第15話
「……」
「……」
無事に目的のバスに乗れた私たちは一番後ろの座席に並んで座っていた。もちろん、会話はない。3度目ともなると悲しいことに慣れてしまった。
バスの車内に乗客は私たち以外にいない。お昼時だし、平日だから――と言いたいところだが、誰もいないのはちょっとおかしいような気がする。
「どうした?」
「え? あ、その……他にお客さんいないなーって」
変な顔をしていたのか、隣に座っている鶴来君が小声で聞いてきた。まさか彼から話しかけてくるとは思わず、少し驚いてしまったが慌てて答える。
「まぁ、西町経由だからな」
「西町経由だから?」
「……音峰市は4つの区域に分かれてるのは知ってるだろ?」
よくわからなくてオウム返ししてしまう私に彼は少しだけ黙った後、言葉を続けた。どうやら、解説してくれるらしい。お世話になります。
「うん、北町、南町、東町、西町だよね」
「ああ。4つの町はそれぞれ特徴があって北町は商業施設とかが集まってる繁華街。東町は会社関係が多い」
「そうだったんだ。それじゃ、西町と南町は?」
「西町は美術館とか少し古い建物がちらほらと建ってるから強いて言えば観光地。南町は病院が多めの住宅街だな」
「へー、観光できるんだ。今度、行ってみようかな」
音峰市に観光地があったとは思わなかった。引っ越してきたばかりでバタバタしていたから音峰市について調べる時間がなかったので助かる。
「観光って言ってもあんまりないからそこまでのもんじゃないぞ」
「そうなの?」
「ああ、特定の施設以外は住宅街だから西町と南町は住んでる人以外あまり行く用事がないんだ。特に正午近いこの時間はな」
なるほど、私たちはたまたま入学初日だったが、普通の平日だ。お昼ご飯を食べに外に出るとしても交通面に不都合が多いこの街だと近くで済ませてしまうだろう。わざわざ繁華街の北町からほとんど住宅街である西町、南町に行く人がいないのだ。
「あれ、もしかして朝、南町から東町経由が出てるのは……」
「仕方なく南町に住んでる学生や社会人が東町、北町に朝から行けるようにだな。一応、そういう配慮もされてる」
『それでもトラブル一つで遅刻確定だから俺たちみたいなのはほとんどいないけど』と小さく零す鶴来君。遅刻しそうになった身としては心当たりしかないので苦笑を浮かべることしかできなかった。
「そうだったんだ。丁寧に教えてくれてありがと」
「別に」
「……」
「……」
教えてくれたお礼を言ったが、話は終わりだと言わんばかりに彼は窓の方を向いてしまった。
バスはゆっくりと西町を経由して南町へ向かう。これ以降、バス停に到着するまで私たちの間に会話はなかった。
(結局、ほとんど話せなかった……)
朝と同じバス停を降りた私たちは無言のまま、南町の住宅街を歩く。最初のように沈黙が気まずいということはないがそれでも数十分もの間、会話がないままなのは寂しい。
もちろん、何度かこちらから話しかけようとした。しかし、音峰市について教えてくれた手前、また迷惑をかけるのはどうだろうとブレーキをかけてしまったのである。
歩調を私に合わせてくれているので一緒に帰ること自体は許してくれているとは思うのだが、おそらくこれ以上踏み込めば離れてしまう可能性が高い。
(チャンスはあっても一回、かな)
しつこいと思われた時点でおしまい。元々、人間関係にドライな鶴来君なら一度でも拒否反応を示した相手に対して近づこうとしないはずだ。
今日はもう諦める? きっと、その方がいい。まだ高校生になって一日。彼と出会って数時間。焦る必要はない。私たちの関係は始まったばかりなのだから。
そう、頭ではわかっている。わかっているのだが――。
「……じゃあ、ここだから」
「え?」
――とある十字路で鶴来君が突然、立ち止まり右へ曲がったところでギュッと胸が締め付けられた。
「つ、鶴来君!」
十字路を突っ切りそうになった私は彼の名前を呼びながら立ち止まる。右へ曲がった彼は歩みを止めてこちらを振り返った。
「……なに?」
「ぁ、えっと……」
咄嗟に呼び止めてしまったので彼の鋭い視線を受けて言い淀んでしまう。
何を言えばいい? また明日ね?
きっと、それが最適解なのだろう。明日の私に任せた方がいい。そうすれば少なくとも初日から今の関係を壊さずに済む。
うん、わかっている。わかっているのだ。わかっているのに。
「あ、したから……一緒に登校しない!?」
私はもう一歩、彼に踏み込んでしまった。
「……は?」
「ッ……」
もちろん、鶴来君は唸るような低い声を漏らしながら私を睨む。それには明らかに怒気が込められており、威圧、というべきなのだろう。そんな重いプレッシャーに背中が凍りつく。
ああ、やっぱり、私は間違えた。欲張りすぎた。もっと、慎重になるべきだった。
そんな後悔が頭を過る。すでに手遅れなのにやめておけばよかったのにと今更ながら嘆いた。
「……」
「……」
重い沈黙が流れる。彼と一緒にいて会話がなくてもさほど気まずさを感じなかったはずなのに今は息苦しく思う。きっと、これまで彼にとって私は勝手についてくる、どうでもいい存在だったのだろう。
だが、今、この瞬間、私は彼にとって目障りな存在に成り下がった。
今まで鶴来君に視線を向けられても恐怖を覚えることはなかった。
でも、今は違う。彼から放たれる重圧に押しつぶされそうで、今すぐにでも目を逸らしたくなる。もしかしたら、自己紹介の時、クラスメイトたちが怯えていたのはこのプレッシャーが漏れていたからなのかもしれない。
「……」
それでも――私は、目を逸らさない。
もっと、上手いやり方はあったのだろう。
それでもあえてこの道を選んだ。彼に迷惑をかけてしまうこともわかっていて、絶対に嫌われるだろうと予想しておきながら、やめておけと臆病な私が警告を出していたのにもかかわらず、それでもなお、私は彼に一歩、近づいた。
「……」
だから、逃げない。逃げてはならない。そもそも、逃げる必要などない。
だって、私はただ、鶴来君と仲良くなりたいだけなのだ。仲良くなりたい相手から逃げていたら仲良くなれるはずがないのだから。
「……」
「……」
長い、長い硬直。鶴来君も、私も、お互いに目を逸らさず、一歩も引かない。それだけ私たちには譲れないものがあったのだろう。
(でも、
「……はぁ。意味わかんねぇ」
「ッ……、ぁ! はぁ……はぁ……」
今にも挫けてしまいそうになるが、根性で耐えていると不意にそんな彼の独り言と共に体が軽くなる。呼吸することすら忘れていたようで慌てて酸素を肺に取り込んだ。これは、私が勝った、ということなのだろうか。いや、勝ち負けではないのだが。
「つ、鶴来、君?」
「……待ち合わせはしない」
「……そっか」
乱れた呼吸を整えていると彼は私から
「だから、登校時間が重なった時は勝手にしろ」
「……へ?」
「どうせ、同じバスに乗るんだから。じゃあな」
彼の言葉を上手く呑み込めず、キョトンとしてしまう。だが、そんな私を放って言いたいことだけ言った鶴来君はスタスタと歩き出してしまった。
「……えっと?」
つまり、待ち合わせはしないが、通学路でばったり鉢合わせしたら一緒に登校してもいい、ということ?
ましてや彼の言う通り、私たちは同じバスに乗る。それはほぼ確実に登校時間が重なる、から――遅刻さえしなければ必然的に登校できる?
「ッ~~~~~……やったっ! やった!!」
彼が許してくれたのだと理解した私は声にならない悲鳴を上げながらその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてしまう。そして、ここが住宅街のど真ん中であることを思い出し、逃げるようにその場から駆け出す。
不安で眠れなかった昨日とは裏腹に明日が待ち遠しくて仕方ない。
もしかしたら、今日も上手く眠れないかもしれない。
だが、昨日よりも前向きな気持ちでベッドに潜り込めるだろう。
(早く、明日にならないかな!)
こうして、私――『影野 姫』の高校生活初日は終わった。
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