がありそうだ……。

 しかも、あのスタート台! あれは実際の競技シーンでも使われる羽付き台じゃないか! 選手が飛び込む姿勢を構える時に、自分の足場を調整できる板が付いているものだ。学校でこれが見られることはそうそうない。

 そして、プールサイドにはストレッチ用のマットやベンチ、手荷物置き場と化した足場用の土台が置かれている。これぞまさに水泳部! って感じの景色、実に良い。


 ここで俺はあることを予測し、後ろを振り返る。


 (おいおい、嘘だろ……?)


 予想した通り、2つの部屋が壁に埋まるような形で更衣室の出口を挟んでいる。女子更衣室側の部屋は備品倉庫、男子更衣室側の部屋がシャワールームとなっている。


 (な、なんという事だ……あまりにも、無駄がない!!)


「ふっ、やるじゃねえか」

「君は何と戦っているんだい……」


 興奮冷め止まない俺の悪癖に、親友はやれやれと言った表情で微笑みかける。


「それにしても、すごい立派なプールだね、ここ」

「ああ、校内水泳大会でも開けるぐらいでけぇよ」

「うちにそんな行事はないけどね。でも、部活としては充分すぎるほど整ってる」

「ま、確かに立派だ。けどそれだけだ。あそこには到底敵わない」

「ほんと、けーとはあの市民プール好きだよね」

「はん、言うまでもないだろう? あっちには二階席もあるし電光掲示板だってある。ここまで広くはないけど、自分の部屋みたいに落ち着く狭さだし、何より古臭い」

「それ褒めてるの……? ってか、まだ行ってたの?」

「いや、あそこは俺にとっての癒しだからな。今は、もう癒される必要がなくなった」

「それは、良かった……のかな? あはは」


 すると、俺たちの声に気づいたのか、正面からヤケにガタイのいい水着姿の男が駆け寄ってきた。


「君たち! もしかして、新入生かい?」


 しかし、俺は無言で返す。先輩方への対応は全て親友こいつに任せる。そういう条件の下でついてきたからだ。


「はい、そうです」


 俺は事の顛末を眺める。本当に、ただ見学しに来ただけなのだ。


「水泳部で副部長をしている荒波だ。今はまだ部長が来てなくて……おや? 君も見学者かい?」


 え? 俺? いや、先輩の視線の先に俺はいない。

 となると──、


 俺は荒波先輩の視線を追うように背後を確認する。

 そこには、女子更衣室の出口で立ち尽くしている一人の女子生徒がいた。


「あ……はい」


 ──鷹口 水萌。当然だ。彼女が来ないはずがない。

 彼女は自分の存在を認識されると、教室と同じように空いている俺の左隣へ立ち並ぶ。


 あれ? ……そういえばこの人、いつから来てたんだ?

 同じクラスだし、水泳部に直行するなら遅めに来た俺たちよりも先に来てるはず……だよな?


「そうか、来てくれてありがとう! さっきも言ったけど、今は部長がいなくてね。代わりに俺が対応するよ。何か聞きたいことはあるかい?」


「あの、いいですか?」

「いいよ、君は?」

「園田と言います。ここの水泳部ではどんな活動をされているのですか?」

「そうだねぇー……園田君は、中学でも水泳部だったかい?」

「はい」

「なら話は早い、高校でも同じだ。自分たちで練習メニューを組んで、毎日泳ぐ。同じメニューを複数人でやるところもあるし、個人に合わせたメニューでひたすら泳ぐ人もいる。水泳は個人競技だけど、みんな一丸となって練習に励んでいるよ。そこは、『水泳部』だからね。詳しいことは入部したときに教えるよ」

「ありがとうございます。ちなみに……ここって、どのくらい強いんですか?」

「……はは! 見かけによらず突っ込んでくるね!」


「正直なところ、インターハイに出れるほどレベルは高くないんだ。けど! それなりに速い人は結構いるよ、俺も含めてね! みんな、関東大会出場を目指して頑張っているよ」


 荒波先輩は、れーやの質問に対して水泳部の現状を正直に話している。

 

 (この人は多分、嘘が付けない真っ直ぐな人なんだろうな……)


「最近は特に、そういったハイレベルな選手がごく僅かでね。みんな自分の練習に精一杯で、他の部員に教えられる余裕がないんだ。だから、今は即戦力とか、適格なアドバイスをくれる人とか、そういった存在をみんな求めてる」


 (ちょっと待て。そんな言い方をされたら──)


「先輩……それなら、ちょうどいいところに! ピッタリな新入生がいますよ!!」


 完全にスイッチを入れてしまった親友は、俺の肩を全力で掴みかかる。


 (ほら、やっぱりな。見ろよこの純粋無垢な少年の目の輝き。勘弁してくれ……)


「ここにいる橘 恵人君は! なんと15年間、毎日プールに通い続けた男で!」

「おい、待てれーや」

「50mと100mの自由形を極めた短距離スイマーですが、他にもバッタやバックも得意で!」

「やめろ、頼むからやめてくれ……!」

「しかも、小学生でJOC! 中学生で関東そして全国大会にも出場できる実力を!」


「いい加減にしろよ!!!!」


 本人も驚くほどの大きな怒号がプール全体に響き渡り、ついさっきまで賑やかだった水泳部に一瞬の静寂が訪れる。


 その間、俺は目の前で唖然としている先輩の姿に気付き、慌てて自分の状況を理解した。


「あっ……すいません」


「でも、俺はやりませんから」


 しっかりと先輩の目に訴えかけた俺は、それでも譲れない想いを胸に、プールから静かに立ち去った。

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