第2話 固茹で卵

 ああ、そうだった。矢上助手に注文をつけるのを忘れていた。渡された使い捨てカメラを手に、さっそく事務所を飛び出そうとしていた背に向かって声をかける。


「報告書と写真は二部ずつで頼む」


「ちっす。ん、なんで二部いるんすか?」


 ゆるゆると頭をふる。椅子に深く腰かけて机の上で足を組み直す。中折れ帽に手をかけて、言わなきゃわからんかねと嘯く。


「まずは旦那に証拠を見せるからだよ」


「え、でも依頼人は奥さんっすよね?」


 深く帽子を被せ、俺は眠る体制に入る。


「旦那にも事情があるだろう。いくらまで出せるのか、考える時間をやらないとな」


 しばらく間が空いて合点がいったのか。矢上助手はすっ頓狂な声をあげた。


「先生はいったいどっちの味方なんすか」


 何を今さら。そんなの決まっている。


「もちろん高く買ってくれる方だよ」


 手のひらで、はよ行けとひらひら払う。


「うひょお、さすがは先生っす」

 という言葉を置き去りにしてバタバタと駆けていった。


 なんとも騒がしい奴だ。


「所長。儲けを気にするのなら、べつにしおりさん使わなくてもよかったしー」


 ごもっともな意見に、たぬき寝入りを決め込むことにした。あむちゃんは眠りこけた相手にでもかまわずに話しかけてくる。


「それになんでまた使い捨てカメラだし。ねえ、もうデジカメにしよーって、あーし言いましたよねー?」


 ごろんと寝返りをうって寝言を呟く。

 

「でじたる、はよく分からんからな」


「インスタントカメラとおんなじだし」


 俺は機械仕掛け全般を苦手としている。おじさんとでじたるは、少々相性が悪い。ぶつくさと文句を垂れているあむちゃんをちらと見やると、ど派手な装飾を纏った携帯電話を器用なまでに使いこなしていた。


 流石は若者だと感心してしまう。彼女はうちの事務所きってのすーぱーはかーだ。唯一あるぱそこんもあむちゃん以外に使える者はいなかった。


「こんなのぜーんぜん普通だし」

 と彼女は言うけど、あれやこれやを上手い事なんやかんやとしてくれてるらしい。


 ほーむぺーじなる物を作り、ねっとで依頼を受けれる様にすると息巻いていたが、良く分からなかったので全て任せてある。俺の様な旧型の人間には、依頼と謎があればそれだけで構わないのだ。


「ほらほら、デジカメなら現像しなくてもすむしー、使い回せるしー。ねえ、所長」


 携帯電話を突き出しながら子猫ちゃんがニャアニャアと戯れてくるので眠れない。


「固茹で卵にゃ無骨な位で丁度いいのさ」

 と独りごちる。


「固茹で卵ってなに?」


 なんだ、いまの子には伝わらないのか。ハードボイルドのことだよと教えてやる。


「あは、おやじギャグだし。ウケる」


 まあ、ウケたなら良しだ。ギッと椅子を鳴らして深く沈み込んでいく。


「謎が俺を呼んだなら起こしてくれ」


「謎って言っても、いつもくる依頼は浮気調査ばっかじゃんか。あーし、わかんないんだけどなんでこんな浮気するかなー?」


 どうやらあむちゃんは、答えのない謎に囚われてしまったようだ。その答えが簡単に見つかってしまうならば、俺はとっくの昔に御飯の食い上げとなっているだろう。


 それでもあむちゃんは答えを求める。


「所長は奥さんが浮気したらどうするの」


 稲葉友香いなばともか、俺の妻。言われて妻が浮気する所を想像してみるも、ハッハと笑いが込み上げてきた。有り得ない。想像するのも馬鹿馬鹿しい事だ。天地が引っくり返ろうともそんな事はない。


「ともちゃん……、オッホン。いや、妻が浮気なんてするわけないだろう」


 仕事柄、浮気をする人間を山程見てきている俺が言うのだから間違いはない。ともちゃんは浮気をするような女性ではない。ましてや家は家庭円満。ラブラブなのだ。


「えー、わかんないじゃん。うそ、まさかこの夫婦がみたいなのいっぱいあったし。所長んとこもどうなんだろうねー」


 なぜ食い下がる。あむちゃんは俺ら夫婦に何か恨みでもあるのか。いや待てよと、意地になっている姿を観察して推理する。


 もしや妬いているのではないか。あーしが付け入る隙間がないじゃないという可愛らしい焼きもちではなかろうか。だったら教えてやらねばとほくそ笑む。


「ないな。妻は浮気するタイプじゃない。それにだ。探偵である俺の目は欺けない」


 仮にもその筋のプロだ。自信がある。


「だったら、所長はどうだし。所長は浮気するかもしんないじゃんか」


 ぷくっと膨らむのもまた微笑ましい。


「俺も浮気はしないさ。ただ、まあ。あむちゃんが相手だったらなくもない、かな」


 ちら、と見ると、あは、と笑われた。


「また、冗談。ウケる」


 あながち冗談でもなかったのだが、まあいいかと頭を掻いた。あむちゃんはもう気が済んだのか、ぱそこんを触りだす。


 俺は二度三度身体を揺すり目を閉じる。あむちゃんが何か言ったような、言わなかったような。ゆったりとしながらに微睡んでいく。そよそよとした風に耳を預けた。


「あ、依頼。所長起きて、依頼きてるし」


 呼ぶ声に反応しハッとして目を覚ます。誰か訪ねてきた素振りはなかったと思ったが、意識が飛んでいたのだろうか。例の如く帽子の隙間から覗くも来客の姿はない。


 あむちゃんはといえば、ぱそこんの前にじっと座ったままだ。目をやった俺と視線を交わしてからそっと横に背けていく。


「あ。あー……、嘘。依頼きてなかった」    


 うん? 妙な反応をする。


 中折れ帽を脱いで首をぐるりと回した。来客はなし。電話も俺しか出ないはずだ。矢上助手はまだお使い中なのだろうか、彼の席にはなにも変化は見当たらない。


 だとしたらどこに依頼される余地があるというのか。思い当たる事と言ったらあむちゃんの目の前にある四角い箱くらいだ。以前に話していた事のある、ねっとで依頼を受けるという段取りがついたのだろう。


「どんな依頼なんだ」


 やおらにガバっと立ちあがり、ぱそこんを覗き込もうと歩み寄っていく。わが稲葉探偵事務所はじめてとなる電脳での依頼とくれば、張り切らずにはおれるまい。


 だが、

「ダメだし! 近付かないで」

 と、にべもない。


 それに飽き足らず、ぱそこんから伸びた機械を握り締めて更に妙なことを口走る。


「あ。あー……、所長。あーしって奥さんの名前聞いたことありましたっけ?」


「友香だよ。ともか」


「……ですよねー」


 いったいどうしたというんだ。あむちゃんの様子がおかしい。。これでは埒が明かないと思い、素早く駆け寄って覗き込む。


「ああ、ダメ、やめて」

 と誤解されるような声を上げる。


 制止してくる手を剥がしながら見た画面には依頼内容が書かれていた。『私の妻が不倫しているので、調査をお願いします』と、ご丁寧に写真まで用意されている。


 そこに写っていたのは紛れもなく、稲葉友香。俺の妻であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る