第一章 ~紅の幻影~
第16話
「……」
私はその光景に見惚れていた。
いつもの夢。いつもの森。いつもの暗闇。
そして、普段と違う憧れの人の姿。
漆黒の外套で身を隠し、森の中を歩いていただけだったのに今日の夢はいつもと違った。
(なに、これ……)
彼、もしくは彼女は滑るように森の中を駆け回り、何かを追っている。視線の先に何がいるかは不明。しかし、確実に目的があって移動している。
なにより、憧れの人の手には青白く光る得物――弓と思わしき武器が握られていた。しかし、肝心の矢はどこにもない。あれでは戦うにしても矢を射ることはできないだろう。
彼、もしくは彼女は地面を蹴り、木の幹を駆け上って枝から枝へと跳び移り、とにかく森の中を疾走する。それを私は背後霊のように追いかけ、電車に乗りながら外を見た時のように木々が後ろへと流れていく。
(あっ……)
不意にその人は足を止めた。そして、その直後、凄まじい轟音と共に地面が揺れ、木の枝の上に立っていた彼、もしくは彼女はその場で片膝を着いて転倒を免れる。
(いや、違う)
転倒を避けたのではなく、ただ攻撃するために態勢を変えただけ。流れるような動作で弓に
先ほどまでどこにもなかったはずの青白く光る矢。それをギリギリと音を立てながら弓の弦を引き絞り――。
「あっ……」
――何の
青白い軌跡を描きながら矢は森の奥へと消え――。
「……」
――そこで目が覚めた。カーテンの隙間から射し込む朝日で目が眩み、すぐにベタベタとした嫌な感触に顔を歪ませる。この様子ではいつものように寝間着にしているスウェットが寝汗で変色していることだろう。
(でも、なんか……)
いつもと様子の違う夢に体を起こした私は首を傾げる。
今まではただ彼、もしくは彼女の後を追いかけるだけだったが、今回の夢はあまりに躍動感に溢れていた。
(でも、やっぱり夢は夢、か)
今までは深い森の中にいるだけだったのでまだ現実味はあった。だから、というわけではないが深い森があるこの街に進学先を選んだ。
だが、今回の夢であの人は青白く光り弓矢を使っていた。それに今思えば移動速度があまりに異常だ。
あまりに非現実的な夢。いや、夢だから当たり前なのだが、『もしかしたら会えるかも』と淡い期待を抱いていた私としては現実を叩きつけられた気分だ。
「……よし!」
確かにあの人は私が作り出した夢の住人だったのは残念だった。しかし、それなら切り替えよう。私には高校生活を謳歌するという目標があるのだ。
(そのためにまずは!)
昨日よりも早く家を出てあの待ち合わせ場所(実際には待ち合わせているわけではない)に行き、鶴来君を待つ。そして、放課後はあやちゃんと遊びに行く!
そんな気合いを入れた4月7日、木曜日の朝。私の高校生活2日目が始まった。
「……」
そわそわ。きっと、漫画の一コマならそんな効果音が頭上に書かれていることだろう。それほど私は期待と不安に揺られながら例の十字路で鶴来君が来るのを待っていた。
昨日、ここで鉢合わせしたら一緒に登校してくれる、ようなことを言っていたが、あくまで私の解釈だったので彼は違う意味で言ったのかもしれない。もし、そうだった場合、彼をここで待つ私は完全にストーカーであり、誰が見てもやばい女である。
(いや、実際にやばいのかも……)
寝汗でベタベタになってしまった体をシャワーで流している間に少しずつ冷静になり、本当にここで待っていてもいいのだろうかと不安になってしまった。
そもそも、昨日の私はいつもと調子がおかしかったのだ。あんなに親切にしてくれたあやちゃんにはたどたどしくなってしまったのに鶴来君には随分と踏み込むことができた。その理由はわからないが、少なくとも私が彼と友達になりたいという気持ちに嘘はない。
(なら、頑張って前に進むのみ!)
だから、不安になりながらも私はここで
「ぁっ……」
そろそろこの十字路を通り過ぎた時間になりそうになった頃、鶴来君の姿が見えた。よかった、私を避けて時間をずらしたわけではないようだ。
「……」
彼は私の前で足を止めた。その視線は昨日と同じよう鋭く、少しだけ眠たそうだ。だが、ここで見つめ合った時のようなプレッシャーはない。むしろ、どこか呆れているような表情だった。
「お、おはよ……」
「……ああ」
おそるおそる朝の挨拶をすると短く答えてくれた鶴来君。しかし、すぐに歩き出してしまう。慌てて彼の隣に並び、一緒にバス停を目指す。
「……」
「……」
会話はない。でも、私は高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。だって――。
(――夢にまで見た、『人と一緒に登校』! まさか二日目で叶うなんて!)
『高校生活でやりたいこと』ランキングの上位にランクインしていた『人と一緒に登校』。昨日は諦めていたが、こんなに早く達成できるとは思っていなかった。これも許してくれた鶴来君に感謝だ。
「えっと、今日から授業が始まるね」
「……ああ、そうだな」
「それで――」
そんな風に鶴来君に会話を振る私。それを受けた鶴来君は短く答える。会話が途切れたらまた私が話題を探す。そして、会話がまた始まる。
たったそれだけ。それだけのはずなのにどんどん楽しくなってきた私はつい時間を忘れてしまい、気づけばバス停に到着していた。
「あー……着いちゃったね」
「そうだな」
「えー、その……バス、乗る時って」
昨日は知り合っていなかったので別々の座席に座った。
だが、すでに一緒に登校するほど私たちの仲は深まった(おそらく一方的な関係だが)のだ。これは同じ座席に座った方がいいと思う。
ほら、だって今日から先輩たちも登校するので北高に近づくにつれ、乗客も増えていくはず。だから、座席を空けておくという意味でも一緒に座った方がいい。
「……はぁ。勝手にしろ」
「ほんと? ありがと!」
そんな内容をぐだぐだと拙い言葉を連ねて伝えると彼は深いため息を吐き、どうでもよさそうに頷いてくれた。よし、完璧な説得だった。
昨日より随分と成長した私は自然と緩む頬を必死に抑え、お礼を言う。そんな私を鶴来君は一瞬だけ見つめたが、すぐに視線を外してしまった。そして、タイミングよく私たちが乗るバスがやってくる。私たちよりも先に待っていた人たちがバスの中へ乗り込んでいき、私たちもその後を追う。
「んー……」
すでにいくつかの座席が埋まっている。幸い、二人掛けのそれは何個か空いているので一緒に座れそうだが、問題はどこの座席にしよう。昨日の鶴来君は前の方に座っていた。なら、同じ座席に――いや、駄目だ、もう別の乗客が座っている。
「どこでもいいだろ」
「え?」
私がどうしようか悩んでいると横を通り過ぎた彼は後ろの方へと進んでいき、昨日、私が座った座席に座る。急いで彼の後を追い、一緒の座席に腰を下ろした。
「じゃあ、寝る」
「え? あ、ちょっと……」
さぁ、話の続きをしよう、とした矢先、鶴来君は窓に頭を預けて目を閉じてしまう。確かに小声で話しても静かな車内では周囲の乗客に迷惑をかけてしまうかもしれない。ここは大人しくしておいた方がよさそうだ。
「……ふふっ」
すぐに寝息を立ててしまった彼が少しだけ子供っぽくて思わず笑ってしまった。そして、昨日、バスの中で読もうとして結局、読めなかった本を鞄から取り出す。
『出発しまーす』
バスは予定時刻ピッタリに出発する。さぁ、今日も青春を謳歌するために頑張ろう。
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