第10話 一章第4節 英雄の従者
―ガルバギア暦1289年 12月上旬
リフォルエンデは山岳部からの激しい吹雪に絶えるようにひっそりとしているが、その内部では慌ただしく今後の情勢に合わせ、上層部達が連日会議を繰り広げていた。
宿敵ハビンガムは先の会戦で大きく戦力を失った事により、現在は内政に力を入れているとの事。アーレ・ブランドンも100周年を迎え、さらに今は大統領選挙が始まった事もあり、こちらもきな臭い雰囲気は無い。そうなれば、リフォルエンデととしてもしばらくは安全であるが、こういう時こそ手綱を緩む事無く、堅実に行動に出るべきなのである。そうした中でリフォルエンデはロンドニアとの関係をさらに親密なものとし、万が一に備えての軍事協定や、武器の輸入、さらには食料の提供さえも行い、同盟力を固める方針を取る。そこまで大判振舞をさせたのにもディアナインによる食料物資の提供が実現した事にもよる。正式にウォンの派遣が決まるないなや、ディアナインはその一カ月も待たずして食料物資を届けてきたのである。もっとも、最初こそなんと人力のみで物資を運んでいたのでこちらから輸送手段を送る事になった訳だが。
そんな中、ウォンが率いる通称『ウォン中隊』は明日の出発に向けて各自が準備に取り掛かっていた。出発前には軽い式典も行われる予定である。ウォン中隊の規模は総勢200名。その殆どがウォンの名声に憧れて志願した者や、クルナ会戦においてウォンの知略により命辛々生き残れた者であった。
だが、例外もいる。
それはファジャ・ブラウンと
ギィル・コールマイナーである。
ファジャに置いてはその約束通り、ウォンが引き抜く形で中隊に編入、そのまま副官、兼参謀としてウォンに右腕に席を置く形となった。一方のギィルに関してだが・・・。
「ウォン中尉!」
ギィルはようやく見つけたウォンを呼び止める。
「やぁ、やはり君は生き残ったか」
ウォンはギィルの顔を見るなりそう切り返す。大切な仲間は失ってしまったが・・・と思う所はあったがここはあえて自ら疑問を口に出す。
「私がウォン中隊に選ばれたのですが、志願した訳でもないのです、中尉は何か知っているかと思いまして」
「ああ、それか、なんて事は無い、僕が君を指名したのさ」
「・・・私をですか?」
「そんな遜らなくてもいいさ、まぁ、その理由が聞きたいのだろう?」
「ええ」
「まぁ、本当に大したことは・・・なんて言うと君に失礼か、なんというか、私の愚痴を聞いてくれる話し相手が欲しかったと言うべきか」
言いにくそうに、本当に大したことが無い事を言うウォン。
「・・・本当にそれだけですか?」
ギィルは自分より一回りも生きてきた人間が言う言葉には到底思えなかったので思わず聞き返してしまった。
「こんな事を言うと笑われそうだが、僕はそれほど話せる人間が多い訳じゃない、英雄などと煽てられているが、本当はただの怠け者でね、だが残念な事にそれを証明できる人がハーバ―閣下しかいないし、さすがに元帥閣下を一緒に連れて行く訳にはいかないだろう?」
「そこでふと考えた時、丁度君が頭に浮かんできてね、あのじゃじゃ馬娘を見事に手懐けた君だからこそ、打ってつけと思った次第なんだ」
そう言うとウォンは似合わないウィンクをした。
「はぁ・・・」
命令なので嫌とは言えない。だが、理由が理由なだけに複雑な思いになるギィル。
「勿論、今後次第では君だって昇格の兆しあり、だ、戦争と違いそこまで命のリスクも無いのならここは一つ、年配者に恩を売っても罰は当たらないと思うがね」
確かにウォンの言う通り、悪い話ではない。逆にこれはチャンスかもしれないのも確かである。先の会戦もウォンの助言無くしては生き残れなかったのもまた事実なのだ。彼の話ならば例えそれが愚痴の類であろうとも一見の価値ありと考えても良いのかもしれない。
それに・・・
(ディアナイン神聖国か・・・)
まだ見果てぬ国に興味が無い訳でもなかった。
「分かりました、そういう事でしたら、僭越ながらご同行させて頂きます!」
ギィルは迷いを捨て、その作戦に参加する事を伝えた。
「ふむ、よろしく」
ギィルはウォンから差し出された手を強く握り返す。
こうしてギィル・コールマイナーはしばらくの間、ウォン中隊に所属する事になるのである。
―そして翌日。
ディアナインに派兵するウォン中隊がウォンの前に集結する。その数計200名に及ぶ。歩兵、騎兵、砲兵、衛生兵、輜重・工兵の順にバランスのとれた編成になっている。
ウォンは集まったその数にも驚いたが、彼らがただの寄せ集めで無い、熟練された兵士であった事にもまた驚く。どちらにせよウォンにとってはとても心強い味方である。そして、ファジャが代表してウォンに宣誓し、その後にウォンが軽く挨拶をする手筈となっているが、例に漏れずウォンもこのような場で話すのは得意ではない。
「あー諸君、私に今言える事は正直言ってあまりない、というのも私自身も今後の作戦がどのようになるかまでは把握してないというのもある、なんにせよ、まずは現地に赴く事だ、それまでは各自気楽に行こう」
そんな事をちぐはぐと述べるウォンに対し、最初はまばらだった拍手もより一層大きなものとなる。ギィルはそんな様子を横で見て、改めてウォンの人柄を再認識するのである。しかし、そんなギィルも周りからは好奇な目で見られることになる。なにせ、ファジャを除けば唯一ウォンから指名されたと言うのは噂になっていた。とはいえ、その若さと階級から皆からは従者という立ち位置で理解されていったのはギィルとしても好都合であった。変に期待されるのも困るというものである。
兵種別に各代表の挨拶も終え、これより本格的にウォン部隊はディアナインへ向けて移動を開始する。とはいえ、もう既にディアナイン側からの物資提供によって主な進行ルートは確立されており、今現在も案内役を務めてくれる者と、こちらの歩兵部隊長であるベジャル・バッソ上等兵とで綿密な打ち合わせをしている。ウォンはそれには参加せず、全体的に集まってくれた者達の様子を観察しているようだった。装備品や兵站、それらはけして優れた物資とはお世辞にも言い難いが、「まぁこんなもんだろ」とでも言いたそうな目線を投げかけている。
「ウォン隊長!すみません、砲兵としても出来るだけ最新式の物をと交渉したのですが・・・」
そんなウォンの意識を読み取ったのかは不明だが、砲兵部隊長に任命されたファジャは申し訳なさそうにウォンに平謝りしている。と、言うのも今回参加する砲兵達の標準装備がマスケット銃、つまり、先込み式の滑腔式歩兵銃であったのがファジャに取っては我慢出来なかったらしい。せめて、現段階で開発が最終段階まで来ていたライフリングが施されたスナイドルライフル銃をと、上に具申していたのにも関わらずである。しかしながら、その進言があまりにも時代錯誤してるとも言えないのもまたリフォルエンデ、否、ガルバギア全土に言える環境でもあった。
ファジャが求めているような最新技術は主に西のウェスタニア帝国を基準にしている節がある。確かにウェスタニアでは、早い段階で近代化を実現し、電気を利用して夜でも昼のように街灯は明るく、原動機を装備した自動車が整備された街道を引っ切り無しに走っていると言われている。当然ながらそこで作られる銃やその他の兵器等もガルバギアには到底不可能なまでに技術革新が加えられているのだろう。だが、事ガルバギアは海を隔てたお陰か、未だに近代化の波が緩やかであり、つい最近まで剣と弓が主力武器であったという事も笑い話ではない。そんな中で、銃器を持たせてくれただけでも・・・と考えた方が普通なら理解できるというものであるが帝国の技術を知るファジャからすれば到底納得できる事では無かったのだろう。
「いやいや、これから帝国といっちょ構えるって訳じゃ無いんだし、これで不十分って事は無いと思うが」
ウォンは不満げに謝罪するファジャに対して自分の率直な感想を述べる。
「いえ・・・せめて後装式とは言わないまでも施条加工ぐらいは施すべきでした、それに・・・」
ファジャはウォンの耳元に顔を寄せて小さく耳打ちする。
「敵が何処に潜んでいるか分かったものじゃありませんから」
ファジャの耳打ちを聞き終え、ウォンは少し目を瞑る。その意図はこれから出向くディアナインでの治安を考慮しての事だろう。ウォンとしても謎の国だけあってハーバーが言う程呑気に構えている訳では無かった。
「君の意見は最もだが、無いものねだりしたって仕方ないさ」
「それに僕らはいきなり新天地に飛ばされる訳じゃ無い、ここから目的地へ行くのにだって最低でも一カ月半程はかかるという見込みになっている、それで手に入れるべき重要なものは情報だ、それによって僕らもようやく対策を練る事ができる」
「まぁ逆に言えば今言える事はそれぐらいしかないって事だけどもね」
ウォンまるで独り言でも言うよりに自分の思う事をファジャに説明した後、悪びれるように頭をポリポリと掻き始めた。
「なるほど・・・確かにその通りでありますね!では常に周囲を警戒して情報収集に当たらせて頂きます!!」
ウォンに説明に感銘したのか、ファジャは羨望の眼差しでウォンに最敬礼した後、持ち場へと戻っていった。
「・・・ふぅ、やれやれ」
「なぁギィル?僕は何かすごい言ったかい?」
「いえ、その・・・すみません」
ギィルはウォンの意図が読めず思わず謝る。
「ふむ・・・彼女が、いやここに集まったほとんどの連中が尊敬して止まないのは僕じゃなくて『フェザール城の英雄』さ」
「えっ?・・・でもそれってウォン中尉の事じゃ?」
「うん、でもアレはたまたま運良く結果が出ただけでね、本当にいつ気づかれてもおかしくなかった、だけど幸運にも成功した、それだけじゃない、クルナ会戦だって運が悪ければ僕は死んでいただろうね、しかし
「そんな過分な期待に応えて道を誤った過去の英雄達から教訓を学ぶとするならばこの状況はけして良いとは言えないな、僕の判断がもし誤ったとして誰が疑問を口にだす?羨望の眼差しのままイエスマンだけになってしまえば組織なんて腐りやすい物はすぐに崩壊してしまうだろうさ、アーレ・ブランドンのようにね」
「・・・すみません、僕にはよく分かりません」
「でも、中尉がすごいのは本当だと思います、中尉は僕を救ってくれましたから」
ギィルはウォンの忠告を受けてあの戦場を生き残れた事を振り返る。
「おいおい、ギィル、君は僕の話を聞いていたのかい?」
「・・・まぁいいさ、せいぜい一緒にいて、僕の不甲斐なさを嫌でも観察すればいい」
ウォンは大きくため息を付くと呆れたようにそう答えた後、誰かに呼ばれその場から居なくなった。
(ふーん・・・あれが『フェザール城の英雄』ウォン・リオンか)
その時、ギフトが脳内で話しかけてきた。
(ああ、一見頼りなさそうに見えるけど、すごい頭が良い人だと思う)
(・・・確かに、この辺にいる人間にしては思考能力が高いようだ)
(しかし、彼は建設的な会話を望んでいたように思えたが君ではまだ早いな、私も君との知識と記憶は共有されているから上手いように言葉が出てこなかった、だが、あのような人間と一緒に居れば飛躍的に思考加速が可能になるだろう、ギィル、君も運に恵まれたようだな)
(運か、なぁギフト、運って一体何だと思う?)
(さぁ、わからん、君が知らないという言う事を私が分かるはずもないだろう)
(ただ推測得るに、我々生命体は常にその運という意味の如く、常に何らかの意思、もしくは意図によって運ばれているような気がする・・・)
ギフトはその後に続く「最もそこに選択権があるかどうかは知らないが・・・」という台詞をギィルには伝えなかった。
(じゃあこの遠征も、皆運ばれて行く訳か・・・そういう事ならそこまで心配しなくても良さそうだな)
(楽観的だな、君はもっと慎重な男だと思っていたが?)
(嬲られる前から慎重になんかなってられないよ、それより、楽しい事が起こるって考える方が楽だろ?)
(フッ・・・さっきのウォンは君とそういう話をしたかったのかもな)
そう言うとギフトはまた、脳奥へと消えていった。
1時間後にはリフォルエンデを出発する手筈になっている。もう既に準備は終えていたが、ギィルは改めて荷物に不備がないか再確認した。
―そして定刻通りウォン率いるウォン中隊はリフォルエンデからディアナイン神聖国の中心地へと出発を開始した。
先頭は歩兵部隊から新たに選出されたレンジャー部隊が率先していく。ディアナインから来た案内役から進路の説明を受け、問題が無ければ後続も進行していく。ギィルはウォンと同じく最後尾からのスタートなる。雪山に囲まれたリフォルエンデの麓を降りれば、そこは一面草木も生えない荒野が延々と続き、視界も大分悪かった。そこから砂漠に続くというのだから、ますますその先に人類の文化があるのか疑わしくも思えてくる。だが、ギフトにも言ったようにギィルはその反面、この状況を楽しむようにしていた。なにせ、他国を許さず何十年も謎のヴェールに包まれた国の内部へ行く事が出来るのだ。
ディアナイン神聖国。
ギィルはまさにそのヴェールの向こうに垂れる幕を突き進んで行くのであった・・・。
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