第5話 お母さんを毒す
母親が狩りに向かった後、ナクアは程よく揺れるフィット感抜群のハンモックでウトウトしていた。肉体は2歳程度とはいえ生まれたてのナクアは体力も少なく卵嚢から出るためのエネルギーでかなり疲労していた。
『ナクア、聞こえますか。私です。アトラク……ジョリーンです。』
すると微睡みにいるナクアの脳内に聞き覚えのある声が響く。
(あっジョリーン! ちょっと酷いよアレは!痛かったんだからね!)
『……えっ、なんの事ですか? それよりあなたはどうやって異世界へ?? 自力では不可能だと思うのですが? あと私いつから寝てました??それに部屋もめちゃくちゃで――』
(覚えてないの!? 酔っ払って私の事を暗黒空間に張り手で突き飛ばしたじゃん!)
『わたしが?? ……それはちょっと、プッ……頭大丈夫ですか??』
(ムカつく!! なんで覚えてないの!? 私ストレスで胃に穴があくかと思ったんだけど!!今もちょっとジョリーンの事キライだし!こんな事ならコーヒーなんて飲ますんじゃなかった!!)
『何を怒っているんですか?コーヒーって……この部屋にぶち撒けられた黒い汁ですよね。そういえばコーヒーの話をした辺りから記憶が抜け落ちてる様な……』
その後、ナクアが懇切丁寧に起こった事を説明した。序盤のコーヒーでシャンパンタワーを作ったりはまだマシだった。お尻の糸を出す部分を至近距離で見せて下ネタを連呼したり、ナクアの体をベタベタ触って匂いを嗅ぎ『あっナクアちゃん今日体育だったぁ?』とニタニタ笑ったりと思い出すだけで鳥肌ものの出来事を話すと徐々に思い出したのか最初は笑って聞いていたアトラクが無言になった。
『本当に申し訳ございませんでしたッ!!!コーヒーでああなるとは思わなくて……許して下さい。あと秘密にして下さい。お願いします。』
(まあ無事に転生出来たのでいいですけど……それより私ってこれから何かしないといけないんですか?)
『ありがとうございますッ!! ――ナクアにして貰いたい事はその世界でアラクネとして暴れて認知度を上げて欲しいの。蜘蛛に対する関心が私の力を支えているから、ナクアの世界でいうニューヨークの蜘蛛男みたいな感じでお願い出来るかしら?』
(無理無理!!わたし運動音痴だしそういうの出来ないって!!困るよ……)
『そうなると地道にやっていくしかないわ。とりあえず何百年掛かっても認知度を上げてあなたの因果を改変するエネルギー分は貯めて貰わないと結局は現世に戻った時に死んじゃうし……ごめんなさい、あなたなら軽いノリで引き受けて余裕でこなせるとばかり……過酷な運命を与えてしまって申し訳ないわ……でも私もアドバイスするから大丈夫よ!!安心してナクア!!』
さっきまでとは打って変わって深刻そうな声で話すアトラク。ナクアは所詮17歳のか弱い少女。いくらスペックやバイタリティがあっても、この危険な世界でいきなり赤ちゃんでアラクネは無理があったとアトラクはここに来て漸く気がついた。
死の因果が確定したと知りナクアを暫く観察していたアトラクは彼女に大きな可能性を感じていた。揺るがない心、明晰な頭脳、美しい容姿、そして蜘蛛への深い愛。この子なら異世界でも必ずやっていけると確信していたが、それは主観混じりの希望的観測だった。そんな自らの過ちを反省するアトラクに悲壮感の欠けらも無い声が届く。
(いや、別に現世に未練とかそんなないし、役目ないなら良いんだけど。それにあっちに戻るよりこっちで何百年もアラクネとして生きられる方が圧倒的最高じゃん!!楽しみぃー!!フゥー!!)
『こいつの順応エグち!!』
――アトラクとの脳内会談を終え、ナクアが目を覚ますとギャルな母親が無言で優しく頭を撫でてくれていた。ぐるぐる巻きの糸も無くなっていてお腹にはふかふかのファーみたいな蜘蛛脚が優しく添えられている。
(なんだろうこの気持ち……。)
ナクアの母親は蜘蛛に関する研究職で家に帰らない事が多く、超個人主義の変わった女性で決して馴れ合わない特殊な親子関係だった。
例を挙げるなら家具から消耗品まで個人専用の物があり、掃除、料理、洗濯なども個人で行う。家庭内別居といえばいいのかとにかく不思議な親子だった。だが一緒に別々のご飯は食べるし、一緒に別々のテレビを観るし、一緒の部屋で別々のベッドで寝るなど家にいる時は常に一緒にいてめちゃくちゃ仲が良い。ある種、個人を尊重し自主性と個性を伸ばす独特な子育てといえなくもない。そして結果的にナクアは早々に親離れをしていてハイスペック地雷女子が完成した訳だが、だからこそナクアは逆にこういう構ってくれる母親に新鮮な気持ちを抱いていた。
(なんかうちのお母さんよりお母さんっぽい。見た目ギャルだけど……あっ蜘蛛脚動いてる……ヤバ、どうしよ。……しゅき。)
そして密かに枯渇していた母性に対する渇望は、蜘蛛ブーストによって一線を通り越して恋愛感情に昇華していた。それに幾ら今世で母親とはいえ前世記憶があるナクアにとって目の前の女性は可愛くて優しい理想的なアラクネギャルでしかない。そして尚且つコレがナクアにとって初めての明確な恋愛感情で地雷系の真価が発揮される条件が遂に揃ってしまった。
「あ、やっと起きたし、ていうかお前寝すぎなwww 赤ちゃんかよwwww」
「うん、おはよ」
「いや、もう夜なんだけど。とりま寝起きで乳いっとくっしょ? 迎え乳的なwwww」
「――ッ!!」
そんな意味不明なことを言って、当然だが何の躊躇いもなく胸をさらけ出す母にナクアは反射的に目を瞑る。気まずさ、恥ずかしさ、色々な感情の濁流で混乱するナクアの口に何かが侵入してきた。
(何これ!? これは……もしかして……ハードなグミ!? そう、ミルク風味のハードグミに違いない!!ていうかグミだと思わないと正気を保てない!!目を閉じて耳を塞げ、そして心を無にしろ!! 煩悩を捨てろナクア!!)
「ブハッ、赤さん目つぶって耳抑えながら吸っててマジ上級者www 乳ソムリエかよwwww」
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