MIDNIGHT MUTANT HOUR
朝倉春彦
Cecil's Weekend
時國セシルという女
-1-
「ククク…見つけましたよ!いいえ、ようやく話しかけるチャンスに巡り合えました!」
そう言って目の前に現れた女は、狂気に満ちた笑みを咲かせた。美人と呼べる容姿に、真っ赤なフレンチカジュアルのファッションスタイルが容姿を際立たせている。紛れもなくイイ女、だが、それら全てを無駄にしているのは、その手と口元に見えるモノ、そして彼女の雰囲気だろう。
「ねぇ!貴方ですよ!そこの貴方!そう!そこでボーッとワタシを見ている!ワタシの旦那様!」
安酒のパックを片手に持って、フラフラに酔っ払い、短くなった煙草を咥えた女。その光景を見た俺は、呆気に取られて身動きが取れなくなった。敵意は無さそうだがヤバい奴。誰が見たって同意見だろう。俺は表情を引きつらせながら、女の方をジッと見据え、そして周囲の光景に目を向けた。
昭京府、深夜26時過ぎ。周囲には余所者5人が気を失って地面に寝転がっている。ここは彼女の様な若く美しい酔いどれ娘が来るような所じゃない。日陰者、いや、夜の闇ですらも隠しきれなかったアホがいるべき場所だった。
昭京府の一角。10個あるメガタワーのうちの1つの片隅。狭い人工島の地上に設けられたちっぽけな広場。ここは、メガタワーが出したゴミを溜め込むゴミ捨て場なのだ。
煌びやかな摩天楼が作り出した影の空間、成功者たちが金に群がり尻尾を振りまいている社交界の舞台裏。俺ですら滅多に足を踏み入れないこの場所で、目の前の女は何て言った?…旦那様?生憎、俺にその覚えは無い。
「クク…驚いてますか?ねぇ、旦那様!何か言ってくださいよ!記念日なんですよ!」
テンションが上がっていく女を見て、俺は動けなくなっていた。彼女は俺のことを知っているようだ。悦に浸った様子で、頬を赤らめながら近づいてくる彼女を見て、俺は次に何をするか考える。彼女を倒すのは容易いこと…何も手を出さずに念じればいいだけなのだが…それはちょっと気が引ける。
「ねぇ~、旦那様!ミナミさん!ワタシ、酔ってないですよぉ~!エへへ!あぁ!でも、これは酔ってるって言われても、仕方が無いですかねぇ!ヨウさん!」
迷いの生じた一瞬。投げつけられた言葉が、俺の表情を驚愕させた。彼女は、本当に俺の事を知っていたからだ。彼女は、俺の名前と渾名を知っている。
「アンタ、一体、何者なんだ?」
俺がようやく口を開くと、彼女は表情を更に明るくしてパッと両手を上に上げ…何かに気付いた様に動きを止めた。ピタ!っと動きを止めた彼女は、不満げな目で俺をジッと見据える。
「あれ、もしかしてヨウさん、ワタシの事、本当に誰か分かってないんですか?」
「あぁ、誰だ?最近、どっかで俺の事を見かけでもしたか?」
質問に質問で返す俺。彼女は俺の答えを聞くなり唖然とした様子で口を開け、咥えていた煙草を地面に落とした。
「…………………………」
一瞬の後、彼女はそれを足でもみ消し、手にしていた酒を威勢よく煽り…それから、フーッと長い溜息を吐き出す。
「そっかぁ…ククククク…フフフフフ…ヒーッヒヒヒ!そうですよねぇ!考えてませんでした!その可能性!!抜けちゃってた!この人に名前を覚えられるの大変だったんだ!」
突如目の前で噴き出し、爆笑し始める女の顔は真っ赤に染まっていた。地面に落ちた煙草を何度も何度も踏みつけ、お腹を抱えてひとしきり笑い転げて、そして、彼女は急に真顔になった。
「それなら、私の事は、名前以外、教えません」
暗いトーンで発せられた一言。俺の背筋は、ゾクッと凍り付いた。
「……………」
無言の後、彼女は徐々にフルフルと肩を震わせ、再び笑い始める。
「ククク…フフフ、フフフフフ!ね、ヨウさん。ワタシ、ようやくヨウさんに声をかけられたんですよ?随分冷たい反応をしちゃったなぁ…って思いませんか?ねぇ!」
そう言いながら、一歩一歩近づいてくる女。後退するにも、後ろはゴミが満載のコンテナしかない。何処かへ逃げるにしても、女の脇を通り過ぎなければならない。俺は一歩も動けず、女が目の前でピタリと止まるのをジッと眺めることしか出来なかった。
「捕まえた!ヨウさん、ワタシがこの時の為にどれだけ頑張ったか、知らないでしょう?」
「知るかよ」
「残念ですねぇ…ワタシは、貴方との約束を守って頑張ってきたというのに」
ガシっと腕を掴まれた俺。女は悦に浸る表情を浮かべて、俺の顔を見上げる。煙草臭く、酒臭い、真っ赤に染まった表情。女は俺に惚気た表情を向けた瞬間、それを感情一つ感じさせない無表情に作り変えた。
「!?」
身構える暇も無かった。
女は更に一歩足を踏み出して距離を縮め、豊満な胸元を俺の胸部に押し付ける。柔らかい感触。だが、感触も楽しめない程、俺は目の前の女に釘付けにされていた。
「
時國セシルと名乗った女は、さっきまでの酔いどれ口調が嘘の様にハッキリとした声で、俺にそう告げる。
「右目に入れたインプラントのせいで厄介な能力を持ち、昼夜の概念が逆転してしまったという事までしっかりと…でも、ワタシはそれでも構いませんよ。だから…ヨウさん」
セシルは感情が空っぽになったかの様な、真っ黒い双眼を俺に突きつけ、こう言った。
「とりあえず、ワタシとの再会記念に、夜明けまで、梯子酒に付き合ってもらえませんか?」
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