第20話 生地を毒す
「きしぇええええ!!」
「す、すごいスピードでパンツが出来てる!!それにこんなにきめ細かくて綺麗な生地見た事ないよ!!」
パンツを観察して満足したナクアは奇声をあげながら猛スピードでパンツを作成していく。リーチェの声も届かない程すでに口を尖らせて集中モードに突入していた。
補足するならナクアも含めて趣味で服作りをしている人と言えど糸を織って生地・布から作ったりはしない。というか一般家庭では出来ない。勿論、毛糸からセーターを編んだり、手織り機を使って布を作る事は出来る。しかし現代人が着ているデニムやTシャツ、まして下着を本当に一から作るなんて機械を頼らないとまず不可能といって差し支えない。
かなり大袈裟になるが手織りの参考に京都の伝統工芸品 西陣織、その中でも手作業で紡ぐ最高峰の西陣爪掻本綴織を例にあげよう。
西陣織は、まず手書きで図案を作り、先染めのため図案を元に糸の染色、そして自らの爪をノコギリの様にヤスリでギザギザに刻み、爪に捉えた横糸1本1本微調整して柄を造り製織を行う。この作業は柄にもよるが熟練の職人でも1日1cm²程しか織れないと言われていて素人には到底真似の出来ない領域だ。
当然、よくある無地の織り布と西陣織を比べる事は出来ないし、糸を編む生地とは工程も違う。しかしコンピューター制御された編み機、織り機なしで質の高い布を作る事はそれくらいに途方もなく困難な作業だと理解してもらいたい。
ではなぜナクアは紛いなりにも高品質のパンツを奇声を上げながら編めるのか。それはアラクネの特質や魔力が関係しているが、詳しく知るにはパンツ修行の初歩に遡る必要がある。
――数時間前 ナクア夢空間にて
ジョリーンとの修行はナクアがそこそこ魔糸を使いこなせる様になると講義に移行していた。ジョリーンは黒魔法少女の姿で椅子に目いっぱい腰掛けてふんぞり返っている。
「えー、まず最初に言っておくと異世界自体にはシルクや綿の布は存在するけど、あの世界のアラクネに布を編んだり織ったりする概念はないわ。」
「ふーん、そうなんだ。……ん?じゃあ、ティルぴのあのモザイクパンツって何なの? 確かに布ではなかったけどやっぱり幻覚??」
「そうね、幻覚なら良かったわ。……まず現代も同じだけど、基本的な布の作り方は大きく分けて3つ。縦糸と横糸を交差させる"織布"、輪っかを作ってそこに糸を通す"編布"、そして繊維を不規則に重ねた"不織布"があるの。この中でアラクネが使っているものは不織布に1番近いわ。わかる?」
「うん、あれでしょマスクのやつ」
不織布はその名の通り、織らずに作った布を指し現代では一般的に大量生産に適した安価なものとされる。身の回りでいうとガーゼやフィルター、おしぼりやマスクなどに使われていて、フェルト生地も不織布に入る。欠点として強度が弱い点が上げられる。
ただその強度に関してはアラクネ製の不織布の場合、糸単体よりかなり落ちるがそれでも鉄に匹敵する強度を持っている。
「アラクネの不織布を私の中でレベル分けすると3段階あって、まずレベル1はいわゆるモザイクプレート。作り方は1度出した糸を体外で溶かして薄く固めるだけ。当然ティルぴのR18モザイクパンツもこれが原料ね。アラクネなら子供でも出来るけど欠点は、1度糸として出しているから形状、性質変化に限界があって例のツルッとしたプラスチックみたいな質感になる事ね。でも再利用だからSDGsって感じで今っぽいでしょ?」
「あーはいはい、でもそうやってモザイク作ってたんだ。」
アラクネ不織布は現実世界でいうとEVA (エチレン酢酸ビニル共重合樹脂)に似ている。よくレインコートやビーチサンダルに使われている素材だがアラクネの糸が原料のため、耐熱性、耐久性が高くスペックでは大きく上回っている。ただEVA同様に吸水性、通気性は悪く、元々汗をあまりかかないアラクネでないと下着として使う事はオススメしない素材だ。
「レベル2は
そう言ってジョリーンは蜘蛛脚から蜘蛛糸で指先程の玉を作り、適当に近くの地面に飛ばすと下に触れた瞬間、玉が弾けて円形に蜘蛛の巣が広がった。
「それティルぴがしてたヤツ!私もしたい!」
「これは網糸に片面だけ粘着性を持たせて球状に成型する技ね。それで、この網目を限界まで詰めると……こうなるわけ。」
「えっ!? これ普通の布だよ?」
「魔糸で重量や質感、透過率を弄ってるからね。どうしても多少のっぺり感は出るけど技術さえあればパッと見は分からないわ。」
ジョリーンが出した白い布は高級感漂う光沢を放っていて手触りも柔らかく滑らか、一見してシルクのハンカチだが確かにじっくり見て触ると織目や網目がなくアニメや漫画の2次元の素材が実体化した様な違和感があった。
「すごいねコレ!言われないと気が付かないかも……でも最初に出したパンツとは違わない?」
「あー、あのパンツはレベル3。私しかやってる人いないんだけど、網糸布の完全制御紡編織ね。ただナクアには魔力的にまだ無理。だからこのレベル2をマスターしてもらって、装飾のレースや切り替えの練習をしてもらうわ。」
「えー私もジョリーンみたいにレベル3がいい!」
「ふふふ、私は更にその2つ上のレベルまで可能よ。前人未到のレベル5ってやつね。……まあレベル3ならもう少し成長すれば出来るわよ。とりあえず、これとこれで勉強ね!」
そういうとジョリーンが何処からかちょっぴり汚れた「実物付き! 知られざるパンツの世界 完全版」というパンツが1ページごとに挟まっている巨大な本と手芸用の数本の針を取り出した。
「デカ!!……え、これどうすんの? 」
「正直言うと網糸布自体はそんなに難しくないのよ。大事なのは質感や風合いに対する詳細なイメージと知識。今はとにかくパンツを知りなさい。触ろうが被ろうが舐めようが一向に構わないわ!網糸布でイメージを形にしながらひたすらにパンツを感じるのよ!!」
「――ッ!!」
「そしてパンツ以外は最早雑念よ!精神を研ぎ澄ましなさいナクア!パンツ、パンティー、ショーツ、イエーイ!!」
「イ、イエーイ!!!」
こうしてこの世界にパンツ狂という雑念の塊が誕生した。――そして時は進み現在、洞窟は混沌を極めている。パンツを拵える幼児とそれを応援する子供。肉の調理を巡り言い争う女性達に毒々しい魚を味見して白目を剥く女。そこには"風邪の時に見た夢"と言われた方がまだ納得出来そうな光景が広がっていた。
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