第6話 名前を毒す

 お乳を頬張りお腹いっぱいになったナクアは母親に添い寝してもらいながらお話していた。ピロートークというとお乳の手前語弊があるが、ナクアは気になることをとりあえず聞いていく事にする。そして、まず何よりも最初に聞きたいことがあった。


「おかあさん、なまえなに?」


 好きな人の名前を知りたい。それは恋愛のスタート地点。アレだけお乳を吸っておいて何だが、ナクアはまだそんな初歩の初歩である地点にすら辿り着いていない恋愛ビギナーだった。


「あーしの名前? 無いけど。ていうかアラクネにそういう文化ねぇから。まあ一応ランチュって呼ばれるかなww」

「らんちゅ?」

「タランチュラ種ってこと。あーしは可愛くないからセルフでランチュって呼んでんのww でもそしたら仲間もランチュって言い出しててウケたわwwww 」


(アラクネの中にも種類があるんだ。確かにちょっと可愛いけど名前じゃないし……それに私のことはナクアって呼んで欲しいよね。えへへ、よし!立場逆だけど私がお母さんの名前を付けよう!!)


「おかあさんの、なまえ、つけてあげる!」

「そマ!? あーし、自分の子に名付けられるん?? オモロwww イイよつけちゃって、可愛い感じでよろ!」


(……いいんだ名付けて。とは言えどうしよう。私ってネーミングセンスないし、外見から何か……あっいま目合った!超可愛いすきすき!!――じゃなくて黒い甲殻に赤茶っぽいのファー、もしかしてローズヘアー・タランチュラかな。だとしたらローズとか?ちょっとダサいかも……髪の毛は黒とピンクのグラデーション、ちょっとアンティルピンクトゥーみたい。……うん、なんかギャルっぽいしこれにしよ!)


「てぃるぴ!」

「はあ、ティルぴ?優勝なんだけど!!ていうかあーしの子、天才かよ!!脳内にティルぴガンジしたわwww 」

「よかった。わたしは、なくあっていうの」

「って自分の名前まで決まってんのかよwww 転生してんの自分‪w‪w‪w‪‪」


(うっ、ギャルのくせに意外と確信を着いてきたな。……どうしよ、言うべきだろうか。でも変に警戒されたり嫌われたりしたら嫌だし。……でもでも、結局いつかは明かさないとだよね。なら早い方がいいかも。よし!!)


「そう、わたし、てんせいしてるの!」

「マ?? あーしの推理力ヤバない?」

「……がっかりした?」

「はあ?なんでだし? むしろあーしの子なら転生して然るべきっしょ。それに賢くて話せるしラッキーじゃね? あと可愛いし面白いし、もっと好きになったまであるわwww ……逆にナクアは嫌じゃないの? あーしこんなだしさ、なんていうかお母さんって感じじゃなくね?」


 急に語気が弱くなり明らかにナクアから目を逸らすティルぴ。だがそんな変化など気付かずあっけらかんとナクアは答える。


「ううん、やさしいし、かわいいし、てぃるぴがおかあさんでよかったよ。」

「――ッ!!え、なんかあーしのこと泣かそうとしてる?あ、赤ちゃんでそういうのナシっしょ!あ、有り得ないからマジ……うぅ、うああああああん」


 ナクアの意を決した告白もティルぴには割とどうでもいい事だった。何はどうあれ初めての子供が無事に産まれてくれただけで十分すぎる程満たされていたし、前世なんて些細な特徴くらいに捉えていた。何より一生懸命話してくれる子供の可愛さはティルぴの秘めたる母性を覚醒させるには十分な破壊力だった。

 それよりもティルぴは自分が母親に向いていない事を誰よりも意識していた。ここ1週間ろくに寝ておらず所謂マタニティブルーで1人不安に押し潰されそうな日々を過ごしていた。当然だ。命を育むとは生半可の事では無い。まして出来の悪い末っ子で半ば無理矢理群れから追い出され、2年近く1人で頑張ってきたティルぴにとって大切な娘の優しい言葉は筆舌に尽くし難いものだった。


「うぅ泣かすなよ……で、でもナクアは流石にあーしの乳吸いすぎな。あっまさか本当に前世ソムリエ?」

「それは……わすれて」


 ちなみにナクアは無我の境地に達した弊害で10分近く我武者羅にお乳を吸いまくっていた。あまり追求されたくない話題を躱す為ナクアが新たな質問をする。


「ここってどうくつなの?」

「そう!ここはあーしが見つけたヤバイ洞窟で奥に地底湖とかあるし、魔光石も沢山あっからマジ神なんだよね。」

「まこうせきって、あのひかってるいし?」

「そうそう、魔力が溜まってる所に出来んだけど、近くいるだけでアガるし、灯りにもなってマジパ(マジックパフォーマンスの略、魔力使用効率がいいという意味)最強みたいな。」

「まりょく? まほうがつかえるの?」

「うーん、魔力っていうのはその場のノリっていうか……ハイな感じで滾る雰囲気?魔法ってのはよくわかんないわ。ていうかコレが子供のなぜなぜ期ってやつ? しんどwwww」

「ちがうわ」


(まあ難しい事はあとでジョリーンにでも聞こ。……あと触れてこなかったけど一応アレも聞くか。)


「あらくねは、ふく、きないの?」

「服? 着ない着ない!脚で隠せば大丈夫っしょ! ていうか服とかダサすぎて無理なんだけど。あと汚くね? あーし潔癖だからちょっとでも汚れてたらポキり(ポイズンキルの略)そうになんだよねwww」

「そうなんだ。……ちなみに、ぱんつは、はいてるの?」

「あー、それは――」


 ナクアの言葉にティルぴが横向きに寝ながら妖艶な笑みを浮かべて足の付け根に巻き付いている蜘蛛脚をゆっくりと動かす。徐々に覗く肌色にナクアが目を見開いて口をあんぐりと開けていると、突然今まで洞窟を流れていた小煩い風が一瞬止んだ。


「フフフ、アラクネはパンツをはいてい……」

「こ、これは――ッ!!」



 ――アラクネがパンツを穿いてるのかはさておき、ナクア達がいる洞窟、その所在地フォビアの森の外縁ではとある事件が起こっていた。


 そこは鬱蒼と茂る木々によって陽の光は遮られ、昼間でも夜の様な暗さで来る者を拒み、そして夜になれば凶暴な獣と蟲が跋扈する国によって立ち入りを禁じられた特殊一級危険地帯 フォビアの森。アラクネ伝承の舞台としても有名でこの国に住む者なら知らぬ者がいない禁忌の場所だ。


 そんな森の外縁には複数のテントと華やかなローブを着崩した男達が篝火の明かりに照らされていた。皆、穏やかに食事をとっているが時折鋭い眼光で周りを気にしている。

 そして1番大きなテントに1人の男が小脇に紙束と手に食事を2つ持ち、開け放たれた入口で軽く会釈するとそのまま中に立ち入った。


「失礼します。食事です。」

「ああ、ありがとう。……で標的はこの森に入ったとみて間違いないのか?」


 男が食事がのった皿と紙束を椅子に座る髭の生えた眼帯の男に手渡し、言葉を交わす。


「外縁部周辺を調査した所、迂回した痕跡を見つけられませんでした。連絡の途絶を考えてもほぼ間違いなく標的は森にいます。……どうしますか?。」

「どうもこうもない。自ら死地に行く馬鹿を追い掛けて巻き添えなど御免こうむる。はあ……しかし本人か証拠の提示が依頼者からの要望だ。今は獣に跡形もなく喰われてない事を祈る他ないな。」


 そう言って眼帯の男は開いている出入口から不気味な深い森を一瞥すると紙束に目を落とす。不規則な文字列の書かれたその束をパラパラと捲り、間に挟まった黒い便箋に触れると1度深い溜息をついてボヤく様に話す。


「……しばらくこのまま地質調査団を演じ様子を見る。2日待っても奴らが出てこないなら、日中森に突入する。あとアイツらに夜間は森に近付くなと通達しておけ……邪な雰囲気を感じる。」


 ただ1人その男だけは森の外縁からナクア達の熱狂的パンツ論争を確かに感じ取り予言していた。

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