第9話 ハイハイを毒す
(この黄色と白の魚、レモンバターソテーっぽい味がする!! このドロドロでトゥルっとした喉越しがまだ慣れないけど、確かにこの食べ方でしか摂取できない何かを感じる。味のベースには必ず酸味があるけど……癖に酸っぱさで控えめに言ってかなり美味い!!)
ナクアは完全に蜘蛛の食べ方にハマっていた。
食感は同じだが、味はバリエーションに富んでいて逸品料理の様な複雑な味わいがあり、中にはプロが監修したのではと思う程の完成度の魚も存在していた。そして尚且つ、啜るという品性の欠片もない食べ方が背徳感というスパイスとなって気分を高揚させ、味を1段階は跳ね上げていた。
「ナクア食べ過ぎっしょwww ハマりすぎwww ていうか、お腹壊すからもう食べるの禁止!」
「だっておいしいから……このさかな、もとからこういう、あじなの?」
「あー、違う違う。普通に食べたら生臭くて食えないしww ていうか、こんなの毎日食べてる人間味覚バグりすぎwww 」
「そうなんだ。…………ちゅー」
「ってまた食ってるし! もうそれで本当に最後だからね! ……ナクア、返事はッ!!」
「……はい。ごめんなしゃい。」
味が変わる理由はアラクネの消化液にある。消化液に含まれる独自の消化酵素と魔力によって体内組織を溶かすと同時に旨味を引き出しつつ、全く異なる味に魔科学変化していた。またネクアが指摘したベースにある酸味の正体はこの消化液で、これがハマる要因でもある。後を引く酸味が爽やかな後味を演出し、更なる食欲を刺激する。
ナクアは既に小さい魚を5匹も食べていて満腹感はあったが、食べる度に新しい発見がある為止められなかった。きっとティルぴに叱られなければ、お腹を壊していただろう。またナクアは面と向かって怒鳴られた経験が無かった為、不謹慎にもキュンとしていた。
「ナクアまじで食べ過ぎだから、ここで脚使う練習するよ。」
「えー」
「なんか聞いた話によると子供の頃に太ると一生太り易い体質になるらしいよ。あとアラクネはデブ多いし。……知らんけど。」
「やります!!」
1度捨てかけたがナクアは前世も今世も正真正銘の女の子。もし世界から何かを無くせるなら戦争でも、差別でもなく、迷わず「太るという事象」を消してと願う彼女にとって、そのワードは浮かれていた気持ちを現実に引き戻す果てしないパワーを秘めていた。
ナクアの気持ちのいい返事を受けてティルぴは、糸を使って即席のマットをつくりその上にナクアを座られた。
「とりあえず、背中の脚開いてみ! ゆっくりでいいから!」
(確か、端から根元に向かってこうやって……おっイケそうな気がする!魚いっぱい食べたからか調子もいい!)
背中の纏まっていた蜘蛛脚がまるでサナギから蝶に変化する時の羽根の様にゆっくりと広がり遂に6本の蜘蛛脚がその全貌をみせた。
「かっこいいじゃん! あーしと互角って感じ?」
「わたしもみたい!」
ナクアは急いで地底湖のほとりまで移動して水の反射を利用して容姿を確認する。そして今更だが初めて今世の自分の顔を見た。
顔はティルぴにそっくりの整った顔で前世と比べても遜色はない。ただ髪の毛は黄色い金髪に暗めの銀メッシュというバンギャ風ショートカットで中々パンチが効いていた。しかし、ナクア的には全然アリだった。
問題の蜘蛛脚は金属の様な質感の艶やかな黒と黄色の細い脚でまさに女郎蜘蛛の色彩だった。
(蜘蛛脚カッケェ! ていうかめっちゃ良くない? 髪の毛も女郎蜘蛛っぽくて良き!! でもやっぱりもうちょい髪は伸ばしたいよね。うーん……ここ寝ぐせってるな……ここもなんか気になる。)
「あーしもここ跳ねるんだよね。ダルいわ。」
「それな。……わたし、まえがみへんじゃない?」
「あー実はずっと思ってたwww 短くて若干浮いてるよねwww」
「はよいえ」
ナクアが無言で水面を見ながら髪の毛を弄っているといつの間にかティルぴも隣で髪を直し始めた。息を呑む幻想世界でまるで高校の女子トイレの様な会話をするアラクネ親子。見せる相手はいないがそれはそれだ。いつまでも可愛く綺麗で在りたいという心は全ての女性の共通テーマである。
――身嗜みを整えて漸く始まったハイハイ練習は髪が乱れる間もなく終了した。ナクアは運動音痴だがそれは前世の肉体が大きく起因していた。むしろ走るフォームや投球フォームなどは完璧だったがとにかく生まれつき筋力、体力、瞬発力など全てが低く、見掛け倒しなどと言われる事が多々あった。
そんなナクアがフィジカルの弱いネフィラ種とはいえよく知る蜘蛛に近いアラクネの肉体を手に入れた結果、縦横無尽にワシャワシャ高速移動する赤ちゃん怪異が爆誕した。
「やるじゃん! ていうか短距離ならあーしより速くない?」
「こうやって、とびばこをとぶとき、みたいにするとはやいよ。」
「とびばこ?ってのは分かんないけど、確かにその方が速そうかも。試しにあーしと追いかけっこでもする? 勝ったら夜ご飯はとっておきの魚捕まえてあげっから!」
「のった!」
ナクアはティルぴから教わった蜘蛛歩きを瞬時に理解し、更にチーターの様に全身のバネと手足、蜘蛛脚を上部と下部に分けて伸びと収縮を繰り返すオリジナル走法をたった数分で編み出していた。
しかし追いかけっこはティルぴの圧勝。オリジナル走法も一瞬で看破され、まさに手も脚も出ないという状態だった。
――2人が追いかけっこしている最中、森の中でも追いかけっこをしている黒いマントの一団がいた。中央を守る様に円形の陣形で走る一団はよく見れば全員女性で構成されていて尚且つ中央にいる女性は子供を抱き抱えていた。
「チッ、コイツら執拗い! 私たちが諦めるのを待ってんのか?」
「森に入った時から捕捉されていたんだろう。逆に他の獣や蟲から襲われなかったのはコイツらのお陰だ。感謝しなくてはな……。」
「どの道食べられるなら変わりませんよぉ!」
その一団を追いかけるのは体高が1メートルを超える黒い狼の群れ。一定の距離を保ちながら体力を奪い徐々に獲物を追い詰めていく。そして一団を何処かに誘導する様に囲みながら度々威嚇する。
「駄目、やっぱり探査魔法が使えない。あとどれくらい走れば森を抜けられるのよ!時間もわからないし!」
「……不気味な所です。」
この森は一度踏み入ると魔力の高い土や木々によって方向感覚を奪われ戻れなくなる。目印なども蟲達が縄張りを主張するため直ぐさま掻き消す。また日が差し込まず昼夜の感覚が麻痺し、時計、魔道具の類いも魔力障害で役に立たない。
そしてこの事実は森の外に住む者は誰も知らない。何故なら今まで入った者で生きて出てきた者はいないからだ。
「やはり森に逃げたのは愚策でしたか。皆さん、すみません。判断を誤りました。」
「いえ、あの状況ではこうする他なかったです!! あんな手練の集団では勝ち目はありませんよ。それに――。」
「それ以上は言うな!とにかく今は逃げるしかあるまい!」
「――はい。」
彼女たちの日程は全て機密情報になっている。今回は初の王女個人による国内視察という事で特に厳重な情報規制をしていた。ルートは彼女たち王宮特殊女性部隊メンバーと軍部総司令官、宰相、国王と妃しか知らず、影武者や追跡魔道具、定時連絡、予想しにくい不規則なスケジュールなどを組んでいた。にもかかわらず待ち伏せ、特定の魔道具妨害、秘匿回線の傍受、虚偽の申請書などで知らぬ間に完全に孤立させられ、最後は無人の平原で大型魔道具の実演を騙る商人風の一団から強襲され、何とか逃げ込んだ先がこの森というオチだった。
そして、こうなると考えられるのは王国内の裏切り者だ。もっと言えば一緒に行動する部隊内の裏切り者。しかしこの状況下で、もし仲間割れが起きれば生存できる可能性は確実に無くなるだろう。そして全員がそれを理解し協力しようと模索していた。
(……くそッ、よりにもよって森に入るなんて――)
ただ1人裏切り者を除いて。
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