第17話
「鶴来君、そろそろ着くよ」
バスが出発して数十分ほど経過し、鶴来君の寝息を聞きながら本を読んでいた私は彼の肩を揺する。すでにバスの中は北高生でいっぱいであり、すし詰め状態だった。バスに乗るタイミングが早い私たちはほぼ確実に席を確保できるのでそういった面ではよかったかもしれない。
「……ああ」
肩を揺すられた彼はすぐに目を覚まし、欠伸を嚙み殺しながら顔を上げる。昨日はバス停に着いても起きなかったので早めに起こしたのだが、これならもう少し後で起こせばよかった。
「おはよ、よく寝てたね」
「……そうだな」
本を鞄に落とすように入れた後、鶴来君に話しかけたが彼は窓の外を見ながら短く頷く。反応が薄いので寂しくもあるが、きっと今の私たちの距離感はこれでいい。一緒に登校しようとお願いした時は本当に危なかった。これ以上、踏み込めばもう鶴来君は私に見向きもしなくなるだろう。
それから程なくして北高前のバス停に到着する。私たちは後ろの座席なので降りるのは最後の方になるため、降りていく北高生たちを眺めながらその時を待つ。まぁ、その時間もさほど長くなく、私たちもスムーズに降りることができた。
「わぁ……」
バス停を降りてすぐ校門前を見るとその生徒の多さに驚いてしまう。マンモス校とは言えないが全校生徒数が600人を超えているため、同じ制服を着た生徒たちが一斉に校舎に向かっていく光景はなかなかに圧巻である。
(私もその一員なんだよね……よし!)
校門へ吸い込まれていく生徒たちを眺めながら私は今一度、気合を入れ直した。今日から本格的に高校生活が始まる。放課後、あやちゃんと遊びに行く約束はしているものの、だからといって天狗になるつもりはない。勇気を出して私からどんどん交流しなければ友達はできないのだから。
「……行くぞ」
「ぁ、うん!」
律儀に立ち止まった私を数歩先で待っていた鶴来君だったが、痺れを切らしたのか歩き出してしまう。急いで彼の隣に並ぶが――何故か、彼は少しだけ歩く速度を上げた。
「?」
何か用事でもあるのだろうか。それなら悪いことをしてしまったと少し反省しながら私も歩幅を広げて彼の隣に――しかし、鶴来君もほぼ同時に歩幅を広げたので追いつけない。
「え、あ、あの! 鶴来君?」
「……」
少し早歩きになってしまい、他の人たちを追い越しつつ、私たちはどんどん校舎へと近づいていく。話しかけても彼は返事をしない。まるで、私から逃げるように。
「ッ……待ってッ!」
慌てて彼の腕を掴み、立ち止まる。制服越しでもわかる、硬くて、太い、男の子らしい二の腕。だが、今はそれを気にしている場合ではない。確実に鶴来君は私から離れようとしていた。
「……なんだよ」
「な、なにか、しちゃった? それなら、ごめんなさい」
「お前が悪いわけじゃねえって。ただ……」
「へ?」
そう言って彼は周囲に視線を向ける。私もその後を追うと他の生徒たちがこちらをちらちらと見ているのがわかった。いや、私よりも鶴来君を見ている?
(確かに、体が大きいから目立つけど……その目は、何?)
ひそひそと怪訝そうな――警戒するような視線が鶴来君に突き刺さる。
そして、何故か私を可哀そうな子を見るように同情の乗ったそれを向けている人もいる。
「こ、れは……」
思い出したのは昨日の自己紹介の時間。彼はクラスメイトたちから怖がられていた。あの時は僅かに漏れたプレッシャーのせいかと思ったが、ただ歩いているだけで周囲にいる人を威圧してしまうのだろう。
だからこそ、他の人は鶴来君を警戒し、傍にいる私が絡まれていると勘違いした。
「お前、友達作りたいんだろ?」
「え? あ、うん」
「なら、俺と一緒にいない方がいい。特に他の人がいるところではな」
「ぁっ……」
彼は腕を振って私の拘束から逃れ、歩き出す。遠ざかっていく彼の背中が『追いかけてくるな』と私を拒絶していた。無意識に伸ばそうとした手が震えて重い。
もし、彼を追いかけた結果、友達ができなくなったら?
そんな考えが脳裏を過る。
――気持ち悪い。
――こっちくんな。
――なんで、生きてるんだろうね。
「それは嫌だ」
「ッ……」
迷いを振り払うように大きく一歩を踏み出して彼の腕を掴み直す。まさか掴み直されると思わなかったのか、鶴来君は珍しく大きく目を見開いて私を見下ろした。それでも、私は目を逸らさない。絶対に、離さない。
だって、彼は優しい人なのだ。
見ず知らずの私を助けてくれて、私の我儘も受け入れてくれて、今だって私が皆から煙たがられないように突き放そうとしてくれている。
だからこそ、何もできない自分が悔しかった。
一瞬でも揺らいでしまった自分が恥ずかしかった。
今、ここで彼を追いかけなければ一生、後悔するとわかった。
「どんな目で見られても……私は鶴来君と友達になりたい」
どうして、こんなのにも彼と仲良くなりたいのか。そんな疑問などどうだっていい。
理由なんていらない。仲良くなりたいと願った。ただそれだけ。
それだけで、手を伸ばす理由になる。
「……変な奴」
彼は数秒ほど硬直した後、力が抜けたようにそう呟いた。その時、鶴来君は呆れたように――苦笑を浮かべていた。苦笑とはいえ、初めて彼の口元を緩んだのを見て私は言葉を失くしてしまう。
「……つ、鶴来君には言われたくないよ」
「そうか。悪かったな」
何とか言葉を返すことはできたが、声は上ずってしまう。それに気づいていないのか、気づいていた上でスルーしたのか鶴来君は頷くだけで再び歩き出した。いつの間にか彼の腕から手を離していた私も遅れないように彼の隣に並んだ。
(鶴来君って……あんな感じで笑うんだ……)
これまで仏頂面しか見ていなかったからか、教室に辿り着くまで私の頭から彼の苦笑は消えてくれなかった。
玄関を抜け、靴を履き替えた私たちは教室へと向かう。その道中も生徒たちは鶴来君を見てギョッとした表情を浮かべる。鶴来君はそういった目に慣れているのか、気にすることなく堂々と歩いていた。私だったらそんな視線を向けられたら耐えきれなくて背中を丸めてしまうだろう。
「……」
教室の前に着いた。しっかりと室名札を見て『1年D組』と書かれているのも確認した。
「すぅ……はぁ……」
扉に手をかけて深呼吸。二日目とはいえ、教室に入るだけでも緊張してしまう。そんな私に気を使ったのか、鶴来君は黙って私の後ろに立っていた。
(よし……)
覚悟は決まった。私は手に力を入れて扉を開ける。時刻は8時になったばかりなのでクラスメイトはまばらだ。それでも早めに来ていたクラスメイトたちはこちらに視線を向け、私の後ろにいる鶴来君を見て目を見開く。そして、すぐに顔を逸らした。
「むぅ……」
「……ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと……もう!」
そんなクラスメイトたちの反応に少しだけむくれていると鶴来君は私を追い抜かして自分の机に向かってしまう。まるで他人事のような態度に思わず声を荒げてしまうが、それだけでは彼は止まらなかったので仕方なく私もその後を追いかけた。
「すぅ……すぅ……」
(もう寝てる)
自分の机に着いた後、鞄の中に入れていた教科書類を机の中に仕舞い、椅子に座る。隣を見ればすでに鶴来君は鞄を枕にして眠っていた。昨日と変わらない姿に緊張していた私がばからしくなって苦笑を浮かべてしまう。
「おはよー!」
「おはよー」
そんな彼を眺めている間にもクラスメイトたちは続々と教室へ集まっている。
きっと、私もあの中に入った方がいい。それはわかっている。
――変な奴。
でも、もうちょっとだけ彼を見ていたい気分だった。
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