三話

 そこに来た私の少し前方に彼女がいる。肩をすぼめて、外敵から身を守るように、内から沸く感情を抑え込むように肩を抱きしめて蹲っている。まるで小さな子供みたいに。

 私は彼女へと近づく。一歩、また一歩と、吸い寄せられるように。

 ふと彼女が顔を上げる。穏やかな表情で、透き通った泉のように神秘的な瞳を私に向ける。

 ――でも、なんで? なんでそんなに苦しそうなの?

 彼女にたどり着くまであと一歩のとき、どす黒い流れが私を襲う。

 流れに身体をさらわれる前に彼女へと手を伸ばすが、その手は彼女に届かない。

 身体の自由を奪われた私は、彼女から離れた場所まで連れ去られる。

 流れの中で彼女の言葉が染みこんできた。やめて、ほっといて、邪魔をしないで、と。

 ――嫌だ。

 その感情が生まれたかと思うと直ぐに、私は再び彼女へと近づいていく。

 すると今度はどす黒い塊が、私を押しつぶそうとする。私は押さえつけられながらも、彼女のもとへ這いながら進む。

 うるさい、来ないで、どうせまた、と彼女の言葉が私を押さえつける。

 ――嫌だ。

 歯を食いしばりながら、私は這いずる。

 そして、彼女のもとへとたどり着く。そのころには私を押さえつけるものは無くなっていた。

 私は彼女の前で膝をつき、手を伸ばす。

 優しく頬に手を添えて、涙を拭うように撫でる。

 彼女は心地よさに目を細めながら口を開く。

「やめて」

 そして彼女は私の手を払いのける。

「帰って」

 絞りだされた声が私を突き飛ばす。

 ――嫌だ。

 私は立ち上がると彼女へ手を差し伸べる。

「一緒に帰ろ?」

 彼女は私の手を取ろうとする。しかし、伸ばした手をもう一つの手が逃がさない。

 悲しそうに微笑んだ彼女は、力なく項垂れて首を横に振る。

「わたしは誰もいない世界を望んだの。わたしは、一人でいたいのよ」

 半ば自分に言い聞かせるように彼女は言う。自分の身体を強く抱きしめて、必死に溢れ出る感情を抑え込むように。

 彼女は誰もいない世界を望んだ、でもその世界には私がいる。それはなぜか。

「でも私を求めたんでしょ?」

 大丈夫、貴方の不安も望みも、私は全部知っているから。

 私は蹲る彼女を抱きしめる。

 彼女はピクリと身体を震わせると、やがて私に身体を預ける。

 私はさらに力を込めて彼女を抱きしめる。

 ――大丈夫。

 もう、なにも悩むことなんてない私は彼女の耳元で囁く。

「もう、大丈夫だよ」

 ――あなたしか、見ないから。

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