第8話 お魚を毒す
そこは地底湖と言うにはあまりに美し過ぎた。水底を埋め尽くす魔光石の光が水面を青く輝かせ、一切の濁りなく透き通る水は、多種多様な彩りで目を楽しませる異世界の魚をありのままに映し出していた。
そして反射した水面の揺らめきが岩肌を照らし、天井に散らばる魔光石と合わさってまるで幻想世界に迷い込んだ様な絶景がそこにはあった。
「ほら、マジやばいっしょ!」
「……。」
「あれ? そうでもなかった?」
ナクアはその光景に思わず息を呑む。もしこの世に魚達の楽園があるならきっとここに違いないと密かに確信した。前世でどんな絵画や風景を観ても特に感動しなかったナクアだったが、別次元の絶景に胸の内から感動が押し寄せる。そして子供の体のせいか理性が追いつかず、こらえる間もなく数秒で涙腺が崩壊した。
「びええええええええん!!」
「えっ何、どうしたの!? って冷たッ! ま、まさかマジでお漏らししたの!? ていうか、顔に飛ぶってどんな体勢の放尿??――ちょっと痛いって! 頭殴らないの!」
「うぅ……びええええええええ!!」
ティルぴの頭にしがみついて号泣するナクアは返事も出来ず泣く事しか出来ない。とりあえずお漏らしでは無い事を説明したいのかティルぴの頭をポカポカ殴っていた。
――ナクアが漸く泣き止むと、元々の目的である朝食の確保のためティルぴが肩車のしたまま浅瀬に入り、目にも止まらぬ速さで20センチはある白と黄色の魚を手掴みした。
「すごーい! なんてさかな?」
「知らねwww でも味はそこそこだしオススメ。」
通常の地底湖にいる魚は紫外線の無い環境や周りの暗い岩肌から保護色としての機能も必要ないため南国にいるカラフルな熱帯魚とは違い、暗い色彩になる。しかし魔光石の明かりと魔力による独自進化によって地底湖という限定空間に特殊な生態系が完成していた。
その後もポンポンと魚を手掴みしていき、10匹ほど捕まえると水から上がってそのまま湖畔に腰掛けた。
「さかなどうたべるの?」
「どう? このままだけど??ガチ新鮮だから美味いんだよね!」
「さしみってこと?」
「さしみ? 知らんけど、あーしはこう食うんだけど?」
そう言って躊躇なく魚の腹に齧りつくとそのまま噛み切ることも無くその状態で固まり、しばらくすると魚がみるみる小さく萎んでいった。
「くもじゃん」
「はあ?今更何言ってんの??」
それは正しく蜘蛛の食事法。蜘蛛は固形物を食べる器官がないため獲物を捕らえた後、内部に消化液を流し込み中身を溶かして啜るというかなりショッキングな食べ方をする。一応アラクネは固形物も食べられるが意外に啜る派が多数で、調理したりする者は変わり者扱いされる。
そしてナクアは若干引いていた。現代人として常識が中身を溶かして啜る食べ方を自然に拒絶してしまう。
あちらの世界にも珍味としてエスキモーの伝統料理にキビヤックというものがある。海鳥を開いたアザラシの腹に詰め込み、土に埋めて発酵させたもので食べ方が排出口に口を付けてドロドロに腐った内蔵を啜るという聞いただけで潔癖症なら卒倒しそうな料理だ。それに比べれば自分で溶かして自由に啜れる分、難易度は低いかも知れない。だが選択出来るわけでもないなら実際にやるハードルにそこまでの違いは無いだろう。
「ナクアも食べてみ?絶対ハマるから!!」
「わたしまだ、おちちしか……」
「いや、普通に食えるでしょ? 歯も生えてるし1回やってみなって!」
「うーん……」
ナクアは以前から蜘蛛好きとしてこの食事法に興味があった。何ならちょっと美味しそう位に思っていたが実際目の前で啜る所を目の当たりにしてカラカラになった魚の残骸を見ると躊躇してしまう。
それはきっと人として、女の子として超えてはいけない一線。得るものは多いが、決して戻ることの無い何かを同時に失う予感。しかし揺れ動く少女の天秤は、好奇心には叶わなかった。
「たべてみる!……ちっちゃいの」
「よく言った! さすがあーしの子! じゃあお母さんが取ってきてあげるから待ってろな!」
そう言ってティルぴが再び湖に入り、ナクアが気持ちの準備をする暇も与えない数秒で小魚を2匹捕まえて持ってきた。小魚は同じ種類で10センチくらいのイワシ程の大きさだが、毒々しい赤と紫と水玉模様で地球の知識なら絶対に食べてはいけないタイプの色彩だった。
「こいつちっちゃいけど美味いから! あーしの真似して食ってみ? ほらほらほら!!」
「あ、じぶんのぺーすでやります」
「超クールwww あーしがバカみたいじゃんwww ……マジこいつ美味!デザートにピッタリだよね!」
(いやいや、こんな魚食べて平気なわけないじゃん!!ていうか、これで毒持ってないなら逆にキレるまであるわ!……でもティルぴが美味しいって食べてるし、デザートって事は甘いのかも……そう思うとイチゴとブドウのケーキに見えなくもないかも――よし!)
意を決して噛んだ感触は正しく魚。まずヌメリと鱗のザラつきを感じる。だが不思議な事に生臭さを感じない。それこそフルーツに近い甘い香りすら感じる。そのままピチピチと暴れる魚に歯を突き立てるとムチッとした食感の後に魚の味と自分の歯から何かが流れ込む感覚を感じた。するとすぐに魚の動きが止まり、次第に中身が柔らかくなって水風船の様な独特の感触に変わる。
1度心で深呼吸してからちょっとだけ啜ってみるとゼリー飲料や果肉入りジュースを彷彿とさせる細かい弾力のあるモノが混ざった液体が流れ込んできた。
(うわ!! 何これ、新感覚の食感!!それにこの味は……うわ、アレだアレ、えっと……あのアレ!名前思い出せないムカつく!! ジャムの酸っぱい桃っぽいやつ!アレを魚料理と合わせました、みたいなちょっと気取った味がする!)
「ここまできてるのに!」
「えっナクア大丈夫? 美味しくなかった??」
「もうあじとかどうでもいい。」
「何でそうなんの!?」
味が気になるナクアは魚を取り憑かれた様に夢中で啜り、人、女の子としての意地を捨てたが如く、魚を抱き締めながらあっという間に完飲していた。
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