第32話 釣りを毒す

 人知れず大蛇をドン引きさせている間接的公然わいせつ幼児ことナクアはテレビで聞いた中国の古いことわざ『永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。』という言葉を思い出していた。


(ゆーて竿もないし、水もなければ、狙いは魚でもないけど、まあ四捨五入したら完全に釣りだよね。……なるほど……要するにささやかな日常の一コマに本当の幸せはあるってことね。ふふ、かなり奥が深いわ釣りって。)


 そんなかなり浅い思考のナクアはその時、全身で幸せを噛み締めていた。

 薄暗い森、湿った緑の匂い、ティルぴのスベスベの腕、木霊する獣の鳴き声、ティルぴのヒンヤリした腕、さっき食べた芋虫の味、頬を撫でるティルぴの髪の毛、吐息、脈拍、指の形、血管、関節の動き。


「……これが、しあわせ。」

「いや意味分かんないし。ていうか感傷に浸ってるとこ悪いけどガチでウザいからそろそろ離れてくんない? 」


 ティルぴの腕に抱き着いて糸を揺する行為が釣りなのかはさて置き、前世から興味はあったがやる機会がなかった釣りという行為は、かなり誤った認識でうろ覚えなことわざと大して何もしていないのに合致してしまった。付け足すならかまってちゃんな面倒くさい性格もこれに拍車をかけている。


「はあ、あーしがしっかりしないと……」


 そしてティルぴは糸の動きを読み取り、獅子のひどい動きを明確に理解してナクアの躾を今一度固く心に決めた。また先程の様に感情で怒鳴りつける方法は間違っていたと思い、厳しい声色でナクアに探り探り語り掛ける。


「ごほん、ナーちゃん!」

「つれたの!?」

「いや、それは全然だけど……えっと、自分がされて嫌な事は他人したら駄目だから!うーん、そうだな……例えばナーちゃんが真剣に可愛いパンツ作ってる時にさ、あーしが腕に抱き着いて来たら邪魔でしょ?」

「はっ! そ、それってスケスケの??」

「は? えーうん、そう。スケスケの奴。」

「ス、スケスケ……わかった。ごめんなさいママ。これからはきをつけるね!」

「聞き分け良すぎて不安しかないw」


 自分がされて嫌な事は他人にしない。言葉こそ単純だが、これは人付き合いにおいて非常に汎用性の高い価値観といえる。ただ相手との元々の価値基準が全く違うと一切効力を持たない諸刃の剣でもあり、アラクネになってどんどん常識が毒されている地雷女子には暴挙に対する免罪符になりかねない恐ろしい言葉でもあった。


「ママ、つりがんばってね。ナーちゃんはそっちでひとり、いもむしたべてるから……」

「ひとりって……あーじゃあさ、まだ時間かかりそうだし、あーしが釣りしてる間で髪の毛まとめる奴作ってくんない? 最近伸びてきてウザいんだよね。」

「え、ほんと!? つくるつくる!! かわいいのつくるね!!」

「まあ簡単なのでいいから……って聞いてないしww」

「……。」


 名残惜しそうに腕から降りてイジイジと芋虫を食べ始めたナクア。それを気の毒に思ったティルぴの提案で唐突に髪留めの製作が始まった。途端に元気を取り戻し、集中によってみるみるうちに口を尖らせ始めたナクア。その様子に一安心したティルぴは胡座をかいて座り、釣りを仕切り直した。


 ――そしてようやく森に再び静寂が訪れたが、ナクアの心中は決して穏やかではなかった。


(うーん、髪だからリボン、カチューシャ、バレッタ、ヘアカフス、いやターバンとかも良いかも……でも、そうなると寧ろキャップとかも有りじゃない? ニットキャップもいいし、キャスケットとかも絶対似合うよね! いや逆にヘッドドレス、よもやヘッドホン? あえてヘルメット!? ……あっナースキャップだ!! いや、それは流石に……落ち着いてナクア。それもうただのコスプレじゃん。あ、でも異世界だし別にいいのか……うーん、そうだ! こうなったら中国の名前分かんないお団子みたいな奴かッ!! ……ぐわぁぁああ!! 想像のママが可愛い過ぎてもう分かんない!!! 私はどうしたらいいの?! そもそも髪ってなに?? なんで伸びるの?? 時間よ止まれッ(?)!! )


 盛り上がって勝手に迷宮に迷い込んだナクアは厨二病みたいな事を考え始めていた。ティルぴに喜んで欲しい、可愛い姿が見たい、好きという強い思いが溢れ出しいつになく混乱している。

 ナクアは気持ちを落ち着かせるため、細長い芋虫を葉巻のように吸いながら木に覆われた暗い空を見上げた。


(ふぅ、とりあえず種類が多すぎるから流石に帽子系は除外しよう。あと着けるのが難しい奴は駄目かな。サッと使えて持ち運びに便利な奴がいいよね……ヘアゴム……でも色が白一色だから飾りつけてもちょっと淡白だよね。なら……よし、アレにしよ!多分作れそうだし!)


 作る物が決まるとナクアは咥えていた芋虫を口の中に押し込み、蜘蛛脚を広げると糸をシュルシュルと出して細長い1本の伸縮するゴム紐を作った。次によく使うというかまだ生地のレパートリーが少ないため、お気に入りのシアー生地で中に紐を通せるドーナツ型のベースを作る。ちなみにナクアは基本的に縫ったりしない。部分的に粘性を高めて布同士を接着させている。そして先程のゴム紐を通して可愛くクシュとさせれば完成だ。


「よし、シュシュできた!! ちょっとおおきいけど、けっこうそれっぽいじゃん!」


 シュシュは見た通り、薄手の布にゴムを通してシワをつけた装飾具だ。ゴムより髪に絡みにくく、着けるだけで雑なヘアアレンジをそれっぽく見せるアイテムとしてよく知られている。

 また手作りシュシュはハンドメイドの中ではかなり初心者向けの部類である。我流だが複雑なパンツを作ってきたナクアにとって今更この程度のアイテムは構造さえ理解していればお茶の子さいさいだった。とはいえ髪留め迷宮を含めて30分程時間は経過している。


「ママぁ!! シュシュできたぁ!!」

「シュシュ? なんか変な名前だけど可愛いじゃん!! ……あー、いまヒットしそうで手離せないから髪お願いしていい?」

「いいけど……って、えぇ!!? ヘビつれそうなの!?」

「声でかww うん、ほら糸揺れてるっしょ? 今かなりキてるわ。激アツ。」


 胡座のまま淡々と話すティルぴの言葉を受けてナクアが森に向かって伸びる縄状の糸をよく見ると確かにピクピクと糸が振動していた。


「ほんとだ!! ねぇねぇナーちゃんもひっぱりたい!! やらせろ!! あっ間違えたww させて!!」

「やらせろwww いいけど、まだ完全かかってないんだよね。全部飲み込んだら引っ張るから、その間に髪やってくんない?」

「うん、わかった!」


 釣りの経験がないナクアは揺れる糸に興奮状態のままヘアアレンジを開始した。まず手が塞がるのでシュシュを腕や足、蜘蛛脚に着けようとするが大人サイズのため上手くいかない。悩んだ結果、一旦自分の頭にシャンプーハットの様に装着する。


「ブフォ!!……ナーちゃん笑わせないでwww」

「これはマジなの! わらうな!」

「無理無理www その真顔やめてwww」


 ワシャワシャと笑いを堪えるティルぴの肩までよじ登り、頭に抱き着く形で手を使って髪を後ろに束ねるナクア。当然、両手は髪を束ねるために塞がっている。そしてここに来て自分の頭のシュシュを外す方法が分からずしばらく停止するナクア。


「いや、なんでその状態で止まってんのwww はやくしてくんない??」

「うるさい! いまかんがえてんの!! あっ――」

「ていうか蜘蛛脚使えばいいんだって。」

「ちぇりゃあああ!! いまやろうとしてたの!! いわないで!!」

「そんくらいで殴んなよww」

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